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読書日記

  • あさのあつこ: バッテリー
    マンションのプールで子供たちを遊ばせながら、デッキチェアで寝そべって読むにはもってこいの軽さです。本の物理的な重さだけでなく、大人に読ませる児童書、とでも呼ぶのでしょうか、野球を軸にした物語で、スポ根でもなく、チーム愛とか友情を前面に出すわけでもなく、そういうところとはかけ離れたところから始まっているところが良かったし、なんとなく心のどこかで考えさせられるところが、適度な軽さでした。続きがつい読みたくなります。
  • 小阪修平: 思想としての全共闘世代
    この酔狂なテーマに接して、どのような視点をもてるかは、何年に大学に入学したか、学生運動のどの段階の経験・知識をもつかで変わってくると、著者は言いますが、まさにその通りでしょう。私は、全共闘世代の著者より15年も年下で、学生運動と言っても辛うじて余韻を吸っただけ。他の大学より、よほどその残り香は濃厚に残っていたので、私の世代の中では、より深いシンパシーを感じている方だと思いますが、それでも、かなり観念的です。実際、私自身は、育った時代が進歩的知識人全盛の頃だったので、その反発から思想的には保守寄り、伝統的な自由主義者で、学生運動への共感というのは、政治的な主張や思想的な面よりも、むしろ若者らしい現状への不満と変革への情熱に対するものと言えるかも知れません。それは、キューバ革命におけるゲバラに対する共感に近い。彼を衝き動かしたのは左翼思想ではなく、純粋な民族主義でした。もし著者と同世代だったら、私自身、どうなっていたか、ちょっと興味があります。そんな時代を懐かしむだけの本ではあるのですが、それを羨ましいと思わせる内容ではありました。 学生運動真っ盛りの頃、本当に革命が起こるのではないかという気分になったと述懐する人がいます。確かに、この本でも、初期(60年代前半)には市民の共感を得ていたとありました。先鋭化(武装化、過激化)して、一般学生からさえも支持を失って行った、そのあたりは別の論考になるのでしょうが、なんとなく学生が敏感に反応するところを、大人としても支持してあげたい時期があったことは、分かるような気がします。社会自体も、若かった。私にとっては、もはや歴史的事実として見てしまうからかも知れませんが、高度成長を遂げつつあるという、ある意味で歴史の転換点では、人々の意識も今ほど画一的ではないでしょうし、いろんな制度上の矛盾も噴出していただろうことは想像できます。そんな世の中の、雨降って地固まる前の、不安定な動きの中で、まだ共産主義への憧れが、幻想ではなく人々に情熱をもって抱かれていた、そうした不穏な時代の雰囲気は、なんとなくわくわくします。今だって、ある意味で歴史の転換点であり、変革の情熱を行動に移して行かなければならないのでしょうけど、私も社会も、ちょっと齢を重ねてしまったかもしれません(笑) 今、革命が起こるとは思えませんが、あり得るとすれば、若い情熱が発火点になるように思います。 (★★★★)
  • 藤原正彦: 国家の品格
    「蛙飛び込む水の音」という歌に対して、外国人は一匹じゃなくて何匹も飛び込む様を連想してしまうものらしい。自分の感性はやはり日本人だと、最近つくづく思うので、そのあたりはまさにフィットしました。ちょっと宗教に関しては認識不足じゃないかと思われるところもありますが、だいたい海外経験がある人なら、そうそう、その通り、よくぞ言ってくれら、というようなことが書いてあります。それから、論理じゃなくて感情、論理の出発点も結局は感情が規定するというのも、「われ思うゆえに我あり」のデカルトを持ち出すまでもなく、数学者なのに(数学者ゆえに?)、よくぞ言ってくれたと思います。話題になっただけあって、期待を裏切られない面白さです。 (★★★★★)
  • 加藤廣: 信長の棺
    本能寺の変の後、ついに見つからなかった信長の遺骸を追うという謎解きだけでも興味津々ですが、著者がサラリーマンを辞めて執筆した75歳の新人作家というのも興味津々です。よく史料を調べてあるということと、太田牛一という右筆(実際には違う説もあるようですが)を主人公に、著者自身を投影し、歴史上の疑問点のもちよう、推論を進める様は、なかなか面白い設定です。著者がコンサルタント的な業務に携わってきたことと無縁ではないでしょう。でも、難を言えば、ストーリー展開上、さんざん前半では引っ張っておきながら、最後の謎解きを一人の登場人物に淡々と語らせてしまうのは、あまりに安直です。それでも、ひととき、すべてを忘れて没頭できたので、よしとしましょう。信長というと、大河ドラマの館ひろしの顔が浮かんで困ってしまいましたが・・・^^; (★★★★)
  • リリー・フランキー: 東京タワー
    著者とは同世代に属するので、時代背景が重なって、とても身近に感じつつ読み進めました。結構あからさまで大胆な描写や、所謂マザコンぶりが淡々と綴られるわけですが、それをそうと感じさせない独特のリズムがあるのは、一つには、村上龍の「69」が長崎弁に救われていたように、ここでは福岡弁?に救われているからでしょうか。全編を通してほのぼのとした雰囲気を醸し出して、いい感じです。それからもう一つには、彼の率直さと曇りの無い目線のゆえでしょう。それにしても、自ら振り返り、母親の愛情の深さとか、それに応えようとする息子の気持ちは良く分るのですが、あらためて親子のありようは人それぞれだと(当たり前ですが)しみじみ思いました。なお、100万部を越えるベストセラーだと言うのは、ちょっと驚きです。この軽さは悪くないのですが、なんとなく三島由紀夫のような本格小説を読みたくなってきました。 (★★★★)

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2007年1月30日 (火)

ペナンのモノの支払い

 通常の商品・サービスの支払いは現金ですが、高額になるとクレジットカードを使うのは、日本やアメリカと同じです。屋台は別にして、普通のレストランやホテル、ちゃんとした土産物屋であれば、クレジットカードが使えるようになっています。

一方、電気代・電話代・テレビ受信料などの生活費の支払いに関しては、請求書(ステートメント)が送られてきて、郵便局に出向いて支払うか、小切手を郵送するのが一般的です(銀行によりますが銀行引き落としも可能、クレジット・カード・チャージも可能)。

 ユニークなのは、郵便局で、通常の郵便物の取扱い窓口とは別に、各種支払いを受付ける窓口があって、電気、水道、固定・携帯電話、衛星テレビなどの生活費の支払いのほか、自動車税も受け付けてステッカーを交付してくれるので、便利です。特に土曜日の午前中は、そうした生活費の支払いをする人たちで混み合います。ただ水道代は、月5リンギッ程度と安いので、最初に50リンギッくらいをデポジットしておいて(ペナンのランドマーク・タワーであるコムターにオフィスがある)、暫くマイナスのバランスにして放っておく手がよく使われるようです。またペナンでは都市ガスはなく、プロパンガスを配達してもらうことになりますし、ミネラル・ウォーターを配達してもらう場合にも、キャッシュ・オン・デリバリーです。

小切手(Personal Check)も一般的なのは、アメリカと似ています。もっともアメリカでは、スーパーで5ドル程度の買物に小切手を切るオバサンを見かけましたが、ペナンはそこまで極端な小切手社会ではありません。こちらに来た当初は、各種支払に際して、期日に遅れないようにマメに小切手を郵送していましたが、場合によっては処理されるまで一週間くらい時間がかかり、ちょっとした時間差で衛星テレビのサービスを止められたこともあって、最近はインターネット・バンキングに切り替え、ほぼリアルタイムで処理するようにしています。クレジット・カードにチャージする方法もあるので、ポイントを貯めようと思う人には良いかも知れません。

 なお、クレジット・カードに関してよく言われるのは、必ず目の前で処理してもらうようにすること。カードから目を離すと、スキミングされる惧れがあるので要注意です。ご承知の通り東南アジアはそうした犯罪が多く、日本のクレジットカードを使うと、カード会社によってはPINを入れさせられたり、ご丁寧に国際電話で本人確認を要求される場合があります。現地のクレジットカードは、日本より進んでいて、二年前、一斉にICカードに切り替えられました。さらにカード会社によっては、一日に複数回使うと、携帯に電話が入り、その旨本人に確認を取るサービスがあります。実際に、過去一年間、いつどこで番号を盗まれたのか、二度ほど、心当たりの無いクレジット・カード・チャージがありました。

 それでは、いつもニコニコ現金払いが安全かと言うと、凶悪犯罪は少ないペナンですが、引ったくりの類いは珍しくなく、注意が必要です。手間暇を考えると、どうしても便利なクレジット・カードやインターネット・バンキングに頼ってしまいますが、常にリスクと隣り合わせであることを意識せざるを得ません(これは、もはや日本も同じでしょうし、そうしたリスクについては社会で分散する仕組みとしての保険もあるわけで、気にしても仕方ありませんが)。

2007年1月24日 (水)

ペナンの通貨のはなし

マレーシアの通貨はリンギッ(RM: Ringgit Malaysia)で、20057月に、中国と足並みを揃えて変動相場制に移行しました。まだ完全な変動制ではなく、通貨バスケット方式による管理フロード制で、これまでのところは緩やかな上昇に留まっていましたが、ここに来て俄かに慌しく、今日時点では1米ドル=3.5リンギッと、固定相場(ペッグ制)時代の3.8リンギッからすると、約8%の上昇です。

皆さん、海外旅行で経験される通り、最初はいちいち円に換算して、日本と比べて物価が高い・安いを判断するわけですが、その内、慣れてくると、円に換算するまでもなく、その通貨単位のままで、高い・安いを判断するようになります。道端の駐車場は60セン(0.6リンギッ)が妥当であって、2リンギッや3リンギッも取られると高いと思うようになる(いずれにしても100円もしないのですが)のは時間の問題です。

ある時、ふと、リンギッを米ドル並みの感覚で見ていることに気がつきました。生活実感として、モノによりますが、ほぼ1米ドル=1リンギッが通用するのです(場合によっては2リンギッか?)。アメリカで20ドルするTシャツを高いと思うように、ペナンで20リンギッするTシャツはやはり高級なわけです。アメリカのレストランで50ドル出せば美味しいものが食べられるように、ペナンのレストランでも50リンギッ出せばやはり美味しいものが食べられる。アメリカのホテルで150ドル出せば高級ホテルに泊まれるように、ペナンでも150リンギッ出せば高級ホテルに泊まれる。マレーシアで市中に出回っている紙幣は、10、5、1リンギッ(硬貨は50、20、10、5、1セン)が中心で、50リンギッ紙幣(更には100)は高額支払の時に使われるだけなのも、アメリカに似ています。

この1ドル=1リンギッという感覚は、日本人の私にはとても新鮮でした。シンガポールやオーストラリアはじめ他の諸国通貨にも同様に当てはまるのではないでしょうか。ところが実際の交換比率は1米ドル=3.5リンギッですので、それはそのまま割安感、すなわち米国とペナンとの間の物価水準の差になるわけです(2分の1~3分の1)。

日本で、時折、デノミが話題になりますが、日本はゼロの数が多過ぎますね。100円を1円に切り下げて、1米ドル=約1円にすれば、確かに分かりやすい。

2007年1月22日 (月)

ペナンの運転マナーのこと

ペナン・ブリッジが閉鎖されるのは勿論マラソン大会の時だけです。ことのついでにペナンの交通事情について触れます。

なるほどリゾート地と言われるだけに、生活するにはちょっと退屈なくらい娯楽が乏しく、のんびりしたペナンですが、わが道を行くマレー人の運転マナーだけは油断ならず、ストレスは溜まる一方です。

そもそも運転マナーって何でしょうか? 日本人の私として、先ずはお互いの円滑な交通を阻害しないこと、相手(通行人、他の運転手、同乗者)に危険と思わせるような運転をしないこと、お互いに同じ運転手としてrespectすること、だと思うのですが、こちらでの運転を見ていると、ウィンカーを出さないのはほんの序の口、カーブではショートカット気味に車線を割る、ちょっとでも前を走っている自分が優先だと思ってぎりぎりのところで車線変更して割り込んで来る、脇道からは頭を徐々に出しながらついには主要道の交通を遮断してまで割り込んで来る、しかもノロノロでなかなか加速しない、追い越しのために右折車線を平気で直進する、渋滞になると二車線が三車線、四車線へと膨れ上がってツバ競り合い(自分は割り込んで来るくせに、他人には譲らない)、そして、我が物顔のモーターサイクル。。。これは果たして、何事も気にかけることの少ないマレー系のせいなのか、何事も他人より前に出たがるセッカチな中華系のせいなのか、判然としませんが(共通するのは頑固なところ、か?)、それをされると内心穏やかではいられません。

これを運転マナーの欠如、と言って言い過ぎであれば、マナーが希薄であることは、ミズスマシのように、右から、左からと、命知らずに追い越しをかけて来るモーターサイクルにも原因の一端があります。そもそもペナンでは路肩がない道が多く、仮に二車線あっても一車線はモーターサイクルに占拠されていることもしばしばです。大英帝国の血を引いて左側通行なわけですが、右から追い越されるとたまりませんから、いきおい左側の車線では左に十分なスペースを空けようと、右の車輪が車線にかかって走る車もいます。更には左側の車線を避けて右側の車線(日本の所謂追越し車線)を走るノロノロ車もいて、どうしても右側の車線の方が遅くなる・・・といった具合いです。モーターサイクル自身の問題として、小さな子供を背中にしがみつかせて(特に安全ベルトとか紐で縛るなどせず)平気である無神経さも、スピードを落とさずにカーブを曲がって合流してくる大胆さも、驚嘆ものです。思わずこちらが減速せざるを得ない。こうして円滑な交通が阻害されるわけです。

こちらに来た当初は、こうした運転マナー違反に対して教育的指導を与えるべしと、いちいちクラクションを鳴らして警告したものでしたが、その反応はと言うと、まるで他人事のように無視されたり、クラクションを鳴らした私に向かって何を怒っているのか意外な顔で振り向かれたり、ひどいのは、鳴らした私の方が悪いと言わんばかりに睨みつけられることもしばしば。ローカルの人に聞いたら、クラクションは余程のことがない限り鳴らすのは失礼にあたり、警告を与えるつもりならヘッドライトを点けた方が良いと言います。それを聞いてからは控え目に、それでも急ブレーキを踏まされたら、教育的指導!とばかりに、いまだにクラクションで警告します。

モーターサイクルはアジアのどこも似たようなものだと思いますが、無秩序に見えて、その無秩序の中に秩序があります。彼らにとって、車は確かに動いているけれど、位置関係は固定的に見えているフシがあります。だからこそ、ミズスマシのように、右から、左から、車の間を縫うように走るわけで、それは無秩序だけれども、それが常態であるという意味で一定の秩序になっているわけです。運転の要諦が、安全であること、特にペナンでは、事故に巻き込まれないことだとすれば、彼らの環境を壊さないように、なるべく急な加速または減速を控えること(やるときは前後関係に注意すること)、急な車線変更を控えること(やるときは目視確認すること)が重要になります。

運転マナーは、中にはウィンカーを何秒前に出す、というようにルール化されているものもありますが、基本的には意識(常識)のレベルの問題であって、それは人の背中を見て育つ類いのものです。子供たちは親の背中を見て、当たり前のように思って育ち、そうしたことの一つ一つが、結果として国民の民度を形作ります。連綿とした人の営みを変えるのはそう簡単ではない、10年とか20年とか、かかるものかも知れないと思ったりします。

2007年1月19日 (金)

ペナン・ブリッジ・マラソン

市民マラソン・ランナーと自称するにはオコガマシイほど練習嫌いで、レースがないとなかなか練習しないモノグサ者。北緯5度の常夏の国で走るなど無謀なこと、まさかそれが実現するとは、これも一つの成り行きなのでしょうか。2006年7月30日、ペナン・ブリッジ・マラソンに参加しました(と言っても、無茶できなくなった年齢を考慮して、ハーフの部)。さすがにスタートは早く、朝5時半。3時半には起床して家を出ました。以下、長くなりますが衝撃のドキュメンタリー!?「体当たり、ペナン・ブリッジ・マラソン」。

余裕をもって出かけたので、駐車場が見つけられないくらいは想定の範囲内。適当に路上駐車して、さて。。。? 集合場所に向かう参加者は皆、今にも走り出さんばかりの格好ではありませんか。通常、ゴール地点に集合して、手荷物を預けて、スタート地点に移動するというのが、モノグサではありますが、若い頃、アメリカの大会をいくつかハシゴして知ったマラソンの流儀でした。これがアジアなのかと、ちょっと嫌な予感を抱きつつ、僕は普段着のまま、着替えの鞄を抱えて、とにかく受付を済ませて聞いてみると、案の定、持ち物を預かるシステムにはなっていないことが判明。じゃあ荷物を置きに戻ろうとしたら、いったん入場した者は退場できないと言います。押し問答の末、判ったのは、受付でもらった、手首の黄緑のゴムバンドを持ち出すのがどうも問題だということ。受付の監督者らしい人にゼッケン番号を伝えて預かってもらうことにして、とにかく車まで引き返し、着替えてから、再び参加者の群れに潜り込みました。

前日、ゼッケンとともに貰ったレース案内は全てマレー語で書かれていたので、駐車場の場所から、荷物をゴール地点で預かるシステムの有無など、全く要領を得ていなかったのでした。念のため、道端に休んでいた中国系のおじさんグループに声をかけて、簡単に手順を再確認してみると、受付で貰った黄緑のゴムバンドと、折り返し点で貰うゴムバンドが、完走の証になるということが判明し、どうりで、受付の後の持ち出しがうるさかったわけかと、合点。

集合場所は広大なキャンパスなのに、黒山の人だかり。一体、どこから湧いてきたのか不思議なほどの今日の参加者は、なんと9000人。マレーシアという国柄、ペナンという土地柄で、ちょっと多過ぎやしないか? 後で新聞を見て知ったのですが、この大会は、Fun Runの大会とMarathon大会が合併したものらしく、記録と完走を目指すランナーばかりではなかったのでした。無理して走ろうとせず、歩く人がやたら多いのも頷けます。

皆が動き始めたので、私もその流れにつられて歩き始めます。スタート地点に辿り着いたのは5分遅れの5時35分。皆に合わせて、走り始めます。まだ夜明け前というのに、ちょっと走っただけで汗ばみます。いつもなら行ける所まで飛ばすところですが、この高温と多湿では消耗戦かと思い、この日ばかりは慎重に、抑え目に走ることにしました。とにかく、汗の量が、半端ではありません。5Km毎に給水所があって、最初の給水所で、早速、水をがぶ飲みし、顔の汗を流し、後頭部にぶっかけて冷やしました。

かつてサンフランシスコのゴールデン・ゲート・ブリッジを走った時もそうでしたが、橋の上だから、応援の人はなく(交通規制で、そもそも入れない)、物足りなさを感じつつ、走ります。物足りないのは、周りが野郎ばかりのせいでもあります。そう、女子の部のスタートは30分遅れの6時、男女別々といった仕組みも、なんとなくマレーシアらしいと言えましょうか(逆に、男女一緒なのがアメリカらしいのか?)。しかしその30分遅れの女子の部のトップに、早くも折り返し点の手前で追い抜かれてしまいました。軽快な足取りは、アフリカからの参加者のようでした。

かたやこちらは、だんだん足取りが重くなります。かつてボストン・マラソンの心臓破りの丘で、大また歩きのアメリカ人を、走って追い越せなくて、悔しい思いをしたものでしたが、さすがにアジア人の大また歩きには、負けることはありませんが、それでも、追い抜く人の数と追い抜かれる人の数は同じくらい。三度目の給水所のあと、ちょっとしたランナーズ・ハイの状態になって、暫く軽快に飛ばしましたが、15分ともちません。

周囲が明るくなり、水平線が見え始めました。走っている間は滅多に後ろを振り返ることはないのですが、この瞬間だけは振り返り、昇ってきた太陽を仰ぎ見ました。日々の当たり前の営みなのに、なんとなく有難いことのように思えて、不思議な感動を覚えます。生命を宿した卵の黄身のような、はたまた今にも血がしたたり落ちそうな、オレンジ色の太陽。。。

よれよれの状態で、ゴール。時計は8時過ぎ。何故か22.3Kmという中途半端なところもまたマレーシアらしい気がしますが(きっちり記録をトレースしている日本人からは文句が出そうですが)、二時間半もかかってしまいました。最後にフル・マラソンを走ったのは8年前でしたが、その時は後半のハーフでも2時間を切っていました。でも、単純な比較は意味をなしません。練習を続けなければ、エリート・ランナーだって人並みに衰えてしまいますし、その人の年齢、その時々の練習量、体調、天候、諸条件の中で、人それぞれに、完走できる身体に、あるいは世界最高記録を狙う身体に、職人のように自分を鍛え上げて行く、その時の自分の身体は、この一回きりの走りのためでしかないのが、マラソンです。まずは、完走できたことを祝福したい。腰痛とか膝痛に見舞われずに、幸運でした。

ゴールして、またちょっと驚かされました。

手渡されたCertificateを見ると、あなたは三時間以内で完走した、とあります。トップ10以外は、順位も記録もないようです(これまた記録をきっちりトレースしている日本人からは文句が出そうです)。かつてアメリカでは、ゴール地点のビデオ撮影でゼッケンを確認し、記録を計時してくれたのものでした。しかしそれでは、3万人も参加するNYシティマラソンのような大きな大会では、スタート地点を何箇所かに分けたとしても、スタート時間に5分以上の誤差が出ます。最近のトレンドは、個々人の靴紐にICチップを取り付け、スタート地点とゴール地点に敷いた特殊マットが感知して、個別に正確に計時するもの。でも、ここマレーシアでは、そんなこととは無縁のようです。完走のメダルは、ピューター製でしたが、これは間違いなくマレーシアらしい!

ゴールの後、身体は、甘いものと水分を要求するのですが、ゴール付近には何も無く、走り終えた人の流れについていくと、反対側のグラウンドに、ようやくスポンサーのテントが並んでいるのを見つけました。スタートの時は暗くて気がつかなかったのですが、こういう流れの悪いレイアウトもまた、細かな気配りの苦手な(気にしない)マレーシアらしいと言うべきでしょうか。

それはともかく、これ以上、走らなくても良いという解放感。この歳にして、この程度の練習でも、とにかく走りきったという達成感。まだまだ若い者には負けない・・・などとはつゆ思いませんが、自分の体力(生命力と言った方が良いかも)を信じたい思いがこみあげます。

一日経つと、膝がぎしぎし痛んで、股ズレで、階段の昇降に難渋しました。靴ズレで足の人差し指の爪がきりきり痛みます(フル・マラソンを走っていたら、数日後にはぽっかり抜け落ちていたことでしょう)。更に一晩明けると、腕、二の腕、肩、腹筋、背筋、太腿、全てが筋肉痛です(時差があり過ぎるのが情けないですが)。普段、如何にこれらの筋肉を使っていないか、こうした痛みは、体力が衰えた証ではありますが、でも同時にそれは生きている証でもあります。そう思いながら、走っている時の痛みが忘却の彼方に沈むにつれ、またどこかの大会を走りに行こうかと、性懲りもなく思う私でした。

かつてのアメリカ市民マラソン体験記はこちらです。「Kazu君のパパ」という昔の名前で出ています。

http://juko.hp.infoseek.co.jp/kazu.htm

2007年1月17日 (水)

ペナン・ブリッジ

 私が住んでいるペナン島から、半島側にある会社まで、ペナン・ブリッジを渡って車で通勤しています。最初の一年間はGeorge TownGurney Drive沿いのマンションに住んでいて、会社までの距離は28Km、ペナン・ブリッジの長さが13.5Kmと言われていますので、ほぼ半分は橋の上を走っていたことになります。

 このペナン・ブリッジは、韓国のHyundaiが設計・施工し、正式に開通したのは1985年9月14日のこと、はや21歳の誕生日が過ぎました。ペナンでは、今でも世界で三番目に長いとか、アジアで最長だと言われていますが、これらは今となっては昔の話。

先ずこれは単に橋の全長を問題にした場合の話です。通常、橋の長さは最大支間長(支点から支点までの距離)で比較され、橋の形式を抜きにすれば、吊り橋である明石海峡大橋が中央支間長1991mで世界最長(ちなみに震災によって設計値より1m伸びたそうです)、斜張橋では多田羅大橋が中央支間長890mで世界最長と言われています。いずれも世界に誇る日本の橋です。因みに、先日、建設中止が発表されたイタリア本土とシチリア島を結ぶメッシーナ海峡大橋は、2012年完成予定で、仮に完成していたら、全長3666m、最大支間長3300mで、明石海峡大橋を抜いて世界一に躍り出るところでしたが、この入札で競っていた二つの企業グループは石川島播磨と新日鉄で、ここでもやはり日本の技術が求められていたのでした。

橋の全長(橋長)で見れば、上記の橋とは技術難易度が比べるべくもないようですが、世界最長は、米国ルイジアナ州のポンチャトレイン湖横断道路(38.4Km)、ペナン・ブリッジは現在第七位ですが、竣工時点で見れば世界三位だったのは事実です。また、中国で2005年に世界二位と四位の橋が完成しているので、今はアジアで第三位ですが、2004年までは間違いなくアジアで最長でした。

 それはともかくとして、ペナン・ブリッジは、佇まいが美しい。飾り気がなく、シンプル過ぎるほどですが、朝、フェリーが出るジェッティから更に南下して、高速道路を暫く走ると、やがて姿を見せるその一筋のすっきりくっきり海に浮かぶ様は、とても爽やかです。

 今、ペナン島と半島を結ぶのは、フェリーと、片側二車線のこのペナン・ブリッジだけで、橋の中央付近こそ三車線になりますが、全体の拡幅工事は遅々としてはかどらず、ちょっとした事故でも交通渋滞するのが悩ましいところです。最近、第二ブリッジの建設がようやく予算承認されました。今年中に着工し、2011年1月に竣工予定で、今のペナン・ブリッジの南、空港そばから半島に渡ることが出来るようになりますし、渋滞緩和も期待されますが、その頃にはペナンにいないなあ。。。

2007年1月16日 (火)

ペナンのスターバックス

 食の話のついでに、コーヒーの話。

ペナンでもスタバが着実に店舗を拡大しています。週替りコーヒー大/中/小それぞれ8.5/7.5/6.5リンギッ(250/220/200円)ですから、物価は総じて日本の三分の一と言われるマレーシアにあって、破格の値段です(因みにサイズは日本のものより一回り大きい、アメリカン・サイズ)。それでもそれなりに繁盛しているのは、欧米人や日本人が多く滞在しているだけでなく、新しモノ好きの現地の若者や高給取りの中国人にも、トレンディなものとして受け入れられているからでしょうか。

それにしても、妥協しなかったスタバの価格戦略は見事です。ほんの上澄みだけで商売する高価格戦略を、今、維持出来るのであれば、今後、所得水準があがるにつれ、スタバ予備軍も増えていくわけで、将来は明るい。進出が早すぎるのではないかと他人事ながら危惧していましたが、こちらの生活スタイルに合わせて夜遅くまで営業しているお陰で、かえって夜遅い方が賑わっているほどです(ガーニーホテルの隣のスタバの営業時間は朝8時から、なんと夜中の2時まで)。

 かつてブリア・サヴァランは「美味礼賛」の中で、サイフォンよりドリップ式を勧め、砂糖を入れると更に旨味が増すと言ったコーヒーですが、私自身は、学生時代に面倒臭がった惰性から、いつの間にかブラック好きになってしまった大のコーヒー党。ところが、地場のコーヒー・ショップや屋台では、マレー語でコピと言い、英語ではホワイト・コーヒーと言うほど、どれもこれも砂糖とミルクがとっぷり入った甘ったるいもの。スーパーに行けば、3in1と呼ぶ、ミルク・砂糖との三位一体の粉コーヒー・スティックが所狭しと並んでいて、ネッスルやUCCのインスタント・コーヒーを圧倒するほどです。マレーシアで糖尿病が多いと言われるのも、この生活習慣では止むを得ないのかも知れません。

 それにしても、2リンギッで昼食のラーメンが食える傍で、8とか10リンギッもするコーヒーが平気で売られているところに、まだまだ発展途上のマレーシアの国としての猥雑なパワーを感じるのは、私だけではないでしょう。

2007年1月15日 (月)

ペナンの屋台の話(3)エアコン

 こちらのレストランでよく目にするのが、”air-conditioned”の文字。実はレストランでエアコンが効いているのは、安い屋台に対する重要な差別化要因のようです。確かに常夏のペナンで、オープン・スペースの屋台は暑い。その屋台で食事客を少しでも快適にするためにどうするかと言いますと、先ずは扇風機を回すこと、そしてその扇風機の前に大型の霧吹きを置いて、湿り気のある空気を飛ばしているのをよく見かけます(最初は水道水だから、吸い込むとアタるかなと余計な心配をしたものでしたが、これは快適♪)、そのほか屋根を高くして熱を逃がしたり、その屋根を水で冷やしたりもします(屋根を叩きつける水の音は、スコールでも来たのか驚くほどです)。日本では水を打つ、などと奥ゆかしい表現がありますが、こちらの水の利用は直接的です。

 さて値段が安くて意外に衛生的で安全面ではちょっと不安があってエアコンが効いていないのが泣き所の屋台ですが、メニューは豊富です(この話題に来るまで随分遠回りしました・・・)。ローカルな料理では、カレーや焼き飯・焼きソバのほか、野菜や肉や魚やカレーなどを自分の好みでその場で選んでご飯の上に乗せる、所謂ネコマンマはエコノミー・ライスと呼ばれ、昼食の定番になっています。シンガポールでも人気のラクサや、インド料理のタンドリーチキンやカレーもありますし、インドネシアのバリ料理、タイ風の焼き飯はじめタイ料理もあります。中華では、飲茶や普通の中華メニューもありますし、ワンタン麺や福建麺、蝦麺等々、麺類が豊富なのも嬉しい。麺の食べ方は、日本ではスープの中に麺を落とすのが普通ですが、そういったスープ・ヌードルでもない、焼きソバでもない、茹でた麺に濃い目のスープをぶっかけるドライ・ヌードルがこちらでは一般的です。そのほか、ピザやパスタやドイツ風ソーセージなどの西洋料理もありますし、チヂミや焼肉などの韓国料理、ちょっとした巻き寿司などの日本料理があることもあり、これら多彩な料理が一堂に集まって、好きなものを少しずつつまめるのが屋台の魅力です。

 私の一番のお勧めは、バクテー(肉骨茶)というローカルの鍋料理です。ニンニクや椎茸や漢方薬とともに豚の内臓などを煮込んだもので、よりによって暑いペナンで鍋!?と思いますし、漢方薬!?と言うとキツイ感じがしますが、これに台湾で粥に入れる油条(パンを油で揚げたもの)をぶち込んだり、ご飯にかけてずずっとすするのがなんとも爽快です。どんな味かを一言で説明するのは難しくて、むしろお店によって随分味が違って、漢方薬が強過ぎるところ、黒みがかった濃い味付けもあれば、クリア・スープであっさりしたものもあり、先ずはいろいろ試してみるのが良いでしょう。好みの味を探すのもまた楽しみの一つです。

2007年1月11日 (木)

ペナンの屋台の話(2)乾麺

 GeorgetownGurney Driveはペナンでも有数の屋台街で、現地の人だけでなく、観光バスでやって来る旅行者も多く、いつも賑わっています。最近、日本で、萩原流石さんがペナンを紹介するTV番組があったそうですが、その時にラーメンを食べた屋台も、このGurney Drive沿いです。

 屋台と言えば、バイクや小型乗用車で引っ張る移動式の、それ一軒で屋台を経営するものも勿論ありますが、通常は、比較的広い敷地内で、コーヒーショップを経営する家主が、いくつかの屋台に軒先を貸して、一種の屋台センターとして運営する形式が一般的です。こうした屋台に行くと、先ずはショバ代のように飲み物の注文を取られるのは、個々の屋台とは別勘定になっているためです。その上で、皆それぞれの品を注文するわけです。

 最近、気がついたのは、屋台に乾麺が目につくこと。中には、メニューにはっきりと出前一丁とうたっているものもあります。先日の日経に出ていたデータによると、昨年の日本国内の即席めん消費量は54億食で前年比2%減と頭打ち傾向にあるのに対し、それ以外の国々(中でも中国・香港・インドネシア・ベトナムなど)の伸びが著しく、世界の即席めん消費量は実に857億食で前年比7.5%増と、毎年、日本の年間消費量並みの市場が生まれている計算になるのだそうです。日本即席食品工業協会では、その理由として、近代化が進むアジアでは忙しい生活を送る人が多くなり、手軽に食べられるインスタントラーメンの需要が増えているのではないかと分析しているようですが、もともと中国や東南アジアの中華系の人々は、家で料理をしないで外で食事を済ませる人が圧倒的に多い土地柄、即席めん(乾麺)は保存がきくので、屋台やレストランや家庭にもどんどん浸透しているのだろうと思われます。

 因みにこの乾麺のことを、ペナンではマギー麺(ミィー)と呼ぶようです。Maggieというブランドは日本ではなくスイスのネスレだったと思いますが、複写機のことをゼロックスと呼び、紙おむつのことをパンパースと呼ぶのと同じ、固有名詞が一般名詞化した例のようです。日本より先に流行ったのでしょうか、日本ブランドではないところが、なんとも不思議です。

 前回、屋台は、衛生面では意外に悪くはないという話をしましたが、品質に関しては疑問を投げかける声が多いのが実情です。ラーメン一杯でたった2リンギッ(約60円)であることを考えると、品質にはかまっていられないのかもしれませんが、最近も、あの暑い中で腐敗を防ぐためでしょうか、ラーメンの麺にホウ酸を練りこんであるという話が話題になりました。また、東南アジアに頻繁に出張する知人からは、屋台の油は品質が悪く、食べ過ぎると体内に残って寿命を縮めるだけだと脅されたばかりです。

 それやこれやで、私自身は、最近、屋台に行くことがめっきり減りました。でも、短期間滞在される方は、折角の機会ですので、ペナンの味をご賞味されることをお勧めします。値段の割りに意外にイケます。一度や二度なら、寿命を縮めると言っても、たかが知れていますものね。。。

2007年1月 9日 (火)

ペナンの屋台の話(1)衛生的?

 日本からの来訪者は、決まって、屋台の食事は安くて美味しそうだけれど、衛生面で心配だと、口を揃えて言います。実は、マレーシアでは、衛生管理法の罰則が厳しく、不衛生な食品や食器が摘発されると店主や調理人は懲役刑を含む罰金刑の厳罰に処されると言われています。屋台が重要な観光資源の一つであるせいでしょうか。ちょっと見は不潔そうでも、店主や調理人は、ちゃんと水道水を使い、生モノを敬遠して、しっかり熱を通して殺菌・除菌するなど、衛星面では気を付けているようです。

 それでも、屋台で食あたりが無いわけではありません。私も過去一年間に二度ほど経験がありますが、それはどうやら、ちょっと疲れが溜まって体力が落ちている時など、自分の側に弱点がある時に起こるような気がします。そういう意味では、ぎりぎりのモノが出されていると考えておいた方がいい。そりゃそうです、こんなに暖かい国ですもの、いくら新鮮な食材を使って調理していいても、余程気を付けていないと、使っているそばから食材は傷んで行きますから。

 むしろ気をつけなければならないのは、水に当たることの方でしょう。実はペナンの水は、とても綺麗だと言われています。では何故、その綺麗な水にあたるのかと言うと、綺麗な水を運ぶ水道管が腐っていたりするわけです。インフラの貧弱さは、ペナンの泣きどころです。それでも、屋台やちゃんとしたレストランで出される氷は、マカロニ・スパゲッティのように空洞があって、いかにも製氷業者が作って供給するもので、特に問題ありません。問題なのは、カラオケ屋などの飲み屋が独自に水道水を凍らしてカチ割りにした水割りなどで、油断して腹をこわす例が、実は少なくありません。

こうして見ると、注意すべきは、屋台以外のところにあると言えるかも知れません。実は私は見てしまったのです。とある有名な会員制ゴルフ・クラブのクラブ・ハウスで飲むビールのジョッキは、カウンターの向こうに置かれたバケツの水にざぶっと漬けるだけで使い回されているという事実・・・やはり屋台ではないところの方が要注意!?

2007年1月 8日 (月)

ペナンの食事情

 ペナンは、古来、交通の要衝であり、民族とともに食文化も流入して、ローカルのマレー料理以外にさまざまな国の料理を味わうことが出来ます。

料理と言えば、先ずは中華料理。かつてサマセット・モーム(だったかな?)は、人生の至福として、イギリス人の給料を貰って、中国人のコックを雇い、アメリカの家に住んで、日本人の妻を娶ることだと言い切りました(と思います)。至言ですねえ。余談ですが、この内の1⇔2、3⇔4を入れ替えると大変です。中国人の給料を貰って、イギリス人のコックを雇い、日本の家に住んで、アメリカ人の妻を娶る・・・最悪の組合せですね。いずれにしてもコックにするなら、中国人(か日本人)でしょう(他は、想像したくない)。

先ずはマラッカ海峡地方特有の中華料理としてのニョニャ料理が有名です。17世紀以前にマレー半島に渡来した初期の中国人は、マレー人との融合を通して、双方の文化を取り入れた独自の社会を形成し、食文化についても、様々なスパイスを使うマレー料理の料理法を取り入れたユニークな中華料理を作り上げました。結果として見ればタイやインドネシアの味付けに近く、甘辛いもの(アッサム風)や酸味を利かせたものが多いのが特徴です。その他の地方の中華料理では、場所柄、福建(屋台の麺が有名)や潮州(海鮮粥が美味い)や海南チキンライス(ライスにチキン・ソテーを載せたもの)が圧倒的な人気を誇り、ローカルの新鮮な魚介類やオーストラリアのロブスターまである海鮮料理では、広東風の味付けのものもありますが、日本人に馴染みの一般的な中華料理(北京、四川、上海、湖南など)はここでは少数派です。また、スティーム・ボートと言って、鶏がらスープにその場で野菜や魚介類や肉をぶち込んで食べる中華風海鮮鍋(しゃぶしゃぶ)も人気があります。私の贔屓のスティーム・ボートの店では、日本人客に教えられたのか、ポン酢まで用意してあります。

 アジア近隣の料理としては、日本料理の人気が高く、ペナン島だけでもゆうに20軒を越えます。値段はどうしても高くなりますが、逆に客単価が高くて商売としての旨味があるせいか、その数は増える一方で、寿司・刺身を出すような店から、定食屋、居酒屋風の店まで、銀座の板さんを連れて来たところもあれば韓国人・中国人が経営する店もあり(こうした店だって決して侮れないところが、アメリカなどと違って、やはりアジアだからでしょう)、束の間、懐かしい日本を演出してくれます。また、インド料理も、リトル・インディア街だけでなく、街のあちこちにカレー店があり、ナンやロティとともに楽しめます(但し、カマドが必要なナンはどこでも食せるわけではなく、街中ではロティが多い)。タイ料理はもはや定番の一つと言うべきで、タイ料理と銘打ったお店こそそれほど多くありませんが、先ほど触れたニョニャ料理はタイの影響を強く受けていますし、屋台やFood Courtでは欠かせない存在です。宗教的に難しいような気がする韓国風焼肉店もいくつかありますし、珍しいところではバリ(インドネシア)やフィリピンの料理もあります。更に、最近は、若者が集まるGarageあたりでは、これらの諸地域の料理をまぜこぜにしたフュージョン料理とでも呼ぶべきお店も出てきました。

 一方、西洋料理に関しては、レストランの数は格段に少なくなりますが、イタリア料理やフランス料理などで、いくつか美味しいお店が存在します。イギリス風パブなどの飲み屋を見かけるのも、かつての大英帝国の支配を今に伝える名残りでしょうか。

 しかし、ペナンを代表する料理が屋台であることは、誰も否定しないでしょう。

2007年1月 7日 (日)

ペナンの新年と暦のはなし

 新しい年が明けました。忙しさにかまけてご無沙汰してしまいましたが、一年の計は元旦にあり、今日は元旦ではありませんが、もう一度、原点に戻って、日記を書き綴ろう、継続は力なりと、なんだか予備校の宣伝のようですが、決意致しました。

 以前にも触れましたが、こちらでは新年の祝日が三度あります。西洋暦、イスラム暦、中国暦の三度。今回は勿論、西洋暦(グレゴリオ暦)の新年であって、会社の休みもこの一日だけ。今年について見ると、イスラム暦の新年である1月20日は祝日ですし、中国暦の新年の2月18日が日曜日のため、19日が祝日で、会社は20日も休日です。

因みにイスラム暦ですが、正式な呼称はヒジュラ暦(欧米ではAnno Hijrae(「ヒジュラ後」)を略してA.H.と表記)、まさにこの文字通り、預言者マホメットがメッカからメディナへ移住(ヒジュラ、聖遷)した西暦(ユリウス暦)622年7月16日(15日との説も)を以って、ヒジュラ暦元年1月1日としています。純粋な太陰暦で、月の満ち欠けに従って29日の小の月と30日の大の月を交互に繰り返すので、一年は354日しかなく(但し30年の間に11回の閏年がある)、毎年、太陽暦から11日ずれるため、季節と月とは一致しなくなります(マレーシアに限ると、季節と言っても余り関係ありませんが)。また、ラマダン月の開始日は、新月の後、月を肉眼で確認し、しかも地上より見て5度の高さに達した時点を基準に決めるので、同じイスラム圏でも地球上の場所によって異なり得ますし、悪天候で確認出来ないと翌日に繰り延べになるなど、なかなか奥床しい話です。これは、ラマダン明けも同じで、イスラム暦の各月は新月の出る日を第一目としており、一日は日没に始まって日没に終るというのがイスラムの考え方です。

一方、中国暦は農暦、所謂太陰太陽暦で、月の長さを月齢約29.3日を基準に、1年における月の配列を太陽の運行を基準に定めています。先日、こちらの人の結婚式に参列した時に話題になったのですが、中華系の人にとって、新年はもとより、結婚式に相応しい日(月)も、旧暦に沿って決めているようです。

こうした民族としての固有の暦、固有の時間が守られている現実を見るにつけ、日本は明治になって(民衆レベルでは戦後あたりのように思いますが)いともあっさり暦を捨てたもんやなあと、アジアの中での非アジア的な存在であることと併せて、ちょっと複雑な気持ちになります。

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