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読書日記

  • あさのあつこ: バッテリー
    マンションのプールで子供たちを遊ばせながら、デッキチェアで寝そべって読むにはもってこいの軽さです。本の物理的な重さだけでなく、大人に読ませる児童書、とでも呼ぶのでしょうか、野球を軸にした物語で、スポ根でもなく、チーム愛とか友情を前面に出すわけでもなく、そういうところとはかけ離れたところから始まっているところが良かったし、なんとなく心のどこかで考えさせられるところが、適度な軽さでした。続きがつい読みたくなります。
  • 小阪修平: 思想としての全共闘世代
    この酔狂なテーマに接して、どのような視点をもてるかは、何年に大学に入学したか、学生運動のどの段階の経験・知識をもつかで変わってくると、著者は言いますが、まさにその通りでしょう。私は、全共闘世代の著者より15年も年下で、学生運動と言っても辛うじて余韻を吸っただけ。他の大学より、よほどその残り香は濃厚に残っていたので、私の世代の中では、より深いシンパシーを感じている方だと思いますが、それでも、かなり観念的です。実際、私自身は、育った時代が進歩的知識人全盛の頃だったので、その反発から思想的には保守寄り、伝統的な自由主義者で、学生運動への共感というのは、政治的な主張や思想的な面よりも、むしろ若者らしい現状への不満と変革への情熱に対するものと言えるかも知れません。それは、キューバ革命におけるゲバラに対する共感に近い。彼を衝き動かしたのは左翼思想ではなく、純粋な民族主義でした。もし著者と同世代だったら、私自身、どうなっていたか、ちょっと興味があります。そんな時代を懐かしむだけの本ではあるのですが、それを羨ましいと思わせる内容ではありました。 学生運動真っ盛りの頃、本当に革命が起こるのではないかという気分になったと述懐する人がいます。確かに、この本でも、初期(60年代前半)には市民の共感を得ていたとありました。先鋭化(武装化、過激化)して、一般学生からさえも支持を失って行った、そのあたりは別の論考になるのでしょうが、なんとなく学生が敏感に反応するところを、大人としても支持してあげたい時期があったことは、分かるような気がします。社会自体も、若かった。私にとっては、もはや歴史的事実として見てしまうからかも知れませんが、高度成長を遂げつつあるという、ある意味で歴史の転換点では、人々の意識も今ほど画一的ではないでしょうし、いろんな制度上の矛盾も噴出していただろうことは想像できます。そんな世の中の、雨降って地固まる前の、不安定な動きの中で、まだ共産主義への憧れが、幻想ではなく人々に情熱をもって抱かれていた、そうした不穏な時代の雰囲気は、なんとなくわくわくします。今だって、ある意味で歴史の転換点であり、変革の情熱を行動に移して行かなければならないのでしょうけど、私も社会も、ちょっと齢を重ねてしまったかもしれません(笑) 今、革命が起こるとは思えませんが、あり得るとすれば、若い情熱が発火点になるように思います。 (★★★★)
  • 藤原正彦: 国家の品格
    「蛙飛び込む水の音」という歌に対して、外国人は一匹じゃなくて何匹も飛び込む様を連想してしまうものらしい。自分の感性はやはり日本人だと、最近つくづく思うので、そのあたりはまさにフィットしました。ちょっと宗教に関しては認識不足じゃないかと思われるところもありますが、だいたい海外経験がある人なら、そうそう、その通り、よくぞ言ってくれら、というようなことが書いてあります。それから、論理じゃなくて感情、論理の出発点も結局は感情が規定するというのも、「われ思うゆえに我あり」のデカルトを持ち出すまでもなく、数学者なのに(数学者ゆえに?)、よくぞ言ってくれたと思います。話題になっただけあって、期待を裏切られない面白さです。 (★★★★★)
  • 加藤廣: 信長の棺
    本能寺の変の後、ついに見つからなかった信長の遺骸を追うという謎解きだけでも興味津々ですが、著者がサラリーマンを辞めて執筆した75歳の新人作家というのも興味津々です。よく史料を調べてあるということと、太田牛一という右筆(実際には違う説もあるようですが)を主人公に、著者自身を投影し、歴史上の疑問点のもちよう、推論を進める様は、なかなか面白い設定です。著者がコンサルタント的な業務に携わってきたことと無縁ではないでしょう。でも、難を言えば、ストーリー展開上、さんざん前半では引っ張っておきながら、最後の謎解きを一人の登場人物に淡々と語らせてしまうのは、あまりに安直です。それでも、ひととき、すべてを忘れて没頭できたので、よしとしましょう。信長というと、大河ドラマの館ひろしの顔が浮かんで困ってしまいましたが・・・^^; (★★★★)
  • リリー・フランキー: 東京タワー
    著者とは同世代に属するので、時代背景が重なって、とても身近に感じつつ読み進めました。結構あからさまで大胆な描写や、所謂マザコンぶりが淡々と綴られるわけですが、それをそうと感じさせない独特のリズムがあるのは、一つには、村上龍の「69」が長崎弁に救われていたように、ここでは福岡弁?に救われているからでしょうか。全編を通してほのぼのとした雰囲気を醸し出して、いい感じです。それからもう一つには、彼の率直さと曇りの無い目線のゆえでしょう。それにしても、自ら振り返り、母親の愛情の深さとか、それに応えようとする息子の気持ちは良く分るのですが、あらためて親子のありようは人それぞれだと(当たり前ですが)しみじみ思いました。なお、100万部を越えるベストセラーだと言うのは、ちょっと驚きです。この軽さは悪くないのですが、なんとなく三島由紀夫のような本格小説を読みたくなってきました。 (★★★★)

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2007年2月28日 (水)

ポッキー?ロッキー?

今回まで落穂拾いです。お許しください。

言わずと知れたグリコの「ポッキーPocky」が、マレーシアでは「ロッキーRocky」として売り出されているのは有名な話です。Wikipediaによると、一般に海外では「Mikado」という名で出ているようで、英語で「Pocky」が「あばたのある」という意味や、男性器の隠語でもあるためと説明していますが、マレーシアでのみ「Rocky」としている理由については明示されていません。こちらではムスリムの禁制品であるポークを連想させるからだというのが専らの噂です。写真はルネッサンス・ホテル横のセブンイレブンで撮ったものですが、ペナンでも同様です。

イスラム教にとって豚は不浄の動物です。食するどころか触れることも許されません。近所のスーパーでは、ポーク売り場は別会計になっていて、マレー人のおばさんたちがいる普通のレジを通さなくてもよいようになっています。初めてペナンに来た家内はそうと知らず、普通のレジにポーク製品を持ち込んで、人の好いレジのおばさんは拒絶こそしなかったそうですが、手に何重もビニール袋を巻いて厳重に取り扱って、大騒動だったそうです。

こちらでは、そうしたムスリム禁制品をまとめて「Non Halal」と称し、ムスリムの人が間違って手にしたり口にしたりしないように、屋台やスーパーで特別に掲示しています。豚のソーセージや、ワインなどのアルコール類がこれに当たります。一方、「Halal」はイスラムの律法に則った食べ物のことであり、アラーから許された食べ物になります。もとはアラビア語で「permissible」の意味で、アラビア語圏では広くイスラム律法で許されるもの一般を指し、マレーシアのようにアラビア語圏ではないところでは、許される食べ物を指すように、意味が狭くなるようです。同様に屋台やスーパーで紛らわしい場合にはきっちり明示しています。

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2007年2月27日 (火)

Kiblat

マラッカ旅行でさんざん引っ張ったので、すみやかに元に戻すべきところですが、いくつか落穂拾いを・・・と言っても、たまたまこの旅行で写真を撮っただけで、一般的な話題です。

先ずは、マレーシアのホテルに泊まると、天井に何やら矢印らしきシールが貼ってあることに気がつきます。「Kiblat」と言って、ムスリムのお祈りのために、メッカの方向を指し示しているのだそうです。この写真はルネッサンス・ホテルで撮ったもの。ペナンのホテルにも似たようなシールが貼ってあります。

マラッカではお祈りの声は聞こえてきませんでしたが、ペナンでは、アパートを決めるまで長期宿泊していたホテルでは、毎朝、近所のモスクでコーランを読む声がスピーカーを通して流れてきて、不思議な雰囲気に包まれたものでした。日の出前から日の入りまで、一日五回、お祈りするので、同じ数だけスピーカーから声が流れていることになります。私の会社のムスリムの人たちも、金曜日だけは特別のようで、昼休みは二時間くらいお祈りしていますし、政府系の職場では金曜日は仕事にならないなんて声も聞こえてきます。

こうして見ると、(マレーシアだけではないと思いますが)宗教は生活の一部なんですね。

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2007年2月26日 (月)

マラッカ紀行(4)旅情報

 ペナンからクアラルンプール(以下、KL)まで350Km、KLからマラッカまで150Km、朝のんびりしていると、到着は夕方になってしまいます。幸い、KLのような大都会に向かうのは、Chinese New Yearの民族大移動とは逆方向なので、スムーズに流れ、KLからマラッカまでも、片側三車線が二車線になるなどの車線工事があってやや渋滞しましたが、大きな遅れにはなりませんでした。

 帰路も同じ、KLからペナンまでは、民族大移動とは逆方向なので、問題ないはずでしたが・・・一箇所だけ、イポーのあたりで、ひどい渋滞に巻き込まれました。事故でもあったのかと思っていたら、料金所を過ぎたあたりで、こちら側の車線が2車線から1車線に減らされて、反対車線に変えられていたのです。いくら反対車線が混んでいたとは言え、料金所のカウンターの数が増えない限り、その手前の車線を増やしても束の間の気休めにしかならないはずですが、マレーシアで起こることは謎が多いです。

 外国のホテル代は日本と比べるとずっと安いですし、衛生面、セキュリティ面も考慮して、5つ星に泊まるようにしているのですが、今回泊まったルネッサンス・ホテルは、利便性、質素なまでの機能性等、シティホテルとしてはほぼ満足で、唯一欠点をあげるとすればレストランが高過ぎることでしょうか(CNY相場?)。A’Famosaリゾート・ホテルに泊まって、施設内の各種アトラクションを楽しんだ知人もいます。小さい子供がいる家族には良いかもしれません。

 日本からマラッカへの旅行者であれば、恐らくKLまたはシンガポールに立ち寄られるからよいでしょうが、ペナンからドライブして、マラッカが目的地だとすれば、そこまでの労力が割に合わないと思うかもしれません。KLで遊んだ上でマラッカまで足を延ばすか、あるいはマラッカからティオマン島など東海岸を経由してマレー半島を一周するコースの中で一日立ち寄るのであれば十分なような気がします。

2007年2月24日 (土)

マラッカ紀行(3)食の楽しみ

旅の楽しみの一つが、その土地の料理を味わうことだという人は少なくありません。かく言う私も、食べることと寝ることへの執念にかけては人後に落ちません。

初日の夜は、ポルトガル・スクェアでポルトガル料理をトライしたのは前述の通りです。トマト味のフライド・ライスがポルトガル名物かどうかは知りませんが、リゾット風でベトベトしていましたが、なかなか美味しく頂けました。家族旅行なので、子供たちが喜んで食べられるのが何よりも嬉しい。

二日目は、ダウンタウンを周遊し、昼は、ジョンカー通りにあるファモサ・チキン・ライスボールという、海南?チキンライス系レストランに立ち寄りました。お店の人によると、ゴルフボール大のライスボールがここの名物なのだそうで、ジンジャーと香菜で味付けして、殆ど粒が残らないほどに練りこんで、一個30セン、チキンをつまみながら、一人5個くらいはペロリと食べているようでした。日本人には馴染みの薄い味付けで、やや香りがきつく、後味が残るので、いくつも食べられるものではないように思います。

この日は旧正月の元旦であり、ダウンタウンのレストランの多くは開いていないだろうと思い、夜は、隣のシティ・ベイビュー・ホテルのSouthern Courtという中華レストランに行きました。四川・広東系ですがマレー地域特有の中華料理であるニョニャのメニューもあり、味は保証、特にホット・アンド・サワー・スープは、辛すぎず、コクがあって、子供たちにも大好評でした。

三日目の昼は動物園でパオ(包)、所謂マレーの肉まんを頬張っただけだったので、夜はちょっと豪勢に、泊まっているルネッサンス・ホテルのイタリア料理レストラン(Capers)に入りました。中華系にもいい加減飽きたからですが、さすがにアンチパスタもパスタもピザも味は良い代わりに、値段も良く、ペプシコーラRM10、エビアンRM13にはちょっと驚きました。ここはマレーシアではない!?

四日目の朝はクロコダイル・ファームに行って、昼は隣接するマクドナルドで済ませただけ。出張ではなく家族旅行なので、毎朝、ホテルのバッフェに始まり、昼・夜でも余り冒険が出来ず、私としてはちょっと物足りないくらいの食生活でしたが、ペナンとそれほど大差ないだろうという割り切りもあり、大当たりもなければ大外れもなく、そこそこ満足の4日間でした。

2007年2月23日 (金)

マラッカ紀行(2)観光名所

ダウンタウン周辺の観光名所は、一日もあれば十分に歩いて回れるほどの広がりです。

観光の出発点は、街の中心で、インフォメーション・センターもあるオランダ広場でしょう。この周りには赤土を塗って仕上げたオランダ建築が並んでおり、目を惹きます。キリスト教会(1753年建造)があり、東南アジア最古のオランダ建築と言われるスタダイス(かつては市庁舎で、現在は博物館)があります。ペナンにもいるトライショー(マレー版人力車)が、CNYChinese New YearVersionで派手に飾り立てて、盛んに呼び込みを行っていました。その裏手は昨日触れたセント・ポールの丘です。

マラッカと言えば、マレー半島で最初に定住した場所であり、マレーシアが1957年に独立宣言したした場所でもあったので(クアラルンプールではなかったのですね)、国家としてのマレーシア生誕の地(the Birthplace of Malaysia)と言われ、マレーシア最古と呼ばれる寺院が、マラッカ川を境に広場とは反対側のダウンタウンの街並みの中に、ひっそりと佇んでいます。

その一つは、観光の中心地であるスタダイスから歩いて10分ほどのトゥカン・エマス通りにある、チェン・フーン・テン寺院(青雲亭)で、マレーシア最古の中国寺院(1646年創建)であり、また同じ通りに並んでいるスリ・ポヤタ・ヴィナヤガ・ムーティ寺院(Sri Poyyatha Vinayagar Moorthi Temple)は、マレーシア最古のヒンドゥー教寺院(1781年創建)です。更に、通りを少し離れたカンポン・フル・モスク(Masjid Kampung Hulu)は、マレーシア最古のイスラム教寺院(1728年創建)として知られています。

マラッカの周辺にも見所はあり、アイル・ケローにはマレーシア第二の規模を誇る動物園がありますし(なかなか侮れません、オランウータンのショーは一見の価値あり)、私は行きませんでしたがミニ・マレーシアやミニ・アセアンなどのテーマパークもあります。

コマーシャリズムに溢れていること、いずこも同じですが、ダウンタウンの街並みは異国情緒溢れて、私のお気に入りです。せめて往時を偲びつつ、のんびり歩いてみたいものです。

写真をフォト・アルバムにアップしましたので、興味がある方はご覧下さい。

2007年2月21日 (水)

マラッカ紀行(1)異国情緒

Chinese New Yearの休暇にマラッカに行って来ました。異国情緒溢れた、小ぢんまりした可愛らしい街・・・というのは、確かに事実なのですが、私自身、大いに期待していたところがあって、実はちょっと拍子抜けでした。これも、ペナンに住んでいるからこそ、そう思ったのであって、ペナンを知らずに日本から直接たずね歩いたら、きっと感動していたと思います。それほどペナンにもイギリス統治時代の面影がそこかしこに残っていて、ちょっと薄汚れていますが、異国情緒溢れた街なのだと、あらためて見直したのでした。

さて、モノの本によると、14世紀末にスマトラ島の貴族によって建国されたマラッカ王国は、インド商人の影響を受けてヒンドゥー化していたところ、二代目の時代にイスラム教が伝えられ、当時、海上貿易を握っていたムスリム商人を惹きつけ、王国は繁栄の道を歩むことになります。そのせいもあって、16世紀以降は欧州の歴史のうねりの中に呑み込まれます。1511年からの130年間はポルトガルの支配を受け、その後1641年からの154年間はオランダの、更に1795年からの162年間(1957年の独立まで)はイギリスの支配を受けることになるのです。

セント・ポールの丘の上には、ポルトガル人によって建造されたというセント・ポール教会の壁の一部が残されており、殆ど朽ち果てていますが、その裏手にはオランダ統治時代の墓石が残されています。その麓には、かつて東洋一の堅牢さを誇ったという、ポルトガル時代以来のサンチャゴ砦の一部が残されていますが、イギリス軍に破壊されたため、現在、残っているのはオランダが再建した門だけなのだそうです。と言うように、ポルトガル、オランダ、イギリスの歴史が重層的に折り重なり、なかなか興味深い建造物や遺構を現在に伝えています。

ポルトガル・セトルメントには、本国ではもはや話す人がいない中世のポルトガル語の方言をいまだに話し、主に漁師として生計をたてている500人ほどのコミュニティがあるそうです。これもまた意外なところで痕跡をとどめる文化の一類型なのでしょう。しかし、私たちの目に触れることはなさそうで、私が訪れたポルトガル・スクェアで、ポルトガル料理レストランとしてガイドブックに紹介されている店で、是非ともポルトガルらしい食事をと、お店の人にわざわざ尋ねて注文して出てきた料理は、スープに辛うじて強めの香料が感じられたに過ぎず、ペナンで食べる屋台の食事とほとんど見分けがつきませんでした。

2007年2月16日 (金)

ペナンの海賊

前々回、無いものは無いと申し上げましたが、あるところにはあるのも、東南アジアならでは。マラッカ海峡のペナン界隈で海賊が出て日本の漁船が被害にあったのは記憶に新しいですが、海賊版XXXも、あるところにはあります。近所のある鄙びたショッピングモールにも、海賊版DVDを売る店が一つや二つではありません。そのせいでしょう、ペナンではレンタル・ビデオの店は皆無ですし、映画館もあるにはありますが、多くはなく、メジャーでは無さそうです。

なにしろ最新のハリウッド映画もあっと言う間に出回ります。封切り後ほどない映画館でデジタル・ビデオカメラで撮影した粗悪品もある(人影が映っていたり!)と噂されますが、今のところ出会ったことはありません。リージョン・コードも見事に外してあります。二年ほど前は12リンギッ(約360円)で、それでも安いと思いましたが、今や値はその半分まで下がりました。この業界でも競争が激しいのか、在庫がだぶついているのでしょう。

海賊版と言えば、ビーチ・リゾートで有名なバツー・フェリンギのナイト・マーケットでは、観光客向けに、DVDだけでなく、時計や鞄も選り取りみどりです。時々、税関の査察が入るというので、一斉に店仕舞いすることがありますが、その変わり身の早さもまた見事、きっと裏で通じているのでしょう。

今を遡ること二十年近く前、台湾に毎月のように出張しては、知人に頼まれて偽ブランドの時計や鞄をこっそり持ち帰ったものでした。当時、海賊版は、品質の違いが明らかであり、所詮は海賊版として楽しんでいただけで、純正品としてのブランドを損なうものではなかったように思いますが、DVDとなるとちょっと話は違って来ます。いずれにしても、これもまたアジアらしい一面と言えましょうか。

2007年2月15日 (木)

バレンタインデー

今日の夕方、帰り間際に、ペナン・ブリッジが渋滞しているとの情報が入ったので、渋滞に巻き込まれるよりは、同僚と会社近辺で食事でもして、時間をずらせて帰ることにしたのですが、どのレストランも満席、駐車場も待ち行列が出来ている有様。Chinese New Yearの前哨戦かと思いきや、どうやらこれはバレンタインデーのせいのようです。

女性から男性にチョコレートを送る日だというのは日本だけの習慣ですが、こちらの人にそう説明すると、一様にウッソー!?となります。しかもこれはチョコレート屋さんが仕組んだことだと付け加えると、えーっ!?と信用されません。一ヵ月後には、男性からお返しするのだとフォローすると、ようやく納得されますが、ダイヤでも買ってあげるの?と、女性は願望を述べ立てます。

一般には、今日のような日に夕方も居残っていると、奥さんと食事でもしないの?と聞かれます。オフィスを見渡すといつの間にかスカスカで、若いカップルほど一緒にディナーに出かけることが多いようです。日本でも食事付きなのでしょうけど、日本の習慣もなかなかいいと思うのは、男の言い分、でしょうか?

ペナンで飲む紹興酒

アルコール・ネタをもう一つ。レストランによっては、アルコールを出せないところ、出せてもビールまでのところ、紹興酒やウィスキーも出せるところと、酒類免許にはいくつかあるようです。

いつも人気のガーニー・ドライブ沿いのシーフード・レストランでの話です。まだ通い始めて間もなくの頃、日本の親会社から幹部が来られたとあって、盛大におもてなししようと、お店からはビール以外に酒はないと釘を刺されたにも関わらず、紹興酒が良いと、泣き落として、ようやく出してもらった紹興酒の味が、どうもおかしい。いつものコクがないのです。店員に文句を言ってみたものの、これが紹興酒だ、の一点張り。

その内、誰かがしげしげと紹興酒のラベルを眺め始め、ついに美味しくない理由を突き止めました。ラベルの下の方にくっきりと二文字が書かれてあったのです、“for cooking”と。結局、怒りを通り越して、一同、苦笑い。

以来、その店で飲む時は、自分たちが飲みたい酒を持ち込むようにしています(持ち込み料は取られません)。それにしても、あの店員は、酔っ払いだからどうせ味は分からないだろうとナメていたのか、否、わがままな日本人だけど、なんとかしてあげようと苦し紛れに探し出して来たのでしょう。でも、無いものは、無い。ペナンで無理強いは出来ません。

2007年2月14日 (水)

ペナンで飲むビール

(昨日の続きで)ビールと言えば・・・本来、イスラム教はビールをはじめアルコール類がご法度ですが、ペナンは中華系住民が多いこともあって、レストランや屋台で普通に酒類を求めることが出来ます。

こちらで飲むビールで圧倒的に多いのは、地元のタイガー・ビール(シンガポール)と、早くから現地に進出したカールスバーグ(デンマーク)の二つです。そのほかヨーロッパ系のギネス(アイルランド)やハイネケン(オランダ)もありますが、実はセランゴールに工場を持つギネス・アンカー社が、ギネス、ハイネケン、タイガー、アンカーの各ブランドのビールを生産・販売しているらしいのです。日本食レストランに行けば、もちろん日本の銘柄も見かけます(アサヒはタイで生産、キリン、サッポロは輸入)。

ペナンに来た当初、まだいろいろなレストランを試していた頃、とあるホテルで見つけた日本食レストランに入ってみた時のことです。余り繁盛している様子はなく、ちょっと警戒しつつ、アサヒ・スーパードライをオーダーすると、グラスに注がれて出て来たのは、なんとも青島ビールのような(青島ビールの方、ごめんなさい)水っぽい、腑抜けた味のビールです。思わず店員を呼びつけて、これは絶対アサヒ・スーパードライじゃないと文句を言って、瓶のまま持って来るように要求したら、紛れも無いアサヒ・スーパードライでした。

日本で飲む日本のビールは、本当に美味い。それは流通経路でもしっかり品質管理が出来ているからでしょう。ペナンのような南国では、ちょっと油断して流通経路で冷蔵保存出来なければ、たちまち青島ビールのようになってしまいます(青島ビールの方、ごめんなさい)。以来、ペナンで飲むビールは、タイガーかカールスバーグ、決して多くを求めない私です。

2007年2月13日 (火)

ペナンとの時差

日本との時差は1時間です。

先ほどのブログで、日の出が7時頃というのは遅いと思われたことでしょう。これは、タイムゾーンの世界地図をご覧になって頂ければ分かりますが、東西に広がるマレーシアを、無理やり一つの時間帯に押し込めているためです。タイの真南にあるペナンを、フィリピンの南西にあるボルネオ島(半分はマレーシア、残りの半分はインドネシア)と同じ時間帯にしているのがおかしいのであって、本来であれば、ペナンは、タイと同様、日本と2時間差があってもよいくらいなのです。

こうして、日の入りも遅くなるため、年中、欧米でお馴染み夏時間(DSTDaylight Saving Time)のように、夕方遅くまで明るく、なんとなく得した気分になります。これで仕事が楽で、同僚や家族と、戸外でビールでも飲んでくつろぐ時間があれば最高なんですけど・・・

ペナンの日の出

 ペナンの日の出は、赤道付近に位置するせいか年中だいたい同じ7時頃で、朝、家を出ると、まだ眩しさを増す前の穏やかな太陽を拝むことが出来ます。これは、ペナンの周囲(東方)にそれほど高い山がないせいでもあります。

ご存知の通り、太陽は、水平線(または地平線)から昇ったばかりの時は、大気層を長く通過し、青系の光が散乱して、オレンジ色のナトリウム灯の照明のように、まんまるの球体がぼんやり霧に浮かんで、弱々しくも怪しい光を放って、つい惹き込まれてしまいます。

ところがペナン・ブリッジにかかる頃には、高度を増して俄かに眩しくなります。特に1月の雨季明けの時期にはペナン・ブリッジ正面方向に昇るので、眩しくて運転に支障があるほどです。こちらに赴任する前に度付きのサングラスを作ってきたのは、夕方、ペナン・ヒルに沈む夕陽が眩しかろうと備えてのことでしたが、実際にはそんな時間に帰宅出来るわけでもなく、この時期の朝日対策に有効活用している始末です。もっと優雅な駐在員生活にしたいものですが・・・

2007年2月11日 (日)

ペナンの結婚式

先日、会社の同僚の結婚披露宴に出席しました。

彼女は中華系マレー人で、どちらかと言うと目立たない地味なタイプの美人です。父上が建設業を営む地元の名士だと聞いていたので、豪華な披露宴だろうとちょっと楽しみにしていたら、会場はペナン島ではなく、半島側のちょっと鄙びた街の中華レストランだといいます。一瞬、怪訝に思いましたが、会場に着いてその疑念は吹き飛びました。1フロアに500人は収容出来ようかという派手なつくりの立派なレストランです。中国人らしさを象徴するように、そのフロアを埋め尽くすほどの盛況ぶり。もっとも、ゲストとして招かれた同僚の中には、新婦とは縁もゆかりもない旦那や子供まで連れて来ている人もいて、それもまた中国人らしいコネクションとして歓迎されるのでしょうが、どうせその程度にインフレ気味なのだろうと高を括っていたら、なんとその日は新婦側のゲスとのみで、翌日には新郎側ゲストを招いて同じ規模の宴会をやるとのこと。これにはさすがにぶったまげてしまいました。

こちらの結婚式はどんなものかと言うと・・・レストランの入口で新郎・新婦とご両親のお出迎えがあり、ここで本人の新婦にお祝いの金一封を直接手渡します。自分が食べる食事代プラスアルファということでしたが、会社の上司筋なのでちょっと多めに50リンギッ包みました。司会進行がいて仕切るわけではなく、飲んで喋っている内に、やがて食事が始まって、途中で何人かの要人から挨拶があったり、騒々しくカラオケが始まったりもしましたが、それほど派手な演出もなく、食事が終わると、皆、三々五々抜けて行きます。

実は結婚式そのものが本題ではありません。そこで出た料理の品は8皿と、縁起のよい数でしたし、結婚するのも、旧暦でどの月が良いと決まっていて、その通りに守られているのだそうです。別の中華レストランの旧正月の休業案内は、イブの31日は3時で終わりと旧暦で書かれてあって、西洋暦では17日のはずなのにと、日本人の私は混乱するばかりですが、そういった固有の習慣を守り続ける中国人の方を面白く思ったのでした。

2007年2月 9日 (金)

ペナンのポンカン

会議から席に戻ると、オフィスの机の上にポンカンが置いてありました。銀行からのツケ届けらしい。

就職してから住んでいた東京では余り見なかったポンカンですが、子供の頃、毎年、冬になると、私の生まれ故郷・鹿児島から当時住んでいた大阪にポンカンのみかん箱が送られて来ていて、私にとっては懐かしい冬の風物詩の一つです。外皮は剥き易い上、内皮も柔らかくてそのまま口に放り込める手軽さと、独特の風味と甘さがあり、子供には格好の好物でした。私の両親は、みかん類が豊富な鹿児島生まれだからでしょうか、普通の所謂みかんは「温州みかん(または単に温州)」と呼んで、それぞれに区別していました。

このポンカンが、Chinese New Yearにお祝いの果物として大活躍するらしいのです。日本語では椪柑と書くようですが(難しい漢字ですね)、先日、近所のスーパーマーケットで売られていた箱には、中国語で甜甜(Tian Tian)と書いてありました。Taiwan Ponkamと書いてあるものもあります(日本輸出用でしょうか、よく分かりません)。あちらこちらの店頭がおめでたい赤で飾られる中で、オレンジのポンカンがよく似合います。ジューシーさが口一杯に広がって、束の間、懐かしい気持ちに満たされました。言葉の記憶より、よほど味覚や嗅覚の記憶というのは、確かなようです。

2007年2月 7日 (水)

ペナンのChinese New Yearの過ごし方

 今年のChinese New Yearの祝日は、18日(日)と19日(月)の二日間で、翌20日(火)が18日の振替休日になるので都合4連休ですが、中国系の人は、19日の週をフルに休暇にしてしまう人がほとんどです。

 先週、秘書から、21日(水)~23日(金)の休暇取得申請があったのに続いて(理由は、休暇に入る子供のケアのため)、今日は、16日(金)の追加休暇申請がありました(理由は、Chinese New Year準備のため)。ちゃっかり10日間の大型連休ですが、止むを得ません。日本のお正月や、アメリカで言うThanksgivingと同じで、皆、家族や親族とともに故郷で過ごす大事な休暇なのです。

 ことほど左様に、働き者の中国人もこの時ばかりは纏まった休暇を取るので、レストランも閉まってしまうことが多く、帰る故郷がない我が家は(冬場の日本を避けているだけですが)、昨年はクアラルンプールの知人宅とホテルで過ごしました。マレー半島を南北に走るNorth South Highwayをひたすら南下したのですが、ペナンからクアラルンプールまでの350Km、4時間弱のドライブの間、クアラルンプールを脱出する反対車線は、驚いたことに延々350KMの数珠繋ぎのノロノロ運転でした。さながら民族大移動、よくもまあこんなに車があるものだと、ただただ関心したものでした。

 今年、我が家は、更に足を延ばしてマラッカで過ごす予定です。

2007年2月 6日 (火)

ペナンの雨季明け宣言

 日本では、気象庁が梅雨明け「宣言」を出して、本格的な夏が始まるのは、ごく自然な恒例行事になっていますが、マレーシアには日本と同じような意味合いでの雨季明け「宣言」は無いようです。考えてみれば、自然の営みのことなのに、お役所が宣言するなど、ちょっと滑稽、と言うよりもむしろ、巫女さんが農民に対してお告げをする(かどうか知りませんが)神事を引き継いでいるかのようで、きわめて日本的と言うべきかもしれません。勿論、こちらでもニュースのネタとして雨季が明けたかどうかが話題になることはあります。とりわけ今年はジョホール方面でいつまでも洪水被害がひどく、メディアも、雨季(モンスーン・シーズン)が明けたかどうか明言することには、頭を悩ませているようです。

 実際、周囲の人に、雨季は明けたのか尋ねてみると、人によって言うことは様々です。雨季は通常12月で終わるものだ、と言い切る人もいれば、旧正月(中国暦)の前には明けているよ、とやや控え目な人もいます。私自身は、三週間前のある朝、とても美しい日の出を拝むことが出来たので、個人的に雨季明け宣言を出し、次の日も、朝日が美しかったので、松坂じゃないですが、自信が確信に変わったのでしたが、その夕方、激しい夕立(スコール)があり、ものの見事に外してしまいました。でも、その後、ペナンでは、雨季には毎日のようにあった激しい夕立が絶えて久しく、良い天気が続いていますから、あながち外れとも言えないかも知れません。

 洪水に関しては、被害にあわれている方々には気の毒ですが、ちょっとした洪水は身近にごく当たり前に見られます。ノロノロ運転なので、事故でもあったのかと思っていたら、低地の道路に大きな水溜りが出来ていたとか、あるいはタイヤ三分の一程度の浸水も経験があります。それだけ、こちらのスコールは激しいと言えますし、また、排水(下水道)のインフラも十分ではないと言えます。そういう意味では、ちょうど私たちが子供の頃の日本を彷彿とさせ、台風にドキドキしていたあの頃のように、ちょっと懐かしい気持ちになります。

2007年2月 5日 (月)

ペナンのスターバックス(続)

 私がいつも利用するのは、Gurney Hotel横のスタバです。有料駐車場しかないのが玉に瑕ですが、朝の出勤時は見張り(切符切り)のお兄さんも出勤していないのでオッケー。何故か毎日少しずつ店員の顔ぶれが異なるのですが、いつのまにか全員と顔馴染みになりました。マクドナルド的な形式とはまた一味違ったフレンドリーなところが良い。こうした違いはどこから来るのでしょうか。

 先日、会社そばのAuto City(インターチェンジにあるカー・ディーラとレストラン街)にスタバがオープンしたので、寄ってみると、いつもの店員にばったり出くわしました。聞くところによると、トレーナーとして新規開店したお店の応援に来ているとのこと。スタバには2日か3日だかの新人研修もあると聞いたことがありますが、サービス・レベル維持への工夫と熱意を感じます。それに引き換え、Auto Cityに出来たレストランの多くは、サービスがお粗末です。俄仕込みで掻き集めた店員に十分な教育を施していないせいでしょう、厨房の仕事の段取りが悪いのか、厨房と給仕との間のリソース配分が悪いのか、さんざん待たされているのに、給仕は手持ち無沙汰でぶらぶらしていて、それでいて何も悪びれるところがない。マクドナルドはさすがに段取りが良く、笑顔無料のサービスも健在ですが、所詮はメニューに載る程度のものでしかない。

個々のお店は勿論、個々の商品やサービスを売っているわけですが、消費者の立場からすると、ただそれだけではない、その経験を買っていると言われます。スタバは、コーヒーそのものを提供するのではなく、コーヒーを飲む場所と雰囲気、つまりはコーヒーを飲む時間(経験)を売っているのだと聞いたことがあります。そういうレベルから商売を考えているからこそのサービスと言えるのでしょう。洗練された商売の先進国とマレーシアとの間の彼我の差を感じてしまう領域です(これは一般論で、個々には良いお店が一杯あるんですけどね)。

2007年2月 3日 (土)

タイプーサムThaipusam

 木曜日はタイプーサムで、祝日でした。タイプーサムというのは、インド系マレー人(ヒンドゥー教徒)に伝わる奇祭で、鉄串やホックを身体に刺して練り歩くのだそうです(詳しくは、http://www.junmas.com/classic/happening/thaipusam/thaipusam.htmlのサイトをご覧ください)。怖いもの見たさとはよく言いますが、小さい子連れで見るのも刺激が強過ぎてどうかと思い、さりとて一人で出かけるほどの強い興味があるわけでもなく(実はちょっと怖かったりして)、都合よく仕事が入ってしまったので、今年も見ることが出来ませんでした。

 余りの激しさに、本国インドでは禁止されていると言われますが、知り合いのインド人に聞いたら、確かに現代のインドでは見かけないとのこと。文化は人とともに伝播し、何らかの形でいろいろなところに痕跡をとどめ、他と融合しては形を変えて残るもので、これもその一つの証左と言えましょうか。かつての中国は、焚書坑儒のように、政権が交代するたびに前政権の文化や歴史を抹殺する激しさがあり、中国の古書は意外にも日本に多く残存するものだと内藤湖南が言っていましたが、このタイプーサムにも、同じような文化の数奇な運命を見る思いがします。

 また、宗教心は、平均的な日本人の私には分かりかねますが、本国を離れたインド人のアイデンティティーを守り続ける思いのようなものも感じます。たとえばアメリカは、文明という一種の衣をまとった他民族国家ですが、その衣を一皮めくると、それぞれの文化が、皮膚感覚として残っています。海外にいる少数民族は、華僑ほどの結束力はないにせよ、そういった皮膚感覚をたよりに何らかの絆を求めます。かつてサンフランシスコで孤軍奮闘する野茂英雄の姿に感動し、同胞としての誇りを抱いたのも、根っこのところで繋がっている気がします。

 そんなことをつらつら思いながら、前日の夜、また当日の宴の後のちょっと渋滞した中、家路をたどったのでした。

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