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読書日記

  • あさのあつこ: バッテリー
    マンションのプールで子供たちを遊ばせながら、デッキチェアで寝そべって読むにはもってこいの軽さです。本の物理的な重さだけでなく、大人に読ませる児童書、とでも呼ぶのでしょうか、野球を軸にした物語で、スポ根でもなく、チーム愛とか友情を前面に出すわけでもなく、そういうところとはかけ離れたところから始まっているところが良かったし、なんとなく心のどこかで考えさせられるところが、適度な軽さでした。続きがつい読みたくなります。
  • 小阪修平: 思想としての全共闘世代
    この酔狂なテーマに接して、どのような視点をもてるかは、何年に大学に入学したか、学生運動のどの段階の経験・知識をもつかで変わってくると、著者は言いますが、まさにその通りでしょう。私は、全共闘世代の著者より15年も年下で、学生運動と言っても辛うじて余韻を吸っただけ。他の大学より、よほどその残り香は濃厚に残っていたので、私の世代の中では、より深いシンパシーを感じている方だと思いますが、それでも、かなり観念的です。実際、私自身は、育った時代が進歩的知識人全盛の頃だったので、その反発から思想的には保守寄り、伝統的な自由主義者で、学生運動への共感というのは、政治的な主張や思想的な面よりも、むしろ若者らしい現状への不満と変革への情熱に対するものと言えるかも知れません。それは、キューバ革命におけるゲバラに対する共感に近い。彼を衝き動かしたのは左翼思想ではなく、純粋な民族主義でした。もし著者と同世代だったら、私自身、どうなっていたか、ちょっと興味があります。そんな時代を懐かしむだけの本ではあるのですが、それを羨ましいと思わせる内容ではありました。 学生運動真っ盛りの頃、本当に革命が起こるのではないかという気分になったと述懐する人がいます。確かに、この本でも、初期(60年代前半)には市民の共感を得ていたとありました。先鋭化(武装化、過激化)して、一般学生からさえも支持を失って行った、そのあたりは別の論考になるのでしょうが、なんとなく学生が敏感に反応するところを、大人としても支持してあげたい時期があったことは、分かるような気がします。社会自体も、若かった。私にとっては、もはや歴史的事実として見てしまうからかも知れませんが、高度成長を遂げつつあるという、ある意味で歴史の転換点では、人々の意識も今ほど画一的ではないでしょうし、いろんな制度上の矛盾も噴出していただろうことは想像できます。そんな世の中の、雨降って地固まる前の、不安定な動きの中で、まだ共産主義への憧れが、幻想ではなく人々に情熱をもって抱かれていた、そうした不穏な時代の雰囲気は、なんとなくわくわくします。今だって、ある意味で歴史の転換点であり、変革の情熱を行動に移して行かなければならないのでしょうけど、私も社会も、ちょっと齢を重ねてしまったかもしれません(笑) 今、革命が起こるとは思えませんが、あり得るとすれば、若い情熱が発火点になるように思います。 (★★★★)
  • 藤原正彦: 国家の品格
    「蛙飛び込む水の音」という歌に対して、外国人は一匹じゃなくて何匹も飛び込む様を連想してしまうものらしい。自分の感性はやはり日本人だと、最近つくづく思うので、そのあたりはまさにフィットしました。ちょっと宗教に関しては認識不足じゃないかと思われるところもありますが、だいたい海外経験がある人なら、そうそう、その通り、よくぞ言ってくれら、というようなことが書いてあります。それから、論理じゃなくて感情、論理の出発点も結局は感情が規定するというのも、「われ思うゆえに我あり」のデカルトを持ち出すまでもなく、数学者なのに(数学者ゆえに?)、よくぞ言ってくれたと思います。話題になっただけあって、期待を裏切られない面白さです。 (★★★★★)
  • 加藤廣: 信長の棺
    本能寺の変の後、ついに見つからなかった信長の遺骸を追うという謎解きだけでも興味津々ですが、著者がサラリーマンを辞めて執筆した75歳の新人作家というのも興味津々です。よく史料を調べてあるということと、太田牛一という右筆(実際には違う説もあるようですが)を主人公に、著者自身を投影し、歴史上の疑問点のもちよう、推論を進める様は、なかなか面白い設定です。著者がコンサルタント的な業務に携わってきたことと無縁ではないでしょう。でも、難を言えば、ストーリー展開上、さんざん前半では引っ張っておきながら、最後の謎解きを一人の登場人物に淡々と語らせてしまうのは、あまりに安直です。それでも、ひととき、すべてを忘れて没頭できたので、よしとしましょう。信長というと、大河ドラマの館ひろしの顔が浮かんで困ってしまいましたが・・・^^; (★★★★)
  • リリー・フランキー: 東京タワー
    著者とは同世代に属するので、時代背景が重なって、とても身近に感じつつ読み進めました。結構あからさまで大胆な描写や、所謂マザコンぶりが淡々と綴られるわけですが、それをそうと感じさせない独特のリズムがあるのは、一つには、村上龍の「69」が長崎弁に救われていたように、ここでは福岡弁?に救われているからでしょうか。全編を通してほのぼのとした雰囲気を醸し出して、いい感じです。それからもう一つには、彼の率直さと曇りの無い目線のゆえでしょう。それにしても、自ら振り返り、母親の愛情の深さとか、それに応えようとする息子の気持ちは良く分るのですが、あらためて親子のありようは人それぞれだと(当たり前ですが)しみじみ思いました。なお、100万部を越えるベストセラーだと言うのは、ちょっと驚きです。この軽さは悪くないのですが、なんとなく三島由紀夫のような本格小説を読みたくなってきました。 (★★★★)

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2007年5月31日 (木)

ペナンの車は熱帯仕様

こちらの車のエアコンは冷房のみで、暖房はありません。考えてみれば当たり前なのですが、初めて気がついた時には感動しました。寒冷地仕様というのがありますが、さしずめ熱帯仕様でしょうか。

車の冷房は年中つけっぱなし。一度、エアコンが壊れた時には、往生しました。エンジンという熱の塊を抱えて走っているようなものなので、車外の方が涼しく感じるくらいでした。

従い、バッテリーの消耗も早く、寿命は日本の半分以下、1年半~2年といいます。バッテリーも突然あがって、往生しました。そんなはずは・・・あるのがペナンです。

2007年5月30日 (水)

ペナンの車のPマーク

ペナンで車を運転していると、車の後部ガラスに赤で大きく「P」とステッカーを貼ってある車が走っているのによく出くわします。当初、これは宗教団体か政治団体の統合の象徴?かと思ったのですが、さにあらず、所謂マレーシアの初心者マークなのでした(Provisionを意味するマレー語Peruntukanの頭文字ではないかと思われます)。「P」マークがついていても、決しておとなしく走る車ばかりでなく、バイクから小型車(ペルドゥア車)に乗り換えたからか、バイク並みの機動力で走り回る小型車も多いので、注意が必要です。

こうして見ると、右から左から、縦横無尽、傍若無人に走り抜けるバイクのマナーこそが元凶で、これを正すと、ペナンの街並みも随分走りやすくなるような気がします。まさにこれこそが中国や東南アジアにおける風物でもあるのですが。。。

2007年5月29日 (火)

ペナンの日本食レストラン

先日、日本人の同僚と連れ立って、ガーニー・プラザ横のGホテルに最近オープンしたばかりの日本食レストラン「味楽」に行きました。「すし金」も経営するTEXCHEMの高級日本食レストラン部門だけあって、寿司のネタが新鮮で、寿司ばかり食べてしまうほどでしたが、一品料理もまずまずで、冷えた醸造酒をちびちびやりながら、一同、すっかりご満悦でした。

最近オープンしたという点では、アイランド・プラザ斜め向かいの「龍馬」も、なかなかしっかりした味で、顧客同士が見えないように座席を配置している内装も凝っていて、評価が高いレストランの内の一つです。ロケーションがややダウンタウン外れにあるハンディはありますが、元ジャズ・シンガーだったという異色のオーナーのもと、日本の料亭で永らく腕を揮ったという日本人シェフによる本格的な日本の味をゆったり楽しめるのは魅力です。関西人の私としては、お好み焼きが美味かったのが特筆モノ。

いずれも、酒まで飲み食いしていると一人当たり100リンギッ(3000円)するほどの高級店ですが、日本食の高級店ということでは、Cititelホテル・ロビー階にある「霧島」を外すわけには行きません。浮き沈みが激しいペナンにおいて、老舗の部類に入りますが、ペナンにおける日本食レストランと言えば「霧島」と言われるほど、寿司や一品料理で、日本食の水準を高いレベルに保って来て、日本人に憩いの場を提供して来てくれました。座敷はありませんが、居酒屋風の店内で、個室(テーブル)での会食も可能です。ペナン通りというペナン随一の目抜き通りに面していて、Garageという若者の溜まり場とも目と鼻の先で、二次会にも困らない絶好のロケーションです。

アイランド・プラザ向かいにある「すみ田」は、バツー・フェリンギにあるムティアラ・ホテルの日本食レストラン出身シェフが独立した店で、小ぢんまりとした雰囲気良し、盛り付けや皿は、居酒屋と言うより小料理屋の風情で、日本の食を楽しめます。是非とも寿司や刺身を試して頂きたいものですが、関西人の私としては、うどんが美味いのが何より嬉しい。

もう少し庶民的な日本食レストランとしては、Burma通り沿いにある「霧島」系列の「日本屋台村」は、美味い日本のラーメンが食べられる店として人気があります。味噌、しょう油、塩だけでなく、トンコツや何故か和歌山ラーメンまであります。私のマレー人上司やかつてのシンガポール人社長も贔屓の店でした。店内は、回転寿司があり、それ以外は居酒屋風ボックス席になっており、くつろげます。

もう一店、日本人経営ではありませんが、「すみ田」と背中合わせにある「味のれん」は、店内こそ日本の土産物で飾りつけ、如何にも似非日本食レストラン風なのですが、意外に味は良く、何よりプライス・パフォーマンスが高い(すなわち安い)のが魅力です。昼のセット・メニューも充実していて、我が家も週末の昼に贔屓にしている店の一つです。

以上、6店を紹介しましたが、Burma通り沿いにはまだまだお勧めの店が一杯あります。「樹林」は、「霧島」出身シェフが腕を揮う、しっかりした日本食レストランですし、同じくBurma通り沿いの「春日」は、刺身メニューはありませんが、焼き鳥が美味く、メニュー豊富なのが魅力です。「日本屋台村」の並びにある「宮坂」は、エクアトリアル・ホテルにある「勘八」レストラン出身シェフによる懐石レストランで、セット・メニュー中心で、単品メニューが少ないのが呑兵衛には物足りないかも知れませんが味は良い。「紫」は、Burma通りから少しだけ引っ込んでいますが、日本の居酒屋かと見紛うほど日本人サラリーマンの溜まり場になっています。ホテルにある日本食レストランには、「霧島」のほかにも、エクアトリアル・ホテルの「勘八」など、さすがに味も値段も本格的ですし、最近リニューアル・オープンした代表的リゾート・ホテルのラササヤンには噂に聞く「和歌」というレストランがあります(まだ試したことはありません)。

狭いペナンの街でも、日本食レストランはゆうに20を越えます。これらは基本的に筋が良い方の日本食レストランと言えますが、例えばアメリカにいた頃、Japanese Foodと言う看板だけで単価を高く設定できるとあって、韓国人や中国人が経営する“もどき”のレストランが結構ありました。最近、政府が海外の日本食レストランの認定制度を検討しているというのも、そうした背景があります。しかし味は、本来、日本国政府が認める次元のものではなく、市場において淘汰されるべきものです。我々自身の舌が試されるのであって、しっかりとその味(とサービス)を見定めて行きたいものです。

車に関する英語

因みに・・・ご存知の方も多いと思いますが、パンクは英語でフラット・タイヤ(I have a flat tire/tyre.)と言います。フラットというのは、空気が抜けた、ぺしゃんこの、という意味のほか、バッテリーがあがった場合やビールが抜けている場合にも使いますので、バッテリーがあがった場合にも、例えばフラット・バッテリー(I have a flat battery.)などと言えば通じます(ほかに、The battery was dried up.など)。

かつてアメリカにいた頃に戸惑ったのは、車の関係では和製英語が多く、そのままでは通じなかったことでした。ハンドルではなくスティアリング・フイール(Steering Wheel)、クラクションではなくホーン(Horn)、フロント・ガラスではなくウィンドシールド(Windshield、英国ではウィンドスクリーンWindscreen)、バックミラーではなくリアビュー・ミラー(Rearview Mirror、同ドライビング・ミラーDriving Mirror)、ガソリンスタンドではなくガス・ステーション(Gas Station、同ペトラル・ステーションPetrol Station)といった具合いです。

更に今、併記した通り、同じ英語でも米国式と英国式とで異なる場合があり、ガソリンは米国ではガス(Gas)ですが英国ではペトラル(Petrol)です。アクセルは英国式(Accelerator)で、米国ではガス・ペダル(Gas Pedal)、ボンネットも英国式(Bonnet)で、米国ではフード(Hood)、ウィンカーも英国式(Winkers)で、米国ではブリンカー(Blinkers)、ナンバー・プレート(Number Plate)も英国式で、米国ではライセンス・プレート(License Plate)と言います。

こうして見ると、日本では英国式の言い方が馴染みが深いようですが、これは同じ左側通行であることと関係あるのでしょうかね。ちょっと前回からの“ついで”ネタでした。

2007年5月26日 (土)

ペナンでタイヤがパンクすると・・・

昨晩の帰宅途上、どうもハンドルが取られる不安定さを覚えて、マンションの駐車場に到着してから、なにげなくタイヤに目をやると、後方右側のタイヤの空気が半分くらい抜けていました。

今朝、見ると、空気は完全に抜けていました。スペア・タイヤを調べると、こちらも空気が抜けていて使い物になりません。仕方なくタイヤを外し、家内の車で近所の修理工場に持ち込むと、若い、いかにもメカ好きそうなお兄さんが、穴を特定して、刺さっていた5cmほどのクギを抜いて、ゴムらしきものを力一杯突っ込んで、再度、水に浸けて漏れがないことを確認して、修理にはものの5分とかからず、わずか5リンギッ(150円)でした。かつてアメリカでやってもらったのと同じ方式だったので、大丈夫とは思いましたが、途中でガソリンスタンドに立ち寄り、空気圧を確認しながら、今日はいつもより慎重に運転して会社に行きました。

さて、今回は自宅まで辿り着いたのが不幸中の幸いでしたが、高速道路などを走行中にパンクすると、困ったことになります。スペア・タイヤもぺしゃんこだとお手上げです。かつて、現地人の同僚の話で、そういう場面に遭遇してすっかり当惑していたところ、通りすがりのバイクのお兄さんが助けてやると親切に申し出てくれて、パンクしたタイヤとともに駄賃の5リンギッを渡したら、二度と戻って来なかったそうです。それ以来、彼の教訓は、マレーシアでは他人に頼らず、車を放棄して自分の足で修理工場かガソリンスタンドを探すというものです(私は駄賃は後で渡すべきだと思うのですが・・・)。

それは最悪のケースとして、先ずは自衛のため、スペア・タイヤの空気圧チェックは欠かせません(反省!)。また、パンクしたタイヤを取りに来て修理後に届けてくれるバイク便のサービスがあるらしいので、電話番号を控えておくのも手です(私は知りません)。

日本でパンクすることなど、まず経験がないので、すっかり油断してしまいました。別の現地人の同僚によると、クアラルンプールでも10年間一度もパンクしたことはなかったが、ペナンでは毎年のようにあるとこぼしていました。なにしろ、ペナンは発展途上の地、道路に陥没が多く、工事中の箇所も多く、道端は汚れていて、石ころやゴミの中に何が転がっているかも知れたものではありません。普段から危機管理が大事だと自戒するとともに、車は走って当たり前なのですが、その当たり前のことを当たり前に遂行することの有難さを噛み締めた一日でした。

2007年5月25日 (金)

久しぶりのドゥリアンの味は・・・

と~っても美味しかった^^ 

上司の現地人が、昨晩、帰宅途上の屋台で見つけたからと、朝からちょっぴり匂わせながら手にぶら提げてオフィスに現れました。最近加わった日本人出向者に食わせようという配慮です。今の時期は、ちょうどローカル(マレーシア国産)ドゥリアンのシーズンで、そのドゥリアンはバハン州産だそうです。3月頃、ちょうど花をつける時期に、今年は雨が多くて花を散らせてしまったために、国産ドゥリアンは不作だと噂されていましたが、なかなかどうして(値段は多少上がっているかも)。新鮮なドゥリアンは、ツンと鼻をつくアルコール臭さはあるものの、日本人が想像するような(あるいは経験するような)臭みはなく、食べ頃の成熟した果物の匂いがなかなか食欲をそそります。それでも、時間が経つと発酵が進んで、どうしても臭って来るので、二重三重にビニール袋で密封した上、会社の冷蔵庫にしまって、夜、従業員が帰宅したのを見計らって、満を持しての、ささやかなドゥリアン・パーティです。

お尻の方からナイフを入れて割ります。桃の種くらいの大きさの種を、バナナよりも柔らかい実がこってりと包み込んでおり、むさぼり付くと、ツンと鼻をつくアルコール臭さと、いかにも脂肪分が多くてカロリーが高そうな濃厚・芳醇な南国の果肉の味が口一杯に広がります。時間とともに発酵が進んで臭みに転落しかねない、そのぎりぎりの味わいが、人によってはクセになってしまうのでしょうか。およそ最上のものは、紙一重にあるものです。現地人でドゥリアンが嫌いという人は、聞いたことがないのは、なるほどよく分かります。日本人も、新鮮なドゥリアンを口にしたら、考え方が変わるに違いありません。農村部には、チリを混ぜてキムチ・ドゥリアンにすることがあるようですが、それはちょっと強烈そう(怖いもの見たさで、食べて見たいけど)。

自宅に帰った頃にはドゥリアンのことをすっかり忘れて、晩飯でうっかりビールを飲んでしまいましたが、アルコール(ブランデー等のアルコール度数が高いリキュール類)と食い合わせが悪いと言われますが、ビールは確かに大丈夫そうです。

2007年5月24日 (木)

インドネシアのシーラカンス

ほんの数日前、インドネシア北スラウェシ州で、シーラカンスが見つかりました。それ自体、珍しいわけではありませんが、今回は、深海魚が何故か浅瀬で漁師の網にひっかかったところが不思議で、水温や水圧の変化に弱いために、残念ながら17時間後には死んだそうです。

シーラカンスと言えば、存在は余りに有名ですが、私自身はその生態をよく知りませんでした。調べて見ると・・・地球上に出現したのは約3億8000万年前、古生代デボン紀の化石で確認されています。その後、約8000万年前の白亜紀以降の化石記録がないため、恐竜とともに絶滅したと思われていました。ところが、1938年、南アフリカ共和国の東海岸沖で、硬く大きなウロコをつけ、手足のようなヒレを持つシーラカンスが捕獲され、化石種との間で形態的な差異がほとんど見られないことから、「生きた化石」と呼ばれるようになりました。その後、マダガスカル島北西のコモロ諸島周辺では200匹以上が捕獲され、ここが主な生息地と見られています。アジアでは、1998年にインドネシアのスラウェシ島を訪れていた新婚旅行中の学者が、なんと魚市場で発見したというのですから、いかにもアジアらしいですね。

体長は1~2メートル、体重は大きいもので90Kgにもなります。その名はギリシャ語で「中空の背骨」を意味する通り、貧弱な背骨は中空で、中には水のような液体が詰まっています。また浮き袋には空気ではなく脂肪が詰まっています。卵ではなく、体の中で卵をふ化させて稚魚が少し成長してから対外に生み出す卵胎生という方法で繁殖することが、解剖によっても証明されました。

普通の魚に比べて代謝が遅く、あまりエネルギーを使用しないので、普通の魚ほどえさを食べずに生活しているようです。実際、シーラカンスの肉はワックスが入っており、沢山食べると下痢になってしまうと言います。ある魚類学者によれば、肉は味のない歯ブラシ(!?)のようで水っぽくて不味いとのこと。しかし、最も絶滅の恐れのある絶滅危惧Ⅰ類の種として登録されていますので、食べる対象としてはもとより期待されていません。むしろ、逆立ちしたり、真後ろにリバースしながら泳げる芸達者なサカナらしいので、エリマキトカゲとかウーパールーパー(ちょっと古い?)に続く人気者になれるかも。

2007年5月23日 (水)

世界競争力ランキング23位

先日、ヨーロッパの代表的なビジネススクールである国際経営開発研究所(IMD)が「世界競争力年鑑」を発表しました。グローバル企業が国際競争力を維持するためのビジネス環境を各国がどれだけ総合的にサポートすることが出来ているかを問うもので、世界55ヶ国・地域を対象に、「経済パフォーマンス」「政府の効率性」「企業の効率性」「インフラ」の4部門、323項目を指数化して、統計や聞き取り調査によりランキングを算出しています。

ベスト3は、アメリカ、シンガポール、香港だそうで、まさしく外部の頭脳をうまく取り込んで、国としての競争力を維持・強化している点が共通します。

日本は、1994年には世界第3位でしたが、その後じりじり後退し、2002年には27位まで順位を落としました。その後反転し、昨年は17位まで回復しましたが、今年は再び24位に順位を下げ、昨年の19位から15位に順位をあげた中国や、22位から23位に停滞しているマレーシアにも初めて抜かれました。日本は、インフレ率や外貨準備高、平均寿命といった項目ではトップクラスですが、直接投資の受け入れ額や企業税制、財政赤字、外国語能力などで最低水準に低迷しているようです。かつてIMDから、老化を自覚して気力を失った「中年の危機」だと診断されたことがあったそうですが、私には、国の成り立ちが、単に外に対して相対的に閉鎖的と映ります。

因みにASEAN諸国は、ここ6~7年の間に、順調に国際競争力を回復もしくは維持しているシンガポール、マレーシア、タイと、毎年低下を続けるフィリピン、インドネシアとに二極分化しています。マレーシアやタイはエレクトロニクスや機械関連の外資誘致を強力に進めていることが評価されていますが、必ずしもここ数年でランキングを上げているわけではありません。マレーシア23位、タイ33位と、シンガポールと比べると、まだまだ彼我の差が大きいのが実情です。

なお中国は、去年・今年と18位をキープしている台湾をも抜き去りました。後から振り返ると、象徴的な年として記憶されることになるでしょう。そんな中国も、このレポートは、国際投資家の中国大陸部への信頼感を引き上げ、積極的な影響を与えていると評価する一方で、発表機構自体の視点と価値観を基準として作り上げたものであって、ある程度の参考価値があるとしても、中国政府が政策を策定する際に、特に参考としたり、指導的な役割を果たすことはないだろう、とわざわざ断っています。相変わらず、中国らしい、言わずもがなのところがありますが、要はどういった視点と価値観を基準としているかを理解した上で、一つのスコアカードとしてどう評価するかだろうと思います。

国家にしても企業にしても競争環境の中にいます。その競争環境は常に変化しており、企業は絶えざる競争の中で生き残りを賭けて挑戦し続けています。そうした中で、一定のカテゴリーの中だけの話ですが(私自身は重要なカテゴリーだと思うのですが)日本という国家が地盤沈下しているのを、皆さんはどう感じるでしょうか?

2007年5月22日 (火)

ペナンの韓国料理レストラン

昨日の日曜日は、日本からの出張者がいたため、よせばいいのに炎天下でゴルフに付き合って、帰宅後も身体は水分ばかり欲しがって、すっかりのびてました(そのため雑文を投稿できませんでした)。今宵はそのスタミナ補給というわけではありませんが、別の日本人出張者を連れて、韓国BBQの「ソウル・ガーデン」に繰り出しました。

ペナンの肉はチキンばかりではありません。数は少ないですが、ステーキハウスもありますし、韓国焼肉の店もあります。ボストンにいた頃は、日本食レストランが少なかったために、韓国レストランに入り浸り、メニューの端から順番に試して、今ではすっかり韓国料理通を気取っています。特に米軍施設がある界隈では、朝鮮戦争の名残りでしょうか、韓国女性と結婚した米軍関係者が韓国料理レストランを経営するケースが多く、美味しい韓国料理を求めて、わざわざ高速道路を半時間も飛ばして出かけたものでした。

さて、ペナンで本格的な韓国料理としては、先ずはシェラトン・ホテル三階にある「秘苑(ビーウォン)」を挙げなければなりません。ママさんが美人であることはともかくとして、チマチョゴリ姿の女性が出迎え、何故かグランドピアノまである荘厳さで、味も上品でまろやかで、心行くまで韓国料理を楽しめます。その代わり値段が高いのは覚悟しなければなりません。最近、会社傍のオート・シティで、「B1」の名前で普及版を出店し、ランチタイムの定食市場にも進出しました。最低価格20リンギッと高目ですが、若者中心にそこそこ人気があるようです。

しかし私と私の家族のお気に入りは、何と言ってもガーニー・プラザ傍にある「ソウル・ガーデン」です。「秘苑」に比べると、店の立地も内装も庶民的で、値段もそれほど高くはありませんが、カルビ焼き45リンギッ、牛タン焼き35、チャプチャエ(春雨)25、パジョン(韓国風お好み焼き)、カルビタン(クリア・スープ)、ユッケジャン(キムチ入りスープ)は20リンギッもすることから分かる通り、なかなか本格的です。味は「秘苑」に比べて香辛料を利かせて、とんがった味付けで、私としてはこちらの方が断然好みです。

他にも、「ソウル・ガーデン」のママさんのお友達が経営する店(「Kim Chi」)がCopthorne Orchid Hotel向かいに昨秋オープンしましたし(メニューも値段も似通っていますが、カルビタンは自分で塩コショウで調節するなど、味付けはやや異なります)、Hydro Majestic Hotel地階には「Han Kook Kwan」という店もあります(パジョンはなかなか美味いのですが、全般的にはメリハリのない味付けで、やや個性に乏しい)。しかし、総合的に、先に挙げた二つの店が、頭一つ抜きん出ているように思います。

最近、インターナショナル・スクールへの韓国人の入学が増えていると言います。かねてより韓国での受験熱は有名でしたが、儒教が色濃く残る閉鎖的な社会であることを嫌気してか、海外に逃避するケースが増えているとの噂です。これから益々、美味しい韓国料理への需要が高まる可能性が高く、私としては嬉しい限りで、目が離せません。

2007年5月20日 (日)

日本の中の朝青龍

最近、私が駐在している子会社で、日本人出向者が三人から六人に倍増し、俄かに日本人のプレゼンスが高まりました。それが現地人にどのように受け止められているのか、どうしても気にしないわけには行かず、現地人がいる前でのちょっとした日本語のやり取りにも神経を遣います。

唐突ですが、外国にいるマイノリティの日本人と同様、日本の中のマイノリティとしての朝青龍は自らをどう意識しているのか、興味があるところです。特に閉鎖的な角界のことなので、なおさらです。

彼には気の毒ですが、日本人10人の内9人までは、横綱としての彼に魅力を感じていないだろうと思います。かつて同じように圧倒的な強さを誇った北の湖も余り人気がありませんでしたが、それでも勝っても表情を変えない彼には孤高を絵に描いたような横綱としての品位を感じさせ、人々をして一目置かせていました。今、朝青龍に対する日本人の目は、厳しい。実際、最近の日経の相撲記事を読んでいると、明らかに抗議のキャンペーンを張っているようです。数日前にも、「先制パンチ」という見出しが躍っていました。相撲界でパンチはないだろうと思うのですが、冷静な日経をしてここまでセンセーショナルな物言いをさせるのですから、よほどのことと言うべきです。先場所中日の稀勢の里との一戦では、勝負がついた後に膝蹴りを喰らわせていたのが記憶に新しい。4月30日の出稽古では、新小結豊ノ島にプロレスまがいの技をかけて負傷させ、病院送りしたと言います。

彼の勝負師としての拘り、闘争心には敬意を表します。しかし負けず嫌いが過ぎるのでしょうか、その結果、暴言を吐いたり、小競り合いや物へ八つ当たりしたり、カッとなると見境がなくなって、お騒がせな行動が目立ちます。さしずめプロレスなら悪役外国人レスラーといったところですが、一人横綱として角界を支えているのですから、立場が微妙です。

さて、以下は私の単なる憶測です。

そもそも彼にとって、相撲は単なる格闘技に過ぎなくて、更に言うと、一定のルールに基づいた合法的な喧嘩とまで思っているかも知れません。しかし日本人にとって、相撲は決してスポーツや格闘技ではなく、一種の伝統芸能であり、様式美が求められます。最高位の横綱は常に勝たなければならないのですが、ただ単に勝てばよいというものではなく、正々堂々と受けて立ち、決めワザで美しく勝ち、勝っても喜びを見せないと言った、言わば品位ある勝ちっぷりが求められます。実は品位という価値観は、競技スポーツそのものと直接結びつくものではないはずですが、こと相撲に限っては日本人の美意識が凝縮しているようです。

更に、彼は一人で日本に殴りこみをかけているつもりでいるかも知れません。取組み前の傲慢なまでの挑発的な態度、取組み後の勝ち誇った顔、いずれも、日本の相撲界の横綱としての看板よりも、モンゴル相撲のチャンピオンという意識が強いような気がします。そして、日本のマスコミやファンから批判や冷たい視線を浴びせられるほど、彼自身の愛国心はますます燃えあがるはずです(たぶん)。

かつての外国人力士には、高見山を筆頭に、郷に入っては郷に従えの潔さが感じられました。琴欧州などはまさにその系列にあります。しかし彼にはそうした殊勝な態度が微塵も感じられません。相撲界がこれまで受け入れてきた外国人力士の中では、前代未聞の特異なキャラクターと言えるかもしれません。それ故に、相撲協会としても対応に困っているのでしょうか。マイノリティ故の気兼ね、今、角界を背負う一人横綱が外国人である故の気兼ねがあるのでしょうか。こうなれば、強い日本人の横綱を待望するしかないのでしょうか。

私は、横綱である前に、一人の人間として、他者に対して敬意を表するべきだと思うのです。外国にいるからこそ、尚更、重要だと思うのです。

2007年5月18日 (金)

ペナンのスチーム・ボート・レストラン

今日は同僚とともに、久しぶりに「ゴールデン・ゲート(金門)」に行きました。スティーム・ボート専門のレストランです。日本で言うところの海鮮鍋で、各種野菜や肉や魚やマッシュルームを鶏がらスープで煮込んで、ニンニクやチリソースやポン酢とともに食べます。

このスティーム・ボート形式のレストランはGeorge Townにいくつかありますが、中でもこの「ゴールデン・ゲート」は、見た目は大衆食堂のようで、やや小汚い印象ですし、ウェイトレスも愛想がない(!?)おばちゃんばかりなのですが、鶏がらスープの味が良くて、値段も手頃なため、家族向けに絶大な人気を誇り、我が家でもお気に入りレストラン(三傑)の一つです(因みに残り二つは某イタリアンと某韓国焼肉)。誰か日本人客が教えたのでしょうか、ポン酢を常備しており、通常は、小皿にチリソースを取り分けて、具をそれに浸して食べるのが現地流なのですが、我々日本人は、小鉢の取り皿に具とスープを入れて、ポン酢と緑のチリ・ピーマンの粒をぶっ掛けて食べると、絶妙な味わいです。仕上げは、ご飯を煮込んで、生卵とネギと海苔を加えて海鮮粥にし、肉や魚の栄養をたっぷり吸い込んだスープを最後の一滴まで味わいます。脂っこく、甘辛い料理が多いペナンにあって、あっさり味の鍋は、至福の時です。

またこの近くには、同じスチーム・ボート専門で「FLAME」という洒落た店もあります。ここはスープの種類が多く、通常のクリア・スープ(鶏がら)から、ジンジャー・ミルク、トムヤン、キムチ、すき焼き・スープまであり、二種類選べて味比べが出来るのが売りです(お勧めは最初の二つ!)。美人六人姉妹の二番目のお姉さんが経営し、店内は明るく清潔で、内装が垢抜けている上、時折、長女や三女が遊びに来て華やいだ雰囲気になり、当然値段はやや高めですが、家族連れや、私のような社用族で賑わいます。

野菜を多く取れるのと、あっさりした味付けで健康に良さそうな印象を与えるため、単身赴任者にも人気で、ペナンのような常夏の地で鍋!?というのは違和感があるかも知れませんが、ガンガンに冷やした店内で鍋をつつくのもオツなものです。

2007年5月17日 (木)

ノーブレス・オブリージェ

フランス語で“noblesse oblige”、文字通りに訳すと「貴族の義務」「高貴な義務」で、高い身分にはそれ相応の義務が伴う、転じて、財産や権力などの社会的地位がある人には社会的責任や高い倫理が伴うという意味で、欧米社会では広く見られる道徳観です。騎士道に類似した武士道の伝統を持つ日本人にも馴染みやすい考え方でしょう。

私がペナンで勤務する子会社の社長は現地採用のシンガポール人で、残念ながら先月辞めてしまいましたが、なかなかに男気のある魅力的な人物でした。今思うと、この言葉が似合う、奇特な人でもありました。

屋台で食事していると、よく物売りがやって来ます。新聞や宝くじモドキはまだしも、時に障害者と思われる人が寄付目当てで物を売り歩くことがあって、私のような小心者は、素性が分からないものには申し訳ないと左の胸で呟きつつ拒絶してしまうのが常ですが、その前社長は、こまめに金を払っていました。ゲームセンターのUFOキャッチャーで取るような人形に10リンギッ(300円)、チャチな傘に20リンギッも払うのですから、こちらの相場では決して安くはありません。

彼も100%信じていたわけではないでしょう。彼は、ハイテク企業にベンチャーの頃から勤めて、その間に付与されたストックオプションで、シンガポールに不動産を5つ持つほどのお金持ちです。何故、私の勤務するような中小企業の社長を引き受けたのかと聞くと、金じゃない、チャレンジだと答えたほどでした。金は問題ではないと言えるほどの余裕があるからこそ出来ることなのかも知れません。しかし金は魔物です。欲望は限りがないのがその本質です。そういう意味で、彼の行為は、純粋に「喜捨」だと思いました。

「指導者層にノーブレス・オブリージェが失われたら、その国は滅びる」と、天谷直弘さんは断言されました。渋沢栄一さんの遺訓にも、「片手にソロバン、片手に論語」というのがあります。

私も歳を重ねて、経営者やリーダーたるもの、「無私」でなければならないと、最近、強く思うようになりました。これまで仕えた上司の中には、公私混同する人、小金とは言え会社の金を自分のもののように使って平気な人がいましたし、給料が安いのだから接待費を内輪で使うくらいの旨みがないとやっていられないと放言する人まで見たことがあります。自戒するところです。必要なのは、自分の役職や立場(あるいは更に一回り上の立場)から発想する使命感でしょう。

屋台の話は、ほんの一例に過ぎません。彼は、個々人が元気になること、チームとしてまとまって力を発揮することを重視し、常に周囲を盛りたてようと気を配る人でした。彼こそ、私にほんの一瞬からまり、いつの間にかまた吹き過ぎて行った風のような人でした。今、その喪失感を、ほろ苦い気持ちで噛み締めています。

2007年5月16日 (水)

個性と平等

アメリカから帰国して一年後、上の子が小学校に入学する際、学校と教師に対して期待することを書けと言われたので、以下の二つを挙げました。一つは、フェアであること(平等に扱うこと)、もう一つは、個性を尊重する雰囲気を醸成すること。

今、思うと、如何にもアメリカ帰りのバタ臭さを感じますが、きっかけはありました。その前年の幼稚園の運動会で、4人で徒競走してバラバラにゴールしながら、「みんな一番」と書いた台の上に立たせて健闘を讃えて、序列をつけなかったのです(手を繋いで皆一緒にゴールするよりマシかも知れませんが)。まだ幼稚園児で、無理に競争環境に置く必要はなく、目くじらを立てる方が大人気ないと、その時は気にしないようにしましたが、心のどこかで引っかかっていました。平等に扱うことが、個性を阻害していないか。

小学一・二年の運動会の徒競走では、ごく普通に背丈の順に組分けして走らせていました。ところが三年の時には、事前にわざわざタイムを計測し、本番ではタイム別に組分けして走らせたのです。これでは僅差での競争にしかなり得ません。否、競争をなくして同じようにゴールさせる、言わば結果の平等を目指すもので、明らかにやり過ぎです。極端な場合、タイムが速い子は、スタート地点の後ろから110M走らせ、タイムが遅い子は、スタート地点の前から90M走らせる、というような暴挙になりかねません。

かつての柔道は重量別ではなく、今で言う無差別級一本でした。柔よく剛を制す、剛よく柔を断つところに柔道の真髄、醍醐味がありました。相撲も同じです。野生の世界や、人の世の多くも同じことで、体力差があっても、強いものが勝って、手加減は基本的に許されないのが自然界の掟です。徒競走の例で言うと、全員一斉に走らせるか、せいぜいくじ引きか何かで無作為に組分けして走らせるのがこれに当たります。一方、ボクシングやレスリングは重量別に勝負します。身体が小さくても優勝のチャンスが与えられるという意味では、機会均等を保障するシステムと言えます。背丈の順に徒競走するのがこれにあたります。競争のルールは、しかし、せいぜいここまででしょう。

実は、アメリカ的な平等は、機会の平等なのですね。ところが戦後の日本は、平等という観念が結果の平等に傾きがちで、世界一(つまり共産主義国以上に)平等な社会だと揶揄されるのも、故なしとしません。しかし、本来、個性や才能は、自由な表現や自由な競争のもとで、互いに触発され切磋琢磨することによって花開き、そういった個性や才能が磨かれる中で、学問や芸術や産業や研究開発は発展していくものです。そういう意味でも、個性や才能は等しくチャンスを与えられなければならない。

当たり前のことですが、こうした個性や才能は一様ではありません。受験勉強が出来る子は大いに褒めてあげればいい。絵が上手い子も、走りが速い子も、同様に褒めてあげればいい。プレゼンテーションが上手い子、人付き合いが上手い子、リーダーシップがある子、それぞれに個性であり才能です(実は企業社会では、受験勉強の平均点の5点や10点の差より、行動的・積極的にリーダーシップを発揮したり、プレゼンテーションや人の心を掴むのが上手いことの方が重要だったりする)。

インターナショナル・スクールでも、普通にスポーツ大会があり、それぞれ上位3位までにリボンが贈られます。参加した全員に贈るべきだと主張した親御さんがいたらしいですが、やんわりたしなめられたそうです。水泳大会もあり、読書コンクールもあり、学年の最後に、リーダーシップをよく発揮した生徒も表彰されます。個性はそれぞれ等しく尊重されるべき。何故なら、4番バッターばかり集めた巨人が勝てなかったように、社会はさまざまな個性の分業によって成り立っているからです。

2007年5月15日 (火)

ペナンで日本の通信教育

これまで申し上げた通り、日本の教育制度に対して拭いがたい不信感があるのは事実ですが、あくまで日本人として育って欲しいので、家では日本語で会話し、高くてもアマゾンで日本の本を取り寄せて、日本語に触れさせる環境をつくるようにしています。

更に私自身も高校時代に世話になった通信教育の海外への郵送サービスを、上の子のために申し込みました。日本の教育制度に不信感があると言いながら、いずれまた日本に帰国した暁に、言葉(ターム)が違うばかりに苦労するのは可哀想だと気遣い(例えばOdd Number=奇数とか、Even Number=偶数とか、Prime Number=素数とか)、結局、日本の受験制度にいつでも戻れるよう、二股かけているのですから、世話ありません(日本に戻ったら日本のインターナショナル・スクールに入れれば良いじゃないかと言われそうですが、高いと噂される授業料にしがないサラリーマンが耐えられる自信がありません)。

この二年間、ようやく英語の授業に慣れて来て、宿題も増えて大変なところへ、週末は通信教育で日本の勉強も、というのでは、お気楽な中学生だった自分のことを思い出すにつけ、ちょっと子供が可哀想になります。しかし、結局、他民族社会で日本人として生きて欲しいと願うのは、要はどちらか一方だけ(日本語だけか英語だけか)で生き抜く決意が出来なかったという意味でもあります。英語の世界でネイティブの人とも対等にわたりあえる語学力と文化的素養を身につけることが出来るかというと、このまま現地化してしまえば可能かもしれませんが、逆に日本人としての素養を犠牲にせざるを得ず、それはそれで踏ん切りがつきません。日本人でありながら英語が堪能、英語で日本の心を伝えることが出来るという、ある意味で中途半端な道にしか活路を見出せなかったのです。と言ってしまうと帰国子女の方に失礼かも知れませんが、私の周囲にいた帰国子女の同僚の苦労話を聞いていて、そう思いました。

わざわざンターナショナル・スクールに入れて、日本の勉強に遅れてしまう不安もない訳ではありませんでした。しかし、かつて、私とその周囲を見ていて思ったことですが、人それぞれに到達ポイント(ポテンシャル)は決まっていて、誰もが同じ高みに達することが出来るわけではない。早ければ早いほど良いという訳でもないし、いずれ伸びる子はどこにいても伸びる(伸びない子はどんなに頑張っても自分のポテンシャル以上に伸びない)という諦観です。そして、その分水嶺は高校生の頃にあり、勿論、受験勉強に限った話ですが、それまで頑張っていた子が伸び悩むといった具合いに、対応できるか出来ないかの歴然とした差が出てくる。結果として、それまでは焦る必要はないのではないかと思うのです。ただ環境に影響を受けやすい場合は配慮が必要かも知れません。

週末になると、遊びたい盛りの子供の勉強への取り組みが悪く、つい子供とぶつかってしまいます。パパも同じ年頃、こんなに勉強していたの!? そりゃもっともな疑問ではあります。日本にいたら、相変わらず放ったらかしにしていたろうなあと思うと、余計、不憫に思います。これでもいろいろ葛藤があったのだと、ワケを説明しようにも、なかなか理解してもらえない。子供は泣き出しちゃうし、なかなか辛い週末です。何故か学校自体はとても楽しくて、友達とは仲良くしているようで、それがせめてもの慰めです。

2007年5月13日 (日)

インターナショナル・スクールのその後

結局、子供たちをインターナショナル・スクールに入れることに決めたのは、日本の教育制度への不信感が背景にあります。日本人学校に入れれば、ペナンだろうが、日本の教育制度の末端に組み込まれることになります。そのことに、ちょっと抵抗したい気持ちになったのです。

最近の子供たちは、忙しくて気の毒ですね。日本にいたら、中学受験させるかどうかで気を揉んだに違いありません。本来なら子供のうちは子供らしい遊びをして欲しいし、何事も歳相応のことをするのが一番だと思うのですが、特に関東ではお受験やら中学受験のおかげで、それらが歪められているように思います(関西では名門公立高校が生き残っていて、小・中学校では比較的のんびりできる)。一方で、ある時期は、詰め込みでも何でも、基礎学力をつけておかなければならない時期があるはずなのに、日本の学校は生ぬるい(最近はようやく「ゆとり」からの揺り戻しがあるようですが)。しかも、民主教育を履き違えて悪平等がはびこっている。これについてはいろいろ言いたい事がありますが別の機会に譲ります。

今の私自身のベースとなっている、自然とのふれあいとか、友達とのふれあいとか、じっくり本を読むこととか、そういうものがだんだん失われて、子供たちがどういう成長を遂げるのか、正直なところ、不安になることがあります。もっとも私たちの世代だって、高度成長で豊かになる中で、どんな大人になっていくのか心配されていたのでしょうから、それほど心配には及ばず、子供というのは逞しいものなのかも知れません。子育ては、いつの世も迷うことばかりなのかも知れません。

さて、インターナショナル・スクールに入った子供たちはその後どうなったでしょう。

下の子は、言葉が全く通じない世界にぶち込まれて、最初の一週間は、学校に行きたくないと泣きました。幸い、まだ日本で言う年長組で語彙も限られており、同じクラスに日本人と日本語を話すインド人のお友達がすぐに出来たことで、いつの間にか溶け込んでしまい、最近では日本の教科書を読ませて問題を解かせようとしても英語で答える始末で、漢字、ひらがな、カタカナが苦手で、ひとつ、ふたつといった呼び方すらあやふやで、逆に焦っています(ある程度予想されたことですが)。

上の子は、英語の理解が足りなかったために、最初の一年は英語専門クラス(Intensive Learning Course)に入れられました。普通のクラスでは付いて行けないし足手まといになると見做されてしまったのでしょう。そこは一クラスだけの、日本で言う6年生から中学3年生くらいまでの男女混成の田舎の分校のようなところで、最年少の彼は、いきなり中学生の勉強を教え込まれたり、常に年上相手で、随分、苦労したようです。しかし、却って年下ということで可愛がられていましたし、徒競走では普通のクラスの子を出し抜いてトップになったり、日本でたった一年クラブチームで鍛えただけのサッカーが認められて得意そうでしたし(英語が苦手な彼にとって、何か英語以外の分野で自信をもたせることは重要でした)、苦労した甲斐があって、次の年の6年生では、無事、普通のクラスへの編入を許されました。上の学年の勉強もしていたので、今では楽をしていて(相対的なものでしょうが)、学校が楽しくて仕方ないと言います。

子供は慣れるのが早い、というのは真実です。

2007年5月12日 (土)

ペナンのインターナショナル・スクール

ペナンには日本人学校と、いくつかインターナショナル・スクール(英国系、及びアメリカン・スクールを含む)があって、二年前、ペナンに来た当初、子供をどこの学校に入れるか、チョイスは少ないですが、迷いました。日本人学校を信用しないわけではありませんが、外地の限られた環境でややハンディを背負って、日本の教育制度に組み込まれるのか、それとも、日本の教育制度をいったん離れて、ちょっと回り道でも外国語と外国の文化を通して学ばせるのか。

当時、下の子は5歳だったので、どんな環境でも適応出来るだろうと心配していなかったのですが、上の子は10歳という、外国語を自然に学べるぎりぎりの年齢?で、アメリカ国籍を持っているくせに英語を理解できないのもどうかという見栄だけで、無理強いさせて良いものかどうかが焦点でした。しっかりした日本語と日本語による思考が出来ていないまま、英語という別の言語体系を持ち込んで、混乱して中途半端にならないものかどうか。

結果、無理強いさせているのですが、決め手は、インターナショナル・スクールが、30ヶ国から子供たちが集まっているミニ・グローバルな世界であることで、これは何物にも代えがたい魅力でした。私自身、殆んどアメリカ一辺倒のビジネス・ライフで、アメリカ目線でしか世界を見ることが出来ていなかったのですが、ペナンに来てみて、いろいろ違った目線があることに気がついて、当たり前のことですが、世界はいろいろだとあらためて思っていた矢先のことでした。

アジアは、いろいろな人種や民族が交じり合い、しかし決して融合することがなく、漂っているところが面白い(そういう意味では、アメリカだって一国がミニ・グローバルと言えなくもない)。しかし、以前にも言いましたように、その中で、日本人であることを誇りに思い、しっかり日本を主張して欲しいと思っています。それが国際社会というものだからです。

ですので、英語に慣らせることが大事だと分かっていても、家では日本語で通しています(親が手を抜いているだけだったりして)。

今宵の晩飯の値段

今日も、ストレス解消と、多少は身体を引き締めようと、ドライビング・レンジに行ってひと汗かいたところで、会社の同僚と出くわして、晩飯を一緒に食べに行くことになりました。

現地人と食事に行く場合、だいたい会社幹部が相手なので、日本食とかシーフードとか中華とか、安くても30リンギッ(約900円)、高いと100リンギッ(3000円)近くかかることもあるのですが、今日は若いマレー人のエンジニア2人と屋台に行ったので、ココナッツ・ミルクで炊いたご飯にマレー・カレーや鶏肉を載せて、わずか2.8リンギッ(90円)。飲み物は、一人の若者が奢ってくれました。私の給与の方が3倍も4倍も高いだろうに、マレー人って、お互い様という発想があるのか、奢りたがるものなのです。

そんな彼らは、国産車プロトンを乗りまわすホワイト・カラーで、バイクの若者の運転はクレージーだと、同じマレー人同士で迷惑がっているのが、なんだか妙で面白い風景でした。

台湾でもそうですが、東南アジアの屋台の灯は遅くまでともり、人々は遅くても気にせずのんびり過ごします。私たちも話が弾んで2時間も居座ってしまい、皆、それぞれ砂糖たっぷりの2杯目のジュースを注文しました(これももう一人の若者が奢ってくれました)。これじゃあ折角のドライビング・レンジのエクササイズが台無しだなあと思いつつ、ペナンでは糖分取り過ぎじゃないの?と尋ねると、そうなんだけど、僕は痩せているから平気・・・だなんて、身体の中が蝕まれていても知らないよ。

ということで、今宵はペナン名物・屋台の食事で2.8リンギッのみ。酒も煙草もやらない、快活な若者たちとの会話で清々しくも、しかし蒸し暑いまったりとした夜が更けていきました。

2007年5月11日 (金)

英語を学べば・・・(5)番外編

しつこく、おまけです。

サミュエル・ハンチントン教授の「文明の衝突」が話題になったことがありました。共産主義と自由主義というシンプルな対立の構図の冷戦が終わった現代社会においては、イデオロギーではなく文明が主な対立軸になる、文明と文明が接する断層線で紛争が起こると指摘され、現状、7つ(乃至8つ)の文明があると主張されました。

しかしこれでは、西欧と非西欧の違いを強調するだけの現代的レイシズムだとか、衝突を強調するあまり戦争は不可避となる終末論になってしまい、新たな敵として中国やイスラムを持ち出し、同時多発テロ以降のテロとの戦いを正当化することにならないか、などの批判が相次ぎ、クレポン氏による「文明の衝突という欺瞞」という本まで出ました。文化なり文明は、対立するだけでなく、他との接触によって、相互に浸透しあい借用しあったりする中で変化していくものであり、私たちが戦わなければならないのは、異文明ではなく、そうした世界を敵と友にわけて恐怖を駆り立てようとする政治的発想だ、というわけです。

文化なり文明については、ハンチントン教授が言う通り7つの文明の枠組みが、国家あるいは西欧・非西欧というレベルの枠組みと比較して説明しやすい面があるのは事実ですが、それぞれの文明は独自で閉鎖的であるわけではなく、開放的に相互に交流しており、単一ではなくその中で重層的であるように思います。例えば日本やアジア各国は、固有の土着的なものの上にアジアという地理的なものが重なり、更にその上に近代西欧的な文明が重なるように、必ずしも一様ではありません。アメリカ対ヨーロッパ(例えばフランス)という切り口が説得力を持つ場面だってあります。「英語を学べば・・・」の視点はまさにそこにありました。

上に挙げた本で、ハンチントン教授はアメリカを代表し(ハーバード大学政治学教授)、クレポン氏はヨーロッパを代表する(フランス国立科学研究センター研究員)と見えるのは偶然かも知れませんが、そうして一歩引いて見ると、それぞれの主張が妙に納得出来てしてしまうところが不思議です。

さてその時のアジアの視座はどこにあるか。勿論、ヨーロッパ寄り(苦笑) それはアメリカのように一国一大陸ではなく、ヨーロッパと言いアジアと言い、肩寄せ合って生きている性でもあるのでしょう。

2007年5月10日 (木)

英語を学べば・・・(4)完結編

「英語を学べばバカになる」には、アメリカだけが全てではないというメッセージが強く込められていました。例えば、日本の新聞報道はアメリカ偏重で、アジアやヨーロッパに関する情報が絶対的に不足しており、日本人の世界観をかなり歪めていると私も思います。「英語を学べば・・・」の著者が危惧するのもその点で、親しいフランスを通して、アメリカ流との違いを詳述され、アメリカ(=英語)一辺倒の危険を指摘されています。このあたりは、イラク戦争を巡って立場の違いが明確になったことで、日本人の間でも広く認識されるようになったと思います。

ペナンにいて思うのは、アジアの国々にはヨーロッパの影響が色濃く残っているということです。まだマレーシアはイギリスの影響を受けているため、同じアングロサクソンとしてのアメリカとの近さを感じますが、話される英語はイギリス英語であり、文化的にはヨーロッパ寄りと言えます(ベトナムあたりはもっと違う時間が流れているかもしれない)。Gurney PlazaにあるTower Record店頭には、アメリカ・ビルボードのトップ10だけでなく、ロンドンのトップ10もあるのを見つけた時には新鮮な感動を覚えました。アメリカ中心の海外経験しかない私が、まだアジア的な風景に馴染んでいない頃の話です。また、日本、香港、中国それぞれのトップ10もあり、マレーシアがどこを向いているのか、面白く感じたものです。こうして見ると、アメリカの影響は、ビジネス・スタイルなどの一部に限定されるかも知れません。

実は「英語を学べば・・・」の著者本人のことはよく知らないのですが、高校時代の隣のクラスの同級生だったことは覚えていて、あるこだわりを持って書いてきました。勿論、この本を批判することが趣旨ではなく、単に題材として借りながら、私の思いつきを述べているだけです。最後におさらいすると、この本には二つの局面があります。アメリカが全てではない、アメリカの対立軸としてのヨーロッパ(=主にフランス)を考えると、英語が全てではない。これは私自身の最近の実感としてもその通りでしょう。もう一つ、日本人が普通に生活する上では英語は必要ない。これも真実なのですが、私のようなマイノリティの立場から言わせて貰うと、英語でもフランス語でも良いのですが、外国との交流を通して、日本という国また日本人を外から眺めることは、これまで以上に国境を越えて人も金も情報も行きかう現代社会にあっては重要なことだと思います。自らのアイデンティティである日本を相対化すること(しかし日本人という明確な視座を持つこと)、これは世界視野で物事を見る基本的な前提条件です。「英語を学べば・・・」良いこともある・・・これは大声で叫ぶほどのものではないので、殆ど独り言なんですけど。

2007年5月 9日 (水)

報道の自由ランキング150位

先ごろ、米国ワシントンDCに本部を置く国際NGOのフリーダム・ハウスが「2007年・報道の自由」という年次報告を発表しました。

マレーシアは、対象195ヶ国の中で150位にランクされ、報道の自由に関してはまだまだ発展途上であると見做されています。各種法や検閲システムによって表現の自由が制約を受けていること(実際、イスラム国家ゆえに暴力や性表現のみならず政治的・宗教的表現に対する検閲が行われており、ブミプトラ政策に対する議論自体もそもそも許されていません)、昨年起きたデンマークの風刺画転載でも新聞社や編集者が処分を受けたこと、政党や関係団体がメディア(主要日刊八紙)を買収してコントロール下に置き、基本的に政府の方針に沿った報道をしていること、インターネットやブログを通した政治批判に対しても政府が統制を強めつつあること、等が評価を下げています。もっと意外だったのは、シンガポールで、マレーシアより若干下位の154位でした。シンガポールに関しては、私自身よく知らないのでコメントは差し控えます。

因みにフィンランドとアイスランドが同率の1位、ベルギー、デンマーク、ノルウェー、スウェーデンが同率3位で、北欧諸国が多いのは、なんとなく納得します。アメリカは16位グループ、日本はオーストラリアやフランスと同率の39位グループ、相対的にアジア諸国はランクが低く、イラク158位、シリア179位、中国・イラン181位グループ、リビア191位、最下位の195位は言わずもがな?の北朝鮮です。

このレポートは正確にはメディアの独立性(Media Independence)に関するもので、1980年に始まりました。活字、放送、インターネットの三分野における自由度を、「法的環境」「政治的影響力」「経済的圧力」の三つのカテゴリーから指数化しランク付けするもので、2006年度内の各種イベントを分析し、政治行動や政策のみならずメディア自身の行動をベースに評価を下しています。

この団体は「非政府系組織であり、1941年にアメリカ政府に対し民主主義と人権をサポートする政策を採用するよう働きかけるために設立された」もので、「その報告書や分析は政府の影響力を受けることはなくアカデミックなものである」と主張している通り、分析自体はそれなりに客観的と思われます。連邦政府の外交政策に影響を与えていると考えれば、なかなか興味深く読めるのではないでしょうか(この点に関しては、同じ団体から既に1月に発表された年次報告「世界の自由2007年版」の方が重要。アメリカやその同盟国に対しても批判的、特にサウジやチリに対しては手厳しい)。

実は、アメリカ発のこういった内容であるために、このNGOの存在自体に疑義を差し挟む声もあるようです。実際に、その資金の三分の二は連邦政府からの助成金だと言われていますし、その委員会には、財界や労組のリーダー、学会・文壇・ジャーナリストのほか、CIAを含む元政府高官が名を連ねており、ネオコンとの関係も指摘されています。

しかし、世の中で完全に客観的なものを探すのは難しい。そもそもこの報告書のテーマ自体がアメリカ的です。政府との関連があろうがなかろうが、これがアメリカの関心の所在であり、広い意味でのアメリカの「意思」が反映されているものとして読めば良いのではないでしょうか。

2007年5月 8日 (火)

ペナンの大型スーパー・テスコ

ペナン・ブリッジそばに大型スーパーのテスコ(TESCO)があります。

TESCOブランドは、日本ではまだ馴染みが薄いかも知れませんが、イギリス最大の小売チェーンで、世界小売り売上高ランキングでは、トップのウォルマートは別格として、二位のカルフールに迫る第三位に位置する年商10兆円規模の巨大企業です。日本では、既に4年前、食品ディスカウントの「つるかめ」などを展開するシートゥーネットワークを買収していましたが、これまでは「つるかめ」の看板そのままで、大規模な出店は行っていませんでした。その間、ウォルマートは西友の活用に手間取り、カルフールは日本から撤退するなど、総合スーパー路線が苦戦する中で、TESCOはこの4月についに自社ブランドで食品中心の小型スーパーにフォーカスする「テスコエクスプレス」1号店を大泉学園にオープンしました。コンビニよりやや広い程度の外観で、通常のコンビニの品揃えに加えて生鮮食品や加工食品を、スーパー並みの低価格で提供するものだそうです。「コンビニと競合するつもりはない、顧客の声に合わせて業態を進化させたい」と言っていますが、コンビニ買収の噂もあり、明らかに既存コンビニには脅威になるはずです。

マレーシアでは、主に大型スーパーの形態で13店舗を展開中で(一部TESCO Expressの形態あり)、ペナンでは、その6店舗目として、2004年11月にオープンしました。朝8時から夜10時まで、金・土曜日はなんと夜中1時まで営業している便利さに加え、自称86,000もの商品ライン(食品及び生活雑貨)と、近隣のどこよりも安い値段で、家内の圧倒的な支持を得て、月に1~2度の纏め買いに利用しています。

同じ建物の中には、家具及び家電量販品のCourtsが入っています。レストランは、マクドナルド、KFCなどいくつかありますが、余りぱっとしません。食事するなら、道を挟んで隣接する地味なショッピング・コンプレックスに、和食レストラン・道(タオと呼びます)や、ローカルフードのOld TownSecret Recipe、スターバックスなどの魅力的な店がいくつか入っていて、お勧めします。TESCOと二階か三階の回廊で繋がっていると便利なのですが(繋がっていないので、いちいち店を出て道路を横断しなければなりません)。

2007年5月 6日 (日)

無臭ドゥリアン!?

タイ(農業局)で、臭いはバナナ程度という、無臭ドゥリアンが開発されました。交配による品種改良を重ね、20年来の悲願を達成したということです。そこで、先日、その苗木100万本を東部の栽培農家に配布するという報道がありました。

ドゥリアンからあの強烈な臭いを取り除いたら需要が飛躍的に伸びるのか、タイの研究所では大いに期待しているようですが、私にはどうも疑問のような気がします。

例えば、関西で売られている納豆は、臭いが抑えられています。私の両親は純粋な大阪人ではないせいでしょうか、子供の頃、大阪に住んでいましたが、納豆をよく食べさせられました。ところが就職して暮らし始めた東京の独身寮で出された納豆は、臭いが余りにきつく、手が出せませんでした。納豆は栄養がある食品だという売りがあったからこそ、臭いを抑えることで、臭いが苦手だという地域で新たな需要を喚起することが出来たのだと思います。かたや臭いのないドゥリアンは、棘のないバラみたいなものだという批判が既に出ているようですが、バラにとっての棘以上に、ドゥリアンにとっての臭いは本質的な問題のように思います。トロピカル・フルーツという競合激しい中で、果たして無臭ドゥリアンは、全く新しい価値を提供して、メジャーな果物へと転身出来るのか、それともあの臭いあってのドゥリアンというニッチ・マーケットであり続けるのか(個人的にはそうであって欲しいのですが)、今後の成り行きを興味深く見守りたいと思います。

2007年5月 5日 (土)

歩くスピード

最近、英国の心理学者が、世界の主要都市の歩行者の歩く速度を調査した結果が報道されていたのをご覧になった方もいらっしゃるでしょう(CNN Japan等)。世界32都市で、18メートルを歩行者35人が平均何秒で歩くかを比較したもので、意外なことにシンガポールが10.55秒で首位でした。関西人の私は、てっきり大阪がダントツの首位だろうと思っていたのですが、大阪の街は取り上げられなかったようです。2位にコペンハーゲン、3位にマドリードというのは、いまひとつピンと来ません。ニューヨーク8位、ロンドン12位、パリ16位というのは、はあ、さよけ~という感じ。アジアでは広州4位、東京19位、台北23位だそうです。大陸中国には行ったことがありませんが、中国人はセッカチかも知れないとは想像します。

インターネットで拾った別の統計があって、いつ時点のデータか分かりませんが、国際交通安全学会というところが発表した「地域文化特性と運動行動」によると、歩行速度は、大阪1.60m/秒、東京1.56m/秒、パリ1.46m/秒となっています。ここでは大阪のみならず東京すらもパリより早い。

実感として、大阪と東京の差はもっとあるように思いますし、シンガポールがそれほど速いとも思えないので、先の今回の調査は眉唾モノですが、ひとつ面白い点は、10年前、カリフォルニア州立大学の教授が実施した同様の調査結果と比べると、歩く速度は全体的に10%ほど速くなっているというところです。特にシンガポールでは30%、広州では20%も速くなっているそうです。中華系の都市が特に早くなっているのは、昨今の中華系の躍進と関連があるのか? 興味があるところです。

今回の調査に付随して、速度が速い都市ほど、困っている通行人を助ける割合が低く、冠状動脈性心臓病を疾病する確率が高い、などと解説されているのは、どうかと思いますが、簡単な調査ではあるが、心理的・社会的に都市の健康度を知る上で重要な指標であり、大都市では以前よりも忙しい生活になっている、とも述べられていて、こちらの方には合点が行きます。時代とともにスピードが早まっているというのが、時間に追われる現代人を象徴していて興味深く思いました。

さて、マレーシアやペナンはどうか? あくせくしない国民性は、どう転んでも東京よりも遅そうです。犬や鳥の動きに限ると、暑さのせいか、世界で最も鈍いところじゃないかとさえ思います。いや、ここでもせっかちな中華系が平均スピードを押し上げているかな?

2007年5月 4日 (金)

ランカウィ島(下)落穂拾い

今回、旅行に合せていろいろ下調べして、ちょっと言い足りないところがあるので、急遽、昨日の(下)を(中)にして、三部作目の(下)を追加します。

ランカウィ島というのは、実際には104とも130とも140とも言われる(地元の人に聞いても答えはまちまち)ランカウィ群島の中の最大の島です。観光と言えば、ケーブルカーやナイト・マーケットなど島内観光名所もいくつかあるにはありますが、余りぱっとしませんし、折角なので、近くの小島にダイビングやアイランド・ホッピングに出かけるか、あるいは現地在住日本人が運営するマングローブ・フォレスト・リバークルーズに参加するのが面白そうです。観光開発が制限されているせいで、自然がたっぷり残されているのが、このリゾート地の魅力でしょう。その割りに、海は期待するほど綺麗ではありません。ダイビングは、本島ではなく、近隣の小島(パヤ島など)まで出かけなくてはなりません。

全島免税となっているのは、ランカウィ島がマハティール前首相の出身地であることと無関係ではなさそうです。1978年に自由貿易地帯に指定され、1980年代後半からは、前首相の肝煎りで、第二のペナン島を目指して観光開発が進みました。この30年で人口が20倍に増えたと言われます。島内のガレリア・ペルダナと呼ばれる博物館には、前首相が首相在任中に各国元首や関係者から贈呈された品物の数々が展示されています(日本からは日本人形、車、ガラス細工、陶器)。最近、前首相は日本人とのジョイント・ベンチャーで、ベーカリーを起業しました。「マレーシアには美味しいパンがない」「ランカウィ島には一流のホテルやレストランがあり、ワールド・クラスのリゾートなのに、洗練された食を追求していない」と言って、パン屋ごときに一気に1億円もの出資をして(内、前首相が所有する会社を通して51%を保有)、2006年7月にテラガ・ハーバー・パークにThe Loafと言う店を開業したのです。起業した別の理由として、経験がない者でも、他人の専門知識を利用してビジネスを成功させられることを証明したいと言っていたそうですが、見たところ本当に成功させる気があるのかどうか、あるいは単に頓珍漢なだけなのか、他人事ながらやや心配ではあります。

2004年12月26日のスマトラ島沖地震と津波の際、無傷ではありませんでしたが、被害は最小限にとどまったようです。Pelangi Beach Resort Hotelのプールの片隅に、無残にも潰れた椅子が記念に飾られていました。当時の自然の猛威を忘れないように、しかし復興に向けた従業員の無私の行動とゲストからのサポートを讃えるコメントが添えられていました。この時以来、津波という言葉は、一般的な言葉の仲間入りを果たしたようです。

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2007年5月 3日 (木)

ランカウィ島(中)ホテル外生活

日本人は私も含めて、どうもバカンス、所謂滞在型休暇というものが苦手のようです。当たり前のように季節が移ろい、四季おりおりの風情を楽しむ大和民族にとって、日光を求めて南下し、涼を求めて北上するというような発想がそもそもありませんし、短期間で観光地をせっかちに周遊するのが関の山です。日本の旅館の宿泊コストが高いせいもあるでしょう(ご存知の通り欧米のホテルは部屋単位で課金されますが、日本の旅館は食事代込みのせいか人頭税で、しかも高いですね)。労働観や人生観とも関係しそうですが、ここでは深入りしません。会社の日本人の同僚に、ランカウィ島でレンタカーもなしに三泊四日したと言うと、よく我慢できたなあと感心されました。ランカウィ島には何もないからでもありますが、日がな本を読んで過ごしたり、ちょっとしたリクリエーションを楽しむくらいの無為な時間が、日本人には耐えられない証しでしょうか。

時節柄、北東モンスーン期(11月~2月)から南西モンスーン期(6~9月)への転換期で、夕方に豪雨が襲ったりするのですが、二日目は生憎一日中雨空で、いてもたってもいられず、タクシーを駆ってアンダー・ウォーター・ワールドに出かけました。日曜日で混雑していましたが、ランカウィ島の混雑と言っても高が知れています。マレーシア随一、シンガポールの水族館より大きいと自慢していますが、水族館は大きさではないと思います。もっとも魚の種類の豊富さは目を見張りますし、3D映像もあり、子供たちは大喜びでした。

ホテルの食事は、しっかりした味付けで美味しいのですが、やや塩味が濃い目で、あっさりしたものが恋しくなります。三日目の夜には、ホテルを抜け出し、近所を散策、Red Tomato Garden Café(写真左)という鬱蒼と木に覆われた穴倉のようなレストランに入りました。ピザやスパゲッティは、決してとろけるほど美味しいという訳ではありませんが、素朴な味付けで、子供ともども夢中で頬張りました。コカコーラRM1.50(ホテルではRM7.50)とか、免税のビールは僅かRM5(ホテルではRM11、ペナンのスーパーではRM4.90)で、ホッとするような値段です。ガイドブックでもお勧めのラッシーは、確かに美味い。翌日の朝も、Breakfast Bar(写真右)という掘っ立て小屋のようなレストランに入り、パンケーキやフルーツをつまみました。こちらも素朴な味で、毎朝バッフェで疲れた胃にはちょうど良い軽さでした。

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2007年5月 2日 (水)

ランカウィ島(上)ホテル生活

4連休を利用して、ランカウィ島に行って来ました。私自身は二年前の社員旅行以来二度目、家族は初めての旅行です。

ランカウィ島は、マレー半島に沿って、ペナン島からフェリーで北に3時間ほど上った、タイ国境近くにあります。島の大きさはさほど変わらないようですが、ペナンと違って観光以外に目ぼしい産業はなく、一歩外れると牧歌的な田園風景が広がっています。観光が目玉のため、免税地域に指定されており、酒やチョコレートやKitchen-ware目当ての現地人も多く訪れると言われます。

今日は三泊したPelangi Beach Resort Hotelについて記します。

現地のガイドブックによると、大英帝国の女王もお迎えしたことがあるという由緒あるホテルで、一泊の最低価格が2万円という高級ホテルの内の一つです。私自身、アメリカに滞在していた頃から旅行で泊まるホテルはケチらない方針でやって来ましたが、その最大の理由はセキュリティと衛生面、そして無視出来ない理由の一つは、宿泊者が限定されることによりホテルの雰囲気が守られること。実際に宿泊客の7割方は欧米人のバカンス、3割弱は日本人という構成で、ペナンのE&Oホテルもそうでしたが、フランス人と思われるおばあちゃんがトップレスで日向ぼっこしていたりして、マレーシアとは思えない、独特の落ち着いた雰囲気に包まれていて快適でした(差別するつもりはありませんが、騒々しい中国人を避けたい気持ちがあったのは事実)。以前、パンコール島を訪れた時と同様、四日間、昼も夜も、プールもビーチも食事も、これと言って何をするでもなく、ほとんどホテルで過ごす場合、雰囲気が守られているというのは重要な要素なのです。

四室一棟のシャーレ(あるいはコッテージ)形式で、マレー風の伝統的な建築を模したと言われるだけあって、外観はなかなか趣きがあります。場所によって、ロビーから離れてしまいますが、散歩のつもりでのんびり歩くのもいい。リビングが狭いのは難点ですが(値段が高いところはもっと広いのでしょうが)、全室、海に面していて、バルコニーがあり、私が泊まった一階では、水着のまま泳ぎに出られるのが便利です。

レストランは、タイ風(パイナップル・フライド・ライスは絶品)、無国籍(中華及び西洋)、BBQと三種類あり、どれも味が良いのは、さすが高級ホテルだとうならせますが、一品RM20以上と、値段も一流、やや塩味が濃いと感じたのは、私が関西系のせいでしょうか。

いずれにしても、いつでもどこでも、水着のままプールのバーでも、部屋番号だけで飲み食い出来て、ホテル内にいる限り、手ぶらで過ごせるのが、なんとも快感です。それでも、もっとあっさりした味が恋しくなったり、雨だと手持ち無沙汰で、どこか出歩きたくなる貧乏性は、どうしようもありません。そのあたりは、次回にご紹介します。

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