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読書日記

  • あさのあつこ: バッテリー
    マンションのプールで子供たちを遊ばせながら、デッキチェアで寝そべって読むにはもってこいの軽さです。本の物理的な重さだけでなく、大人に読ませる児童書、とでも呼ぶのでしょうか、野球を軸にした物語で、スポ根でもなく、チーム愛とか友情を前面に出すわけでもなく、そういうところとはかけ離れたところから始まっているところが良かったし、なんとなく心のどこかで考えさせられるところが、適度な軽さでした。続きがつい読みたくなります。
  • 小阪修平: 思想としての全共闘世代
    この酔狂なテーマに接して、どのような視点をもてるかは、何年に大学に入学したか、学生運動のどの段階の経験・知識をもつかで変わってくると、著者は言いますが、まさにその通りでしょう。私は、全共闘世代の著者より15年も年下で、学生運動と言っても辛うじて余韻を吸っただけ。他の大学より、よほどその残り香は濃厚に残っていたので、私の世代の中では、より深いシンパシーを感じている方だと思いますが、それでも、かなり観念的です。実際、私自身は、育った時代が進歩的知識人全盛の頃だったので、その反発から思想的には保守寄り、伝統的な自由主義者で、学生運動への共感というのは、政治的な主張や思想的な面よりも、むしろ若者らしい現状への不満と変革への情熱に対するものと言えるかも知れません。それは、キューバ革命におけるゲバラに対する共感に近い。彼を衝き動かしたのは左翼思想ではなく、純粋な民族主義でした。もし著者と同世代だったら、私自身、どうなっていたか、ちょっと興味があります。そんな時代を懐かしむだけの本ではあるのですが、それを羨ましいと思わせる内容ではありました。 学生運動真っ盛りの頃、本当に革命が起こるのではないかという気分になったと述懐する人がいます。確かに、この本でも、初期(60年代前半)には市民の共感を得ていたとありました。先鋭化(武装化、過激化)して、一般学生からさえも支持を失って行った、そのあたりは別の論考になるのでしょうが、なんとなく学生が敏感に反応するところを、大人としても支持してあげたい時期があったことは、分かるような気がします。社会自体も、若かった。私にとっては、もはや歴史的事実として見てしまうからかも知れませんが、高度成長を遂げつつあるという、ある意味で歴史の転換点では、人々の意識も今ほど画一的ではないでしょうし、いろんな制度上の矛盾も噴出していただろうことは想像できます。そんな世の中の、雨降って地固まる前の、不安定な動きの中で、まだ共産主義への憧れが、幻想ではなく人々に情熱をもって抱かれていた、そうした不穏な時代の雰囲気は、なんとなくわくわくします。今だって、ある意味で歴史の転換点であり、変革の情熱を行動に移して行かなければならないのでしょうけど、私も社会も、ちょっと齢を重ねてしまったかもしれません(笑) 今、革命が起こるとは思えませんが、あり得るとすれば、若い情熱が発火点になるように思います。 (★★★★)
  • 藤原正彦: 国家の品格
    「蛙飛び込む水の音」という歌に対して、外国人は一匹じゃなくて何匹も飛び込む様を連想してしまうものらしい。自分の感性はやはり日本人だと、最近つくづく思うので、そのあたりはまさにフィットしました。ちょっと宗教に関しては認識不足じゃないかと思われるところもありますが、だいたい海外経験がある人なら、そうそう、その通り、よくぞ言ってくれら、というようなことが書いてあります。それから、論理じゃなくて感情、論理の出発点も結局は感情が規定するというのも、「われ思うゆえに我あり」のデカルトを持ち出すまでもなく、数学者なのに(数学者ゆえに?)、よくぞ言ってくれたと思います。話題になっただけあって、期待を裏切られない面白さです。 (★★★★★)
  • 加藤廣: 信長の棺
    本能寺の変の後、ついに見つからなかった信長の遺骸を追うという謎解きだけでも興味津々ですが、著者がサラリーマンを辞めて執筆した75歳の新人作家というのも興味津々です。よく史料を調べてあるということと、太田牛一という右筆(実際には違う説もあるようですが)を主人公に、著者自身を投影し、歴史上の疑問点のもちよう、推論を進める様は、なかなか面白い設定です。著者がコンサルタント的な業務に携わってきたことと無縁ではないでしょう。でも、難を言えば、ストーリー展開上、さんざん前半では引っ張っておきながら、最後の謎解きを一人の登場人物に淡々と語らせてしまうのは、あまりに安直です。それでも、ひととき、すべてを忘れて没頭できたので、よしとしましょう。信長というと、大河ドラマの館ひろしの顔が浮かんで困ってしまいましたが・・・^^; (★★★★)
  • リリー・フランキー: 東京タワー
    著者とは同世代に属するので、時代背景が重なって、とても身近に感じつつ読み進めました。結構あからさまで大胆な描写や、所謂マザコンぶりが淡々と綴られるわけですが、それをそうと感じさせない独特のリズムがあるのは、一つには、村上龍の「69」が長崎弁に救われていたように、ここでは福岡弁?に救われているからでしょうか。全編を通してほのぼのとした雰囲気を醸し出して、いい感じです。それからもう一つには、彼の率直さと曇りの無い目線のゆえでしょう。それにしても、自ら振り返り、母親の愛情の深さとか、それに応えようとする息子の気持ちは良く分るのですが、あらためて親子のありようは人それぞれだと(当たり前ですが)しみじみ思いました。なお、100万部を越えるベストセラーだと言うのは、ちょっと驚きです。この軽さは悪くないのですが、なんとなく三島由紀夫のような本格小説を読みたくなってきました。 (★★★★)

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2007年4月28日 (土)

ドライビング・レンジ

以前、宣言したように、心を入れ替えてゴルフに打ち込むべく、会社の帰り道に時々ドライビング・レンジに寄っています。週に最低2回は通いたいところですが、なかなかそうは問屋が卸しません。ペナンは夜でも蒸し暑く、光を求めて蚊や虫が寄ってきますが、100発で心地よく汗をかいて、RM9.5リンギッ(300円)ですから、なかなかお得感があります。

事務所の人に尋ねると、レッスンプロもいて、各1時間10回コースでRM500、1回だけのスポットでRM70ということでした。スポットで見てもらって、進捗チェックするのもいいかなあと思います。

なにより、こんな僕でもたまには大当たりして、ストレスも吹っ飛ぶのがいいです。

2007年4月27日 (金)

マレーシアの国王

昨日(4月26日)はマレーシア国王の就任式でした。政府は、5月2日の振替休日化とともに、この日も役所やローカルの学校は休日にすることを、4月初めに同時発表していましたが、一般企業は置いてきぼり。同様の措置を講じてもらいたいという希望表明だったため、私の会社は通常勤務でした。そのため、私の秘書をはじめ周囲には、学校が休みのために子供の世話をしなければならないと有休を取った人が何人かいました。

マレーシアの君主制はとてもユニークなシステムを採用しています。13州の内、9州に世襲の州王(スルタン)がおり、この9人の中から、5年任期で、国王(Agongと呼びます)を互選する仕組みです(実態は輪番制で、二周目に入りましたが、今のところ一周目と同じ順番のようです)。かつて植民地化される以前は、それぞれの州は首長国でありスルタンは首長だったという事実、またマレーシアはその上にたつ連邦国家であるという、これまでの生い立ちを尊重していると言えます。この国の国王は、内閣の補佐を受けて行政を担当するとされますが、主な公務は、首相の任命、国会の解散請求への同意の留保、スルタンの特権などに関するスルタン会議の開催などで、どちらかと言うと日本と同じように象徴的存在で、ラマダンに入る時期を決定するというように、政治的な権力と言うより宗教上の権威として位置づけられているようです。それは1874年にイギリスが当時のペラ王国スルタンと結んだパンコール条約(その後、他のスルタンとも締結)に端を発するのではないかという説もあります。その内容は、スルタンの権限はマレー人の宗教(イスラム)と慣習(アダット)の範囲内に制限し、徴税権、警察権などはイギリス人理事官が掌握するというものでした。こうして、マレー人の定義自体はやや曖昧な部分がありますが、象徴的存在としての王権は不可欠なものとして制度化されたというわけです。

それはともかく、新国王は、トレンガヌ州のスルタンで、1957年の建国以来、13代目にあたります。44歳で、史上二番目に若い国王だと言うくらいですから、互選はSeniorな人から選ぶという方針が有名無実化していることが伺えます。この国では国王と王妃の写真を飾ることが奨励されており、だいたい学校や企業のオフィスでは見かけますので、新国王の写真需要がにわかに高まるのでしょうね。なんとなくそういうところが不思議です。

2007年4月25日 (水)

クレジットカード詐欺

今朝、クレジットカード会社から電話が入りました。ネット上でクレジットカードを使わなかったかどうか確認の問合せでした。いつのことかと尋ねると、まさに今のことだと言います。既に会社の始業時間に入っており、使っているわけがないと答えると、今度は、家族が使った可能性はないかと畳み掛けられました。それはない。ならば、詐欺だねと、納得したようなモノの言いです。身に覚えのないネット利用による請求はこれで三度目だと憤ると(最初の二回はクレームして返金済)、即刻、クレジットカードをキャンセルすることになりました。実働4日で新しいカードが届くから、それまで待ってほしいと。

以前、一日の内に5~6回クレジットカードを使った時、やはりカード会社から電話で、複数回使ったかどうか確認の問合せがありました。高額の利用の時にも、確認の電話があるようです(私は経験ありませんが)。このあたりのカード会社の対応は手慣れたものです。

クレジットカードの詐欺は巧妙です。頻繁に使うわけではなく、せいぜい数ヶ月に一回程度。これは同一人物の仕業ではなく使いまわしているものかも知れません。しかし金額は大きくないので、見過ごされる可能性が高い。少なくとも即刻カードをキャンセルするような金額ではないから、連中にすればカード番号を繰り返し使うことが出来るという寸法です。

私自身、旅行のホテル予約はネットで行いますし、普段、いろいろなところでカードを使っているので、どこでどう番号が盗まれるか知れたものではありません。海賊版DVDと同じで、東南アジアでは詐欺についての垣根が低いようです。

2007年4月24日 (火)

Queensbay Mall

週末、昨年12月にオープンしたペナン最大のショッピングモール「Queensbay Mall」にようやく行って来ました。朝10:30から夜10:30までオープン、ペナン・ブリッジの南、空港に行く途中にあり、駐車場も一杯あって、交通の便は悪くありません。コムターからの無料シャトル・バスも一日4回運行されているようです。

先ずその広さに圧倒されます。地下・地上階及び1~3階までの5層で、南北500Mはある細長い建物の中央通路の両脇に延々店が連なっています。今回は特に目的もなく、探索にやって来たようなものなので、北の端から南の端まで、5層をひたすら漫然と歩き続け、すっかり疲れ果ててしまいました。

まだ開いていない店舗もありますが、ほぼ9割は埋まっているであろう店揃えは、さすがに充実しています。巨大スーパーのJUSCO、映画館、トイザラスはじめ各種専門店、それからどうしても気になってしまうレストランでは、フードコート以外に、日本食では鮨屋や鉄板焼きやラーメン屋、シーフードのManhattan Fish Market、ローカル・フードのOld Townやチキン・ライス・ショップ、ファーストフードのマクドナルドやKFCやピザ・ハット、コーヒーのスタバやCoffee Beans等々、ペナン中の有名店舗が軒を連ねている様相です。

中でも嬉しいのがBordersという、アメリカにいた頃に入り浸っていた本屋で、KLやシンガポールでは見かけたのですが、ペナンでは初めての出店です。店内のあちらこちらに椅子が置いてあって、のんびり試読(座り読み!?)できるだけでなく、スタバまであって、コーヒーを飲みながらくつろげる・・・というスタイルはアメリカと変わりません。本の値段は、アメリカでの販売価格プラス・アルファで、こちらの物価と比べると安くありませんが、結構、混みあっていました。文化や情報の発信は、どうしてもアメリカやヨーロッパや日本などの先進国が中心なので、書籍の値段はどうしても相対的に高くなります。物価がまだ安い発展途上国の試練ですね。

総合的に見て、よく出来ました☆と言えるのですが、ガーニー・プラザやアイランド・プラザと比較して、とりたててこれは!という魅力的な店があるわけでもなく、隣近所ならいざ知らず、自宅からちょっと離れているので、そう頻繁に来ることはないだろうなあという印象です。

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英語を学べば・・・(3)国際人

日本では「国際人」という言葉を聞いても特に違和感がありませんが、極めて日本的な概念のように思います。日本と同じレベルで横に広がっているイメージではなく、まるで日本の社会の一つ上位に国際社会というものが位置する、上位概念のようですが、これもひとえに言葉の壁のなせるわざなのでしょうか。しかし、逆説的ですが、自ら国際人だと思う人は、日本人の中にしか存在しないのではないかと思います。

アメリカにいて常にわだかまっていたのは、アメリカとは一体何なのか?ということでした。よくよく話してみると、アメリカ人という民族がいるわけではありません、いるのはアイリッシュであり、イタリアンであり、スコティッシュであったりするわけです。ニューヨーク・シティ・マラソンを走った時、人種の坩堝と言われるニューヨークにあっても、ユダヤ人街があり、イタリア人街があり、それぞれの文化と伝統を守って生きている人たちがいるのを横目に見て、大変、衝撃を受けました。

梅棹忠夫さんは、どこにでも移植可能な、誰の目にも見える社会の仕組み-統治・政治の仕組みから経済の仕組みまでを、文明と捉えました。同様に、司馬遼太郎さんも、文明を、誰でも参加できる普遍的なもの、合理的なもの、機能的なものと捉えました。アメリカはまさにこのような文明を体現する国家の一つですが、その文明という衣を剥ぐと、皮膚感覚として多くの異なる文化が姿を現す国でもあるということです。「国際社会」も同じことで、そこにいるのは英語なりフランス語なりの共通語を話すけれども、根本的に文化と歴史と利害を異にする民族を背負った人々の群れでしかないということです。「国際人」であるための最初で最大の要件は、それぞれの国を代表することであり、例えば「日本人」であれば誰よりも良き「日本人」でなければならないということです。無国籍・無宗教では誰からも信用されません。

このあたりの論考は、海外で生活した人にとってはどうやら共通のものらしく、藤原正彦さんの「国家に品格」を読んで大いに共鳴しました。

「英語を学べばバカになる」では、アメリカという国家のあり方に関する記述は、著者がフランスに留学され、フランスを中心とした経験をされていることによると思われますが、やや表層的に思われました。

2007年4月22日 (日)

英語を学べば・・・(2)いろいろな英語

アメリカにいた頃は、よく言われる通り、東海岸と西海岸、更に南とでは、英語のイントネーションが違うなあと、ネイティブ英語の中でのバリエーションに感心したものでした。もっと衝撃だったのは、個人的な話になりますが・・・出向して2年経ち、現地人が話す英語に慣れた頃、他社との合併話が持ち上がり、合併先の現地人と話す機会が多くなって、彼らの英語がよく理解出来ないことに気がついたのです。最初は東海岸と西海岸の差ではないかと疑ったのですが、合併先の社員の中に東海岸出身者もいて、どうやらそういうことでもないらしい。恐らく、私が出向した100%子会社の現地人は、日本人出向者にも理解しやすい英語を話すことに慣れていたのでしょう。それに引き換え純粋なアメリカ企業である合併先の現地人は情け容赦ありませんでした。これが純粋なアメリカ人の英語かと、衝撃を受けたのでした。

そして今、ペナンに来て、また衝撃を受けました。中国系マレー人やシンガポール人の英語が理解しづらい。所謂ChanglishChinese-English)ですね。Hはエイチと言ってもキョトンとされます、ヘイチなんです。オーストラリア人の英語もまた理解できない。Todayはトゥダイで、Mondayはモンダイってな具合いです。そして逆もまた真なりで、アメリカで習った私の英語が通じないことが多々あります。そもそもマレーシアはイギリス英語なので、エレベーターではなくリフトですし、お勘定はチェックではなくビルというように、使う単語が微妙に違います。その内、語尾を上げたり独特の抑揚をつけたりして、だんだん現地に同化して行くにつれ、お互いに理解し合うようになりました。私に先行して4年滞在していた日本人出向者の英語が、まるでマレー英語だと揶揄されていたのですが、周りの影響と言うより、周りに理解されるための自己防衛本能のなせるワザだったのではないかと今にして思います。

こうして眺めて見ると、世界広しと言えども、ネイティブの話す英語はごく一部でしかなくて、殆どは外国人の英語だということです。世界共通語としての地位を確立している分、話される英語は、実にいろいろ、場合によってはメチャクチャです。日本人も、余り文法にとらわれることなく、自信をもって話すことが大事だと思います。

2007年4月21日 (土)

英語を学べば・・・(1)言葉より中身

前回の続きで、確かにごく一部の人を除けば英語は余り意味がなさそうです。私の周囲を見渡しても、海外に住んでいる知人は数名、英語が不可欠な仕事をしている知人も数名、9割方は英語と無縁な生活をしています。著名な外国の本や雑誌はすぐに翻訳されますし、世界中のニュースも(アメリカに偏っていますが)すぐに流れますので、英語が理解できなくても外国の情報に触れるご時世です。

英語は目的ではなく、所詮は道具に過ぎません。英語を学ぶ意味、使う目的を明確にして、どこまで英語を学べばよいかを考えるべきものです。

海外旅行をしたい人は、学校教育で学んだ英語をベースに、ごく簡単な日常会話を操れば用が足せます。ビジネスマンでも、普通の学校教育を受けていれば、2~3年従事すれば、契約交渉や込入った話を除いて、それなりにビジネスの会話が出来るでしょう。いずれにしても、話す目的が明確で領域が限定されているため、想像力が働きやすく、日本人でもなんとか会話が成り立ち得るのです。このあたりまでは、S字の成長曲線のちょうど踊り場までの部分で、ちょっと努力すれば到達出来るレベルであり、時間をかけるほど上達が目に見える部分です。

問題はその先にあります。

帰国子女でもない私のような一般の日本人にとって、何が辛いかと言うと、カクテル・パーティやディナーでの会話ほど辛いものはありません。なにしろ何が飛び出すか分からない。昨晩のTV番組のことかもしれないし、最近の株価の動きのことかも知れない。週末に見た映画のことかも知れないし、昨日のアブドラ首相の発言かも知れない。ここで問題になるのは、言葉そのものの難しさもさることながら、その背景にある政治・経済・社会・文化、いわば生活そのものです。生活が重なる部分が少なければ、会話はなかなか成立し得ません。更にこの生活の部分は、話の伏線に聖書の一節がからめてあったり、アメリカで言うなら「マザーグース」のストーリーが一般教養としてベースにあったりと、重層的であるところが厄介です。我々日本人同士の会話を思い出しても分かると思います。この部分は、帰国子女か、長い駐在員生活か、セカンドライフでもない限り、分かり合うことを期待しても無駄でしょう。

そうだとすれば、英語学習は、せいぜい踊り場部分までにとどめておいて、後は、外国人が興味をもちそうな専門知識を磨くか、地域性に依らない幅広い教養を身につけた方が、外国人との付き合いでは重要です。私の数少ない経験でも、帰国子女の流暢な、しかし上滑りの英語より、たどたどしくても聞く価値がある内容を話す人に、外国人は耳を傾けるものです。

2007年4月20日 (金)

ペナンの警察のはなし(続)

以前、国産車プロトンのレンタカーに乗っていた時、駐車場の縁石にちょっと乗り上げただけでバンパーが割れてしまったことを、マレー品質の一例として挙げました。その後、自損事故だとしても、保険でカバーするためにはPolice Reportが必要だというので、現時点では後にも先にもその時だけ、レンタカー屋のお兄さんと警察署に行きました。

先ず驚いたのは、警察署内の案内が殆ど全てマレー語で書かれていて、外国人には、どこをどう行けばよいのか皆目見当がつかないこと。しかも話しかけたところで、現場レベルの警察官は、英語が全く通じません。警察はじめ官公庁は、ブミプトラ政策により、マレー人を優先して採用しているとは聞いていましたが、ここまで徹底しているとは思ってもみませんでした。辛うじて、最後に管理職レベルの人にお目通りを願い、承認を貰った時は、英語で話しかけられたのですが、その会話がまたふるっています。私の日本の免許証(当時はまだ現地の免許証への書換え手続きが終わっていなかった)の生年月日を見て、これは何年のことか?何故西暦で書かれていないのか?と不思議そうに尋ねてきたのです。確かに日本のお役所の対応は遅れていますが、そっちだって英語の表記は全くないのだから、似たようなものじゃないかと反論したいところでしたが、余計なところで波風立てても仕方ないので、そうねえ、日本はクローズドな社会だからねえと、つい悪い癖で話を合わせてしまいました。

「英語を学べばバカになる」という本があります。英語は、必要性があれば身に付くもの、英会話スクールに通ったり教材を買ってまで学ぼうとするのは、必要性がない証拠であり、英語教育関連産業に資するだけ、更に言うならアメリカ型グローバリゼーションの幻想に踊らされているだけである、そこまで努力をして英語が話せるようになったからと言って仕事ができるわけではない(無能なアメリカ人は英語を話そうが無能には違いない)、むしろ英語というコミュニケーション・ツールを学ぶために多大の時間と労力と金をかけるばかりに、本来必要な専門的知識や技能を身につける機会を失うことの方が問題なのだ、という認識です。確かにこの最後の部分の指摘は重要です。結局、日本人が英語が下手なのは、英語が必要ないからである、大部分の日本人にとって、英語が理解出来なくても生活には困らないのが現実であって、無駄な努力をするとバカを見る、と言うわけです。実に、それなりの規模の経済があれば、英語など必要なくて、母国語だけで十分に生きていけますし、逆に、母国語ではない外国語を推進するには、何かワケがあるのです。これは日本にとどまらず、世界中の殆どの国の殆どの人にも言えることで、上の文章で、日本をマレーシアに置き換えても、当然、成り立ちます。

マレーシアの警察を訪れながら、この本の主旨を思い返しました(この本への若干の異論もありますが、稿をあらためます)。

2007年4月19日 (木)

ペナンの警察のはなし

日本では、警察官の不祥事が時々報道されますが、基本的には検挙率が極めて高く(これ自体は一種の恐怖でもある得るのですが)、日本の社会の安全を担保する警察全般に対する信頼が揺らぐことはありません。

アメリカでは警察官や消防士は地元の英雄です(少なくともハリウッド映画では)。実際には、しかし、スピード違反等で捕まった時などに、自らの挙動には注意しなければなりません。例えば免許証を出せと言われて、胸ポケットや尻ポケットに無造作に手を突っ込むと、免許証じゃなくて銃を取り出すものと誤解されて正当?過剰?防衛で撃たれることもある異常な銃社会であるのは有名な話です。私自身も、スピード違反で捕まった知人を心配して、近寄ろうとしたら、Freeze!と銃を向けられたことがあります。

マレーシアでは、先日、警察官の給与が低いので引き上げなければならないと報道されました。その理由は、給与が安いために汚職がまかり通っているというのです。国営通信が伝えたところでは、巡査クラスで月僅かに690リンギッ(約2万円強)、警部補クラスで1100リンギッ前後で、警察長官によれば、最低でも20%の引き上げが必要、としたそうです。もし警察官という職業に本当に敬意を表するなら、個人的には倍以上払ってもいいように思います(因みに工場のラインで働くオバチャンでも300リンギッ、ホワイトカラーはその5倍から10倍(課長クラス)貰っています)。

実際、ペナンの警察官は、交通違反に対して、袖の下を渡せば許してくれるというので有名なのです。

私の知人の奥様は、見かけによらず?大胆な方で、一方通行を逆流して、運悪く警察に見つかって、いきなり“How much?”と金をちらつかせて、その警官を慌てさせたという武勇伝の持ち主。勿論、人目を気にしたその警官は、手帳を差し出し、その中にお金を挟めと指示したと、ウソのような本当の話です。

そんな話を聞いても所詮は他人事と思い、まさか自分が捕まるとは思っていなかったのですが、諸事情によりRoad Taxが切れていたことに気づかず、先日、検問(Police Blockと言います)に引っかかってしまいました。ペナルティ1000リンギッだとか、裁判所に行かなければならないなどと脅されたため、最後は袖の下で切り抜けました。その日は祝日前だったせいか、集中的に検問をしていたようで、なんと、その後、15分と走らない内にまた別のところで引っかかったのです。さすがにこちらもカチンときて、さっき“指導”を受けたばかりだと反論したのですが、賄賂が裏目的だとすると、先ほどの警官に払いましたというのは、今度の警官には何の関係もありませんね。二度、払いました。会社の同僚によると、ペナルティなどなく、後日、然るべき手続きを取れば良かったのだ(つまり警察に騙された)と言うのですが、一瞬、面倒な手続きとなりかねないことを避けるために、悪しき慣習を助長してしまったことを、今では反省しています。

2007年4月17日 (火)

東と西

週末の日経に、東日本と西日本をどこで線引きするか?という特集記事が出ていました。学校で習ったのは、新潟の西端の糸魚川から長野・静岡を縦断する構造線(フォッサマグナ)で、商用電源周波数の50ヘルツと60ヘルツの境目もほぼこの線に沿っています。しかしことはそれほど単純ではないようです。

牛肉より豚肉の方が購入量も購入金額も多くなるのは、上記に富山を加えた、富山・長野・静岡より以東なのだそうです。一方で、東京式と京都式の言葉のアクセントの境界線は、富山を外して岐阜と愛知を加えた、新潟・岐阜・愛知の西境に重なるのだそうです。角餅か丸餅かで分けると、角餅は石川・岐阜・三重県以東になるそうです。

言語や食のような文化的視点から判断するのはやや難しいかも知れません。かつて柳田國男は、文化的先進地域であった京都を中心として、同心円上に文化が伝播した形跡が見られるという、カタツムリ論を唱えました。この説によると、東北地方と九州地方に同様の文化が残っている可能性があるわけで、実際に関西系の深夜番組で、「アホ」と「バカ」の言葉の分布を調べたところ、カタツムリ論を支持する結果になったことがありました。

東西を何で分けるかを読者に尋ねた結果が面白い。「家電量販店で値引き要求を躊躇しなくなったら西日本」だとか、「吉本新喜劇の放送を見られるかどか」、「昆布ダシと鰹ダシ、醤油味と塩味、どちらが基本になっているか」。具体的な地名では、関ヶ原をはじめ、富士山、箱根、日本アルプス、琵琶湖などが挙げられていました。私も、学生時代、就職活動のために新幹線で上京した折り、隣に座った上品そうなオバサンが、住友家から初めて関ヶ原を越えて(関東に)嫁いだと自己紹介されて、ちょっと驚いた記憶があります。

前置きが長くなりました。この週末は、子供たちを連れてペナン島を車でのんびり一周しました。私自身は三度目ですが、子供たちはこの二年間で初めて。Batu Ferringhiから山を越えて、島の西寄りを、南端の空港まで約60Km、往復約120Km走る小旅行でした。高層マンションが立ち並び、高速道路が貫通する東側の発展とは対照的に、発展の波に取り残されたように昔ながらの高床式の集落が今なお広がる西側の田園風景が印象的でした。ペナンでは山に隔てられ、東と西の差は明確です。

2007年4月16日 (月)

ペナンの台湾の味

今ではNIEsという言葉を聞くことも少なくなりました。新興工業地域Newly Industrializing Economiesの略で、1980年代後半のアジアで経済成長著しい4地域(韓国、台湾、香港、シンガポール)を指しました。最初の内はNICsと呼ばれていたのをご存知の方もいらっしゃるかも知れません。新興工業国Newly Industrializing Countriesの略ですが、台湾を国家と見做すのは問題と横槍が入り、その後CountriesEconomiesに言い換えたものでした。しかし、今では、新興工業国と言うと、BRICsBrazilRussiaIndiaChinaの略)が相場です。時代とともに成長の担い手も変わります。

そんなNIEsの一角でもてはやされていた頃の台湾に、出張でよく出かけたものでした。ちょうど戒厳令が解かれる前後のことで、空港に到着すると、ヒンヤリとした構内にそこはかとなく香がたちこめ、時折、銃を構えた兵士の姿も見えるといった具合いに、表玄関は澄ましていましたが、新しく建設された高速道路を飛ばして街に出ると、一転して、屋台の油と肉の臭いが充満した、昔ながらの薄汚れた街がまだまだ残っていて、いかにもアジアの昇竜として何でもありのパワーが漲った、雑然とした雰囲気を懐かしく思い出します。

その当時は、所謂カバン持ちの身分で、フカヒレ・スープや燕の巣をはじめとする高級な中華料理を食する機会に大いに恵まれたのですが、今でも忘れられないのは、むしろファーストフード風の店で食べた牛肉麺(ニョウロウメンと呼びます)や、庶民的な水餃子だけの昼飯や、小龍包など。今日は、昔懐かしい台湾料理の店に行きました。

店の名前は「台湾古早味」、Burma通り沿いに、1926というホテルの横にあります。台南担仔麺はやや味が濃い目ですが、牛肉麺はまさにあの香料が少し入った台湾の味、ウドンとラーメンの中間のような麺もそのままです。餃子も、分厚い皮に包まれて、パクつくとジューシーさが口に広がります。値段は麺類でも8~9リンギッと、やや高めですが、いつも店内が混んでいるのは、味の良さゆえでしょう。20070415_taiwan_foods

2007年4月14日 (土)

ポルシェ物語(後編)金髪が似合う

オマケです。

少年は、一度は長い黒髪に憧れます。たかが髪型くらいで、と思われるかも知れませんが、まさにその通り。多くの少年にとって、その年頃の単なるイメージの世界、一種の病気、通過儀礼に過ぎなくて、私も、いつの間にかどうでもよくなったものでしたが、それでも長い髪じゃなくてもいいじゃないと、はっきりと自覚したのは、随分、あとになってからでした。

単なる思い込みのイメージでも、風化するには時間がかかります。

きっかけは、山口百恵の歌にあった、緑の中を走り抜けてく真っ赤なポルシェ~♪ アメリカにいた頃の話です。真っ赤なオープンカーのポルシェが走り抜けるのを見かけて、どんな人が運転しているのかと目を凝らしたら、ショートヘアでサングラスをした若い女性で、颯爽としていて、とにかくカッコ良かった。勿論、サングラスが似合うくらいだから、金髪の米国人でした。ん?金髪自体に憧れたか???

ポルシェ物語(前編)後姿美人

先日、ヨーロッパ系のグラマラスなカノジョに見とれて、つい30分ばかり、お尻を追いかけてしまいました。前から見ても、とってもイカすのですが、後姿がまた美しい。黒に身を包んで、流れるような曲線美。周囲が安っぽく見えてしまって仕方ありませんでした。ある意味ではオモチャみたい・・・いやもしかしたらカノジョ自身がオモチャなのかも・・・なんて勿体つけた喩え話を、いつまでも続けるなと、お叱りの声が聞こえてきそうです^^; 

珍しくポルシェに出会ったのです。黒のオープンカーのBoxster。これで颯爽と若い女性が乗り回していたら、卒倒しそうですが、黒人の金持ちそうなオジサンでした。朝、スタバで会って、先に出発していたポルシェにダウンタウンを過ぎた辺りで追いついて、なんとなく後姿を見ていたかったので、その日はスピード狂?の旗をおろして、ずっと尻を追いかけることにしたのです。そこからペナン・ブリッジを渡り切るまで延々30分。さすがに周囲の車が安っぽく見えました。マレーシア国産車はもとより、普段はちょっとエラそうにしているカムリやアコード、威張り散らしているベンツやBMWまでもが、この日は静かに走り続けるポルシェの前に、霞んで見えました。

よぼよぼのジジイになったら、ポルシェに乗るぞぉっ!と決意を新たにしたのでした^^ 僕にとって、ポルシェほど、セクシーと呼ぶのに相応しい車は他にありません。敢えて難を言うなら、今のままでは、スキがなさ過ぎて、近寄りがたいほどの完成美、といったところでしょうか。これにラテン系の遊びのテイストが加われば完璧なのでしょうが、このあたりが、いかにもドイツらしさと言えるのかもしれません。

と、ここまでは先日の話で、昨日の昼飯時、オフィスの近所のオート・シティにポルシェのショールームが出来たので見に行きました。生まれて初めて運転席に身体を沈めて見ました。めくるめく恍惚感。座席位置が低くて、随分目線が低くなります。これじゃあ日本やペナンの道は走りにくそう。ポルシェにはアウトバーンが似合うのでしょう。

店の人に聞いたら、そのBoxsterの値段は52万リンギッ(1500万以上)、客層は40代以上で事業経営者が多いのだそうです。そりゃ普通のマレーシアのサラリーマンでは手が出ない。この内訳は、税金が約30万、税抜きで約20万リンギッなのだそうです。一種の贅沢税ですね。しかし国産車保護にもほどがあります。

2007年4月13日 (金)

Meet the Robinsons

先週の日曜日、子供たちが学期の合間の休暇に入ったので、Mr.Beansの映画でも見に行こうと、珍しく思い立って、近所のショッピングモールまで出かけたのですが、生憎、余りの人気で席が取れず、折角、足を運んだので、隣で上映しているディズニーの3DCGアニメ映画「Meet the Robinsons」を見ることにしました。

タイム・トラベルがらみの、ドラえもんにありがちなストーリーなのですが、なかなかどうして面白い。約1時間40分、テンポの良い流れるような美しい映像とシンプルで分かりやすいストーリーに思わず引き込まれました。後で調べたら、アメリカでの興行成績もまずまずの滑り出しのようです(*)。

日本でも「ルイスと未来泥棒」と題して今年12月に上映される予定なので、内容に立ち入るのは控えます。僕は英語の会話の6~7割しかついて行けなかったのですが、子供たちはしっかり理解していて、ちょっとショックでした。あの登場人物とこの登場人物の関係は・・・なんて子供に確認して、後から納得したり。

大人10リンギッ(300円ちょっと)、子供はその半額です。確かに安いのですが、海賊版DVDだと、6~7リンギッくらいで売られているので、映画館はそれほどメジャーな娯楽ではないように思います。結局、リゾート地って、何もしないで過ごすところ?なんでしょうか。なんとなく映画館すら周囲に見かけないと、ただでさえ展覧会とかコンサートが来ない土地柄、文化の香りがますます遠のきます。。。

(*)正確には、アメリカで3月30日に公開、最初の週末の興行収入2500万ドルで、昨年のソニーピクチャーズの『森のリトルギャング』や『モンスターハウス』を上回っていますが、ピクサーのヒット作『ファインディング・ニモ』や『Mr.インクレディブル』、『カーズ』と比べると半分から1/3の水準で、同じディズニー制作の『チキン・リトル』と比べても2/3の水準だそうです。昨年吸収合併したピクサーによる作品でなく、旧ディズニースタジオの制作によるものですが、旧ディズニースタジオにとっては厳しい数字と言えます。ディズニーは、ライオン・キング以来の伝統的なアニメーション制作グループを徐々に清算し、4年ほど前からCGアニメーション・グループを育成してきました。ディズニー社内で進んでいる3DCGアニメーションのピクサースタジオへの一本化の動きに何らかの影響を与えるのではないかとの観測です。Meetr2_1

2007年4月12日 (木)

休日は突然に・・・

 マレーシア政府は、5月2日を振り替え休日にすることを、一昨日発表しました。1日にメーデーとべサックデー(釈迦生誕記念日)が重なるため、だそうです。そんなこと前から分かっていたのに、もっと早く決めてよって言いたいですね。早速、計画を立てなきゃ。5月1・2日が連休になって、4月30日も有休を取ると5連休! 日本と比べるとささやかな休暇ですけど。。。

2007年4月10日 (火)

海外駐在員が住みよい都市

実際には週末の日経にも記事が出ていた、米国マーサー・ヒューマン・リソース・コンサルティングが発表した「生活の質、世界調査(2007年)」で、政治の安定性や貨幣政策、自由・民主化度、医療、教育、公共サービスなど、海外生活に重要な諸要素をもとに総合生活環境の観点から世界215都市を格付けしたものです。二年連続一位はチューリヒ、二位ジュネーブ、三位バンクーバー、ウィーンと続き、上位10都市の顔ぶれは昨年と変わらず、7都市を欧州勢が占めました。大洋州から、オークランドが5位、シドニーが9位に入り(更にウェリントン12位、メルボルン17位、パース21位、アデレード30位、ブリスベーン32位と大健闘)、アジアの都市では、34位のシンガポールが最高で、35位東京、38位横浜、40位神戸、42位大阪の5都市のみ上位50に入りました。

上位を占める欧州の諸都市は、教育や福祉が整い、災害や国際紛争が少ないところとの評価を得たものであり、逆に台風や地震などの自然災害が多い日本の諸都市は相対的に低い評価になっています。また上海や北京などの中国の都市は軒並み100位圏外で、大気汚染や廃棄物処理の面で懸念が根強く、交通渋滞が多いことが低評価に繋がったようであり、最下位はバグダッドでした。

これを見るまでもなく、アジアは、2001年の同時多発テロ以降、生活や旅行にやや不安が出てきました。折角、ペナンにいるのだから、バリ島も、バンコクも、カンボジアのアンコールワットも行ってみたいのですが、家族を連れて旅行するのはためらわれます。イスラムをめぐる地平は随分様相を変えてしまいました。

2007年4月 9日 (月)

ペナンのゴルフ

土曜日、日本からの出張者とともに、久しぶりにゴルフをしました。

アメリカに滞在していた頃は、年20回くらいコースに出ていました。ボストンでは、一年の半分近くは雪に覆われることを考えると、かなりのハイ・ペースです。生まれたばかりの乳飲み子を家に残して、なんと冷たい父親だったことか。それだけ自分が若かったということでしょうし、日本からの出張者・お客さんが多かったという証拠でもあります(もっとも、いつもお客さんと一緒だったわけではないですが)。

それが、ペナンに来て2年になりますが、コースに出たのは通算で10回ほど。四分の一に激減です。お客さんが減ったのか、子供が大きくなって家族孝行しなければならなくなったのか、自分のスコアが伸びないことに嫌気がさしたのか、暑くてとてもやっていられないのか、そのいずれかと言うより、そのいずれもが当たっているかも知れません。

場所はペナン・ゴルフ・リゾート。自宅から車で約1時間、橋向こうのマレー半島側にあります。私にとっては2回目で、前回来たのは思い出せないくらい昔のこと、河川敷のようにフラットで易しいコースだったことだけが記憶に残っています。木曜日に電話を入れて、すぐに朝一番を予約できたのですから、いかにゴルフ人口が少ないかが分かろうというものです。朝一番と言っても暗いので7時15分スタート、2人きりだったので3時間半くらいで回りきりました。

終わってみて、あらためて思ったのは、コースに関しては、確かに全般的にフラットですが、バンカーがやたら多いことと、芝目は、ペナンでは珍しいほどきれいに刈り取ってあって、微妙なアンジュレーションを利用してホールを切ってあるので、意外に難しいということでした。それから私個人のことになりますが、ようやく身体のキレが戻った後半はパーが何度か出たりしても、それはランナーズ・ハイみたいなもので、すぐにバテて来て、良い状態は長く続きません。マラソンから早一年、ほとんど運動らしい運動をしていないツケが出たのでしょうが、そうではなくても、本当にむっとするほど暑くて、体力を消耗します。

終わって飲むビールがたまらなく美味いのは、素人ゴルファー冥利に尽きます。窓越しに見るフラットなコースに、椰子の木陰が揺れて、実際の暑さを忘れれば、カリフォルニアにいるかのような光景でした。年齢のせいばかりとは言えない体力の衰えに、一念発起、たまにコースに出ても無様なスコアを出さないよう、せめて会社帰りに打ちっ放しにでも通おうかと思った次第です。

ペナンのフレンチ・レストラン

金曜日、現地人社長退任の慰労のため、フレンチ・レストランの32 Mansionに行きました。

ホテル内のレストランはいざ知らず、独立店舗のフレンチ・レストランとしては、ペナン随一ではないかと個人的に思っているのですが、今日、あらためて、落ち着いた豪華な店内と、客層の上品さ、サービスの心地良さ、そして料理の味の良さの全ての点で優れていることを再確認しました。海際のこのレストランの隣は言わずと知れたE&Oホテルで、この両者を含むエリアは、George Townの喧騒をしばし忘れさせてくれる、異次元の空間です。その代わり、メインディッシュは最低価格35~40リンギッ、シェフお勧めメニューに神戸牛のステーキがありましたが、驚くなかれ単品で100リンギッと、価格も一流です。

こういうレストランでは、何故か女性客が美しいのは何故でしょう^^ 同伴の男性はTシャツやポロシャツだったりするのですが、女性はちょっとお洒落に着飾っていて、ペナンでは滅多に見られないこうした光景が嬉しくもあります。

その内、ジャズの生演奏が始まりました。ボーカルは中国系のオバアチャン、ピアノもベースもドラムも中国系のオジサンたちですが、侮ってはいけません、目を閉じて耳を傾けると、ここはペナンかと疑うほど本格的です。お店の人に頼んでリクエストを入れてもらうと、おもむろに別の歌詞ノートを取り出して、でもしっかりジャズ風にアレンジして歌ってくれました。カーペンターズ「Close to You」。オジサンたち6人では勿体無いほどの夜でした^^;

2007年4月 6日 (金)

風水

どうも最近、生産ラインで問題が多発するのは、工場長のオフィスの窓から、長崎ちゃんぽんのようなトンガリ屋根が隣に見えるせいだと言う人がいて、俄かに風水が脚光を浴びています。こうしたケースでは、動物が守ってくれるというので、昨日まで隣の財務担当役員の部屋に転がっていたタイの木彫りの像の置物が、いつの間にか工場長の窓際に鎮座ましまして、なんだか頼もしげ、誇らしげです。果たして効果があるのかないのか。。。

こちらでは、住宅を建てる際や事務所を開く際に、風水を考えるのは当たり前のことのようです。「風」に乗ずれば即ち散り、「水」に界せられれば即ち止まる、と言われる「気」の流れを、物の位置関係で制御し、運気をあげるためです。もとは国を興し王都を建設するための最良の土地を見つける術で、帝王学の一種でしたが、いつしか庶民の間にも広まり、中国においてはごく一般的な学問、一種の環境学として普及しているようです。中国人社会においては、占星術によって組織編制(人材配置)を考える人もいると、冗談ではなしに真面目に教えてくれた人もいました。日本ではさしずめ血液型をもとに人員配置を考える例がないわけではなさそうで、発想はそれに近い。

占星術といい、風水といい、神話や宗教に近く、思想的な裏づけがある一種の学問であるところが、日本人が受け止める印象とは根本的に異なります。日本人が思うほどいかがわしいもの、遊びで軽いもの、人生におけるお飾り的なものではなく、長い歴史の中で、もっと生活に密着したもの、人生や生活の中の一種の枠組み(世界観)を提供するものと言えそうです。自分の運命の決断を委ねるのではなく、それらを用いて運を切り開いて行くものであり、あくまで道先案内、迷った時のカウンセリングとして位置づけられています。信じる・信じないという次元の判断ではなく、もう一歩踏み込んで、要は付き合い方の問題であるように思われます。

2007年4月 4日 (水)

夜の訪問者

草木も眠る丑三つ時、突然、バタバタという羽音で目が覚めました。今のマンションは風通しが良いので、窓を開けておけば天井のファンやクーラーをつける必要がないほどなのですが、その開けた窓から私の寝室に、なんとコウモリが侵入したのでした。

最初は寝惚けマナコで、部屋に棲みつかれたら困るなあとぼんやり考える程度でしたが、だんだん目が覚めるにつれ、野生の動物はどんなバイ菌を持っているやも知れず、とにかく追い出さなければならないと思い立ち、先ずは部屋のドアを閉めて、他の部屋に移動できないようにして、期せずして真夜中のコウモリ捕物帳です。

灯りを点けて、息を殺してジッと様子を伺うと、洋服ダンスの上で動きが止まり、おやすみモードに入っている模様。やおら玩具を入れているカゴを空っぽにして、すっぽりかぶせると、あっさりカゴの中に納まりました。余り間近で見たいものではなく、さっさとダンボール紙をカゴとタンスの隙間に指し込みフタにして、そのまま運んで窓から外に逃がしてやりました。

ペナン・ヒルのそばにコウモリ寺なるものがあって、最近はコウモリの数が、なんでも2千くらいいたのが5百くらいに激減したと、つい先日、新聞に出ていました。まさかその一匹ではないのでしょうが、それにしても、よりによって、いくらマンションの裏手には鬱蒼とした山が迫っているとしても、この小さな窓からよくぞ入って来たものです(28F建マンションの28F)。こちらではヤモリが、マンションの外と内と言わず、あるいはレストランでもオフィスでも学校の校舎でも、壁をちょろちょろ伝って走りまわるのが、最初はいちいち驚いていたのが、最近はかわいくもあるのですが、さすがにコウモリとなると、顔自体は愛嬌があるかも知れませんが、あの翼がよくありません。人騒がせにもほどがあります。

それ以来、安眠を妨害されないよう、窓はしっかり閉めて寝るようにしているのは言うまでもありません(以下の写真はマラッカ動物園のコウモリ)。20070219_011

フリーマーケット

会社の近所のAuto Cityで時々開催されます。

Wikipediaによると、もともとは、春から夏にかけて、ヨーロッパの大都市の教会や市庁舎前の広場などで開かれる古物市のことで、ここで言う「蚤」は身体の血を吸うノミではなく、汚らしい、みすぼらしいといった意味で使われているようです。日本でも最近は「フリー・マーケット」で通るようになりましたが、英語で書くと「Free Market」ではなくて、「蚤」だから「Flea Market」なのですね。誤解している方が多いのでは?(何を隠そう私も誤解していました) 中国語では「跳蚤市場」と書かれています。

さてそのAuto Cityの蚤の市ですが、一般市民が古着や不用品を売るのではなく、業者が在庫品を処分しているように見えます(日本でも一部にそういう業者が混じっていますが)。考えて見れば、古着や不用品でも販売に耐えられるレベルの品質のものを売り捌くだけ保有しているというのは、ある意味で豊かさの象徴でもあります。ペナンでは、そこまでの市場がまだ育っていないようです。

日本の場合は、更に特殊な事情が作用しているように思います。少子化問題です。一人っ子が多くなったせいか、衣服、食事、教育(習い事、学校)、娯楽(旅行など)にお金をかけられる家庭が増えていて、私が子供の頃と比べると、まさに隔世の感がします。かつては兄弟姉妹が多く、おさがりを着ている人が多かったのですが、今や一人っ子のおさがりがフリー・マーケットに出回っていて、それを兄弟姉妹の多い親が買い求めているのではないか、想像ですけど、そんな気がします(一人っ子の親は、なるべく新品を着せたがるでしょうが、兄弟姉妹がいる親は、おさがりに抵抗がないでしょうから)。勿論、身の回りにモノや景品で貰ったモノが溢れていて、捨てるには惜しいけど安くても引き取って貰えるならと、環境保護意識の高まりの中で、手離れを促進している側面もあるでしょう。

私もフリーマーケットは好きで、何か掘り出し物はないか、よく覗いて回ります。アメリカで言うところのガレージ・セールに近いですね。家具を処分して身軽に引越すとともに、引越し先の家の大きさに合わせた家具を新たに調達するという合理的な考え方です(因みに、昨春、船橋にも進出したスウェーデンの家具小売の大手IKEAは、家具を「長く使うもの」から「その時々に買い替えるもの」へとコンセプト転換させ、飛躍的に売上を伸ばしています)。欧米は、モノを使いまわすことには余り抵抗がないと見受けられます。特にヨーロッパは石の文化で、家をリノベーションしながら、100年以上平気で使う人たちです。日本でも、モノを大事に使う文化として育っていくのだとすれば、良いことだと思います。

2007年4月 2日 (月)

安全な国・日本

出張者がくれた雑誌で、ちょっと古いですが、2月28日版ニューズウィーク日本版で、アニリール・セルカン氏のコラムに目が止まりました-「宇宙とトーキョーに僕の居場所を見つけて」。最近、アマゾンで「タイムマシン」を買って読んだばかりですが、氏が東京に住んでいるとは知りませんでした。その中のエピソードで、ちょっと長いですが引用します。

<引用> 東京に暮らしていると、「人は比較によってのみ完全に理解する」という真理を実感する。アメリカではトルコ(注:氏はドイツ生まれのトルコ人)がいかに遅れているかを感じ、ドイツでは欧州とトルコの複雑な関係を思わずにいられない。でも日本では、そんな気持ちから解放される。日本人の誠実さがそこかしこで感じられるのもうれしい。大事なパソコンを電車の中に忘れたことがあるのだが、翌日、無事に戻ってきた。他の国では考えられないことだ。<引用おわり>

前半部分には私も大いに共鳴するのですが、ここで反応したのは後半部分でした。

現地人上司を連れて日本に出張した時の話です。二日間の日程をこなし、土曜日の早朝、上司を乗せた品川パシフィックホテル発成田行きのリムジンバスを見送って、私はいったん部屋に戻り、メールやらインターネットを眺めていると、成田に到着した上司から電話が入りました。財布を落としたようなので、クレジットカードをキャンセルして欲しい、と。私はその日は実家に戻り、一日遅れでペナンに戻る予定で、まさに部屋を出ようとしていた時でしたが、急遽、カード会社に電話をかけまくるハメになりました。本人ではないので、事情を説明してもなかなかラチがあきません。ようやく一社だけ、キャンセルしてくれてほっとしたところ、ホテル・ロビーから電話が入りました。リムジンバスの中で財布が見つかったらしい。名前と宿泊ホテルから、同じ会社から出張している私に辿りついたようです。

これは、早朝のリムジンバスという特定路線で乗客も限定された極めて幸運な状況で発生したことで、一般化できないし、最近は日本も物騒なのだと説明したのですが、上司は、噂通り日本が安全であることに大いに感銘を受けたようでした(確かにペナンで失くすと先ず見つかるとは思えない)。それ以来、彼は会う人ごとに、お前は財布をどこに入れているのか、お尻のポケットは危ないぞ、俺は横のポケットだ、などといかにも嬉しそうに話していて、まったくお茶目な人だと微笑ましくなりました。

少子高齢化と相俟って移民の問題が巷間賑わします。それ自体を否定するものではありませんが、日本らしさ、日本の良さを維持し続けることと、どう折り合いをつけて行けるのか行けないのか、難しい問題ですね。

カジュアル・ディ

更にしつこく、もうひとつ減らない話。

こちらでは、毎日、ネクタイをつけることがないセミ・カジュアルなので、ネクタイも擦り減りません。金曜日は完全なカジュアル・ディで、ジーンズ出勤することもあって、このあたりはアメリカにいた頃と変わりません。ここが工場であるせいもあるでしょう。

今から10年以上前、アメリカ東海岸のお堅い企業で有名だったIBMもついにカジュアルに踏み切るというニュースが駆け巡る以前の話です。当時は、西海岸、特にシリコンバレーのIT業界のエンジニアだけが突出しており、私がいた東海岸では考え方がまだ保守的で、我が社のエンジニアが西海岸に倣って、無精ひげにTシャツにジーンズ姿で出勤したところ、年配のエンジニア管理者に、こっぴどく説教されていました。曰く、本来のビジネス・カジュアルは、ゴルフが出来る格好であって、お前の格好ではクラブハウスから締め出されてしまう、と。

確かにゴルフは社交のスポーツであり、その社交のための最低限のドレス・コードとして、ジーンズはダメ、襟なしもダメ、それがそのまま最低限の仕事着として通用するという考え方にも一理あります。しかし、工場のように、お客様に接することがない職場では、もう少し柔軟であっても良いのでしょう。

その後、アメリカから日本に戻って、せっせと揃えたネクタイが、ペナンでは使われることなく、カビでも生えて萎びてしまわないかと心配です。

花粉症

もう一つ減らない話があります。

話は一見ちょっとズレます・・・アメリカでは、州ごとにキャッチフレーズがあるようで、車のナンバー・プレートに書いてあったりします。例えばマサチューセッツ州はその歴史を踏まえて“American Sprit”(ピルグリム・ファーザーズが上陸した地、京都と姉妹都市を結んでいる通り、日本の京都のような、アメリカの心のふるさと)、コネチカット州も同様に“State of Constitution”(憲法を制定した州)、ロブスターで有名なメイン州は“Vacation Land”(ヴァケーションに相応しい街)、などなど。

カリフォルニア州は、“Gold State”。これはゴールド・ラッシュとは関係なくて、乾季には山や草原から緑が消えて、すっかり黄金色になるからです。所謂禿山そのもので、日本人の私には異様な光景でした。つまるところカリフォルニアは砂漠だったのですね。その草原の雑草に反応して花粉症になった人がいました(日本では何の問題もなかったらしいのに)。私はと言うと、その逆で、その雑草には反応しませんでしたが、日本の杉には敏感に反応します。この点で、私は早熟!?で、30年もの歴史があります。

今の季節は、日本にいたら花粉症で大変だったはずですが、ペナンでは、ジャングルやいろいろな草花が一杯あるのに、今のところ反応することなく、穏やかな日々を過ごしています。お陰で、我が家のティッシュ・ペーパーはなかなか減らないと、家内が笑っていました。

私に限らずペナンでは、この二年間、花粉症のことをついぞ聞いたことがありません。これは熱帯の植生によるものなのでしょうか。不思議です。

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