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読書日記

  • あさのあつこ: バッテリー
    マンションのプールで子供たちを遊ばせながら、デッキチェアで寝そべって読むにはもってこいの軽さです。本の物理的な重さだけでなく、大人に読ませる児童書、とでも呼ぶのでしょうか、野球を軸にした物語で、スポ根でもなく、チーム愛とか友情を前面に出すわけでもなく、そういうところとはかけ離れたところから始まっているところが良かったし、なんとなく心のどこかで考えさせられるところが、適度な軽さでした。続きがつい読みたくなります。
  • 小阪修平: 思想としての全共闘世代
    この酔狂なテーマに接して、どのような視点をもてるかは、何年に大学に入学したか、学生運動のどの段階の経験・知識をもつかで変わってくると、著者は言いますが、まさにその通りでしょう。私は、全共闘世代の著者より15年も年下で、学生運動と言っても辛うじて余韻を吸っただけ。他の大学より、よほどその残り香は濃厚に残っていたので、私の世代の中では、より深いシンパシーを感じている方だと思いますが、それでも、かなり観念的です。実際、私自身は、育った時代が進歩的知識人全盛の頃だったので、その反発から思想的には保守寄り、伝統的な自由主義者で、学生運動への共感というのは、政治的な主張や思想的な面よりも、むしろ若者らしい現状への不満と変革への情熱に対するものと言えるかも知れません。それは、キューバ革命におけるゲバラに対する共感に近い。彼を衝き動かしたのは左翼思想ではなく、純粋な民族主義でした。もし著者と同世代だったら、私自身、どうなっていたか、ちょっと興味があります。そんな時代を懐かしむだけの本ではあるのですが、それを羨ましいと思わせる内容ではありました。 学生運動真っ盛りの頃、本当に革命が起こるのではないかという気分になったと述懐する人がいます。確かに、この本でも、初期(60年代前半)には市民の共感を得ていたとありました。先鋭化(武装化、過激化)して、一般学生からさえも支持を失って行った、そのあたりは別の論考になるのでしょうが、なんとなく学生が敏感に反応するところを、大人としても支持してあげたい時期があったことは、分かるような気がします。社会自体も、若かった。私にとっては、もはや歴史的事実として見てしまうからかも知れませんが、高度成長を遂げつつあるという、ある意味で歴史の転換点では、人々の意識も今ほど画一的ではないでしょうし、いろんな制度上の矛盾も噴出していただろうことは想像できます。そんな世の中の、雨降って地固まる前の、不安定な動きの中で、まだ共産主義への憧れが、幻想ではなく人々に情熱をもって抱かれていた、そうした不穏な時代の雰囲気は、なんとなくわくわくします。今だって、ある意味で歴史の転換点であり、変革の情熱を行動に移して行かなければならないのでしょうけど、私も社会も、ちょっと齢を重ねてしまったかもしれません(笑) 今、革命が起こるとは思えませんが、あり得るとすれば、若い情熱が発火点になるように思います。 (★★★★)
  • 藤原正彦: 国家の品格
    「蛙飛び込む水の音」という歌に対して、外国人は一匹じゃなくて何匹も飛び込む様を連想してしまうものらしい。自分の感性はやはり日本人だと、最近つくづく思うので、そのあたりはまさにフィットしました。ちょっと宗教に関しては認識不足じゃないかと思われるところもありますが、だいたい海外経験がある人なら、そうそう、その通り、よくぞ言ってくれら、というようなことが書いてあります。それから、論理じゃなくて感情、論理の出発点も結局は感情が規定するというのも、「われ思うゆえに我あり」のデカルトを持ち出すまでもなく、数学者なのに(数学者ゆえに?)、よくぞ言ってくれたと思います。話題になっただけあって、期待を裏切られない面白さです。 (★★★★★)
  • 加藤廣: 信長の棺
    本能寺の変の後、ついに見つからなかった信長の遺骸を追うという謎解きだけでも興味津々ですが、著者がサラリーマンを辞めて執筆した75歳の新人作家というのも興味津々です。よく史料を調べてあるということと、太田牛一という右筆(実際には違う説もあるようですが)を主人公に、著者自身を投影し、歴史上の疑問点のもちよう、推論を進める様は、なかなか面白い設定です。著者がコンサルタント的な業務に携わってきたことと無縁ではないでしょう。でも、難を言えば、ストーリー展開上、さんざん前半では引っ張っておきながら、最後の謎解きを一人の登場人物に淡々と語らせてしまうのは、あまりに安直です。それでも、ひととき、すべてを忘れて没頭できたので、よしとしましょう。信長というと、大河ドラマの館ひろしの顔が浮かんで困ってしまいましたが・・・^^; (★★★★)
  • リリー・フランキー: 東京タワー
    著者とは同世代に属するので、時代背景が重なって、とても身近に感じつつ読み進めました。結構あからさまで大胆な描写や、所謂マザコンぶりが淡々と綴られるわけですが、それをそうと感じさせない独特のリズムがあるのは、一つには、村上龍の「69」が長崎弁に救われていたように、ここでは福岡弁?に救われているからでしょうか。全編を通してほのぼのとした雰囲気を醸し出して、いい感じです。それからもう一つには、彼の率直さと曇りの無い目線のゆえでしょう。それにしても、自ら振り返り、母親の愛情の深さとか、それに応えようとする息子の気持ちは良く分るのですが、あらためて親子のありようは人それぞれだと(当たり前ですが)しみじみ思いました。なお、100万部を越えるベストセラーだと言うのは、ちょっと驚きです。この軽さは悪くないのですが、なんとなく三島由紀夫のような本格小説を読みたくなってきました。 (★★★★)

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2007年7月30日 (月)

ペナンのダウンタウン周遊

家族がいない暇つぶしに、これまで二年間、行ったことがなかったカピタン・クリン・モスクを中心に、ダウンタウンを散歩して来ました。20070728_009_lb_chulia_120070728_005_jln_masjid_kapitan_keling_1

先ずはチュリア通り。Georgetownの中心を、北西から南東のフェリー乗り場まで貫く目抜き通りで、バックパッカー向けの安宿や旅行代理店や両替商が軒を連ねます。ご覧の通り、中国人街と呼ばれるほど、漢字が氾濫しています。

20070728_032_masjid_kapitan_keling この通りに背を向けるように建っているのが、マレーシアで最も美しいモスクの一つと言われる、カピタン・クリン・モスクです。もともとペナンに来たインド人はムスリムが多く、ペナン州で最も古い(1800年建立)モスクとして、彼らの信仰を集めたのだそうです。

このモスクの名前がついている通りには、ペナン州最古の寺院が並んでいます。モスクの斜向かいには、ペナン州で最も古いヒンズー寺院があるのですが、写真を撮り損ねました。 20070728_037_kuan_yin_temple_1 20070728_034_kuan_yin_templeここから海に向かって歩く途中、観音寺(ペナン州で最も古い仏教寺院)があり、若い人たちも熱心にお祈りしていました。その先にセント・ジョージ教会(ペナンどころか東南アジアで最も古い英国国教会)があります。20050416_014_220070728_039_lb_bishop_4途中で結婚紹介所を見つけました。ペナンにもあるんですね

 ここからリトル・インディアまでは歩いてすぐ。近いのに、いつの間にか周りを歩いているのは中国人ではなくインド人だらけになるのが不思議です。香の匂いが立ち込め、どこからともなくインド音楽が流れて来ます。 20070728_053_lb_chinaスパイスやハーブを売る店があったり、衣料品店もすっかりインド風です。

20070728_050_lb_china_2 20070728_055_lb_pinang_2  街のそこかしこに、コロニアル風と言うべきか、英国ヴィクトリア様式?の名残りいっぱいの可愛らしい家が並んでいます。20070728_060_lb_king 20070728_062_lb_pinang 海に向かって歩いている途中で見つけたレストランの看板は、他民族国家マレーシアを象徴するように、マレー語と中国語とヒンディー語で併記されていました。20070728_058_lb_pinang_2

海沿いの公園(コタ・ラマ公園)の前に、旧市庁舎(シティ・ホール)と市議会ビルがあります。このあたりは、トライショーのメッカ。人待ち顔のトライショーや、観光客をのせたトライショーが行き交います。20070728_072_dewan_sri_pinang 20070728_063_town_hall

 だんだん雲行きが怪しくなって来ました。急ぎ足で駐車場を目指したのですが、ペナンの天気はあっという間に変わります。突然のスコールで、観音寺で雨宿り。向かいの商店街のオヤジさんたちが良い味出していますね。20070728_078_jln_masjid_kapitan_keling

2007年7月26日 (木)

Take it easyと思えますか!?

今日、会社からの帰り道、ダウンタウンを外れたあたりの右折車線の動きがやけにのろい。およそ信号が変わってからの反応が鈍いペナンですが、それは、バイクが列の先頭にいて、危なっかしくて加速出来なかったり、マニュアル車で、加速が遅かったり、いちいちサイド・ブレーキを引いて、それを戻すのに手間取っていたりといった程度のはずなのですが、尋常ではない鈍さだったので、どうしたことかとよくよく見ると、牛車が普通の車の後をノロノロ歩いていました。例えば、会社がある工業団地のあたりで、混むはずのない道が混むので、どうしたことかと訝しがると、なんとフォークリフトが公道を堂々と走っていたりと、多少のことには驚かなくなった私ですが、さすがに牛車にはぶったまげました。

ペナンには、日本人の常識では考えられないような、「えっ!?」と驚くことがよくあります。

社会インフラの脆弱さは、日本と比べるべくもありません。

その一つ、下水については、ガーニードライブ界隈を歩いていると漂ってくる所謂ドブ臭さは、30年前の日本を見ているようで、懐かしい気持ちにすらなり可愛げがありますが、激しいスコール(この激しさ自体は日本人の想像を絶する凄さですが)ですぐに道路が冠水するのには、30年前の日本を髣髴とさせる・・・と言いたいところですが、ちょっとノロノロ運転で渋滞すると思ったら、単に道路が浸水して、徐行せざるを得ないといったケースが多々あって、閉口します。

信号機の故障もしばしばです。日本では余り考えられませんが、その場合、大通りの方が有利で、なかなか大通りに出られない・・・けれども大通り側は情け容赦なく走り続ける、ということにならざるを得ないわけです。

いろいろストレスが多いペナンですが、それは日本人の感覚だからなのかも知れません。現地人(中でもマレー系)は大らかで、take it easyと思っていることでしょう。中国系は、日本人と同様、イライラしているかも知れませんが・・・

2007年7月23日 (月)

ペナンの肉骨茶

肉骨茶と書いてバクテーと読みます。お茶ではなく、屋台で食べるマレーシアの有名なスープ鍋です。豚肉やモツを中心に、椎茸やニンニクを漢方薬と一緒に煮込んだもので、真っ黒になるまでこってりと漢方薬が沁み込んだクセのある味から、あっさりクリア・スープまで、好んで肉骨茶巡りをしているわけではありませんが、屋台によって味もいろいろ。昨晩は、家族の夏休みの里帰りを空港まで見送った後の帰り道、お気に入りの屋台で遅い晩飯を取りました。

愛想のないバアチャンが出迎えます。肉骨茶一人前、ご飯付き、それにマクドナルドよろしく、野菜料理はどう?と野菜を指差して聞いてくるので、油ギトギトなのは承知でレタスの炒めものも併せて注文します。飲み物は?ビールを代わりに注文してもらいます。そう、こちらの屋台はホッカ“センター”と呼ばれるように、いろいろな屋台が軒を連ねた屋台街で、飲み物は、その場所貸しをしているオーナーが独占的に取り仕切っているのです。

名物のタイガー・ガールがビールを持って来てくれます。ミニスカートにぴちぴちのタイガー・ビールのシャツを着ているところは、ビール会社が派遣するプロモーターを思わせますが、そこのホッカ・センターで雇われている従業員に過ぎません。というのも、夜の闇に紛れて、遠目には見分けがつきませんが、目の前にやってくると、ガールと言っても40~50歳のオバチャンであることがほとんどだからで、初めて見た時は驚いて目を見張ったものでした。今では、日本からの出張者を連れてきては、その反応を楽しみます。スーパーで買えば5リンギッ前後の小瓶が7リンギッ。

肉骨茶は土鍋でやって来ます。ここは漢方薬臭さを抑えたクリア・スープで、ダシを利かせているのが僕好みです。ニンニクを丸ごと煮込んで香りたっぷりな上に、刻みニンニクの小皿がついて来るので、それも一緒にぶち込みます。そのまま蓮華ですくって食べてもいいし、ご飯にかけて猫マンマにしてもいい。台湾の屋台でよく粥に入れて食う油条(ユーシャオ)を、ここでは肉骨茶に入れて、ふやけるほどに味を沁み込ませて食べると、美味い。レタス炒めと込みで13リンギッ。

帰り際、バアチャンに、家族が日本に帰ったから、また来るねと伝えると、火曜日は休みだよと、にーっと笑いかけてくれました。調理している娘とおぼしきネエチャンは美人なのに、本当の親子なのだろうかと、いつもの疑問を胸に、帰路についたのでした。

2007年7月20日 (金)

ペナンのシーフード・レストラン

今日は、日本からの訪問者を連れて、「Bali Hai」に行きました。ガーニー・ドライブ沿いの屋台街の並びにあって、オープン・スペースに水しぶきを扇風機で飛ばして、あたかも屋台のような外観ですが、水槽に鮮魚がうじゃうじゃいて、ガルーパやゴルビーといった地元の魚から、お化けのように大きいマテ貝や、オーストラリアのロブスターまで、選んで調理してもらえるのが売りの、れっきとしたシーフード・レストランです。まだ二年と経っていませんが、味の良さでは現地人の間でも定評があり、でもちょっと高いね~と一言コメントがつくほど、ちょっと高級の部類に入りますが、広東風の魚蒸しのようなオーソドックスなものから、マテ貝の刺身(なかなかの絶品!)や、カニや牡蠣のグラタンなどの一品料理まで美味で、思わず食べ過ぎてしまうほど。中国人のように大勢でテーブルを囲んで、わいわい皿をつつくのが良い。

お気に入りシーフード・レストランと言えば、「オーシャン・グリーン」を外すわけには行きません。ここは「地球の歩き方:ペナン・ランカウィ編」にも載っている店で、ホテル内レストランが殆どの同レストラン・ガイドの中では独立店として異彩を放っており、それほどベラボウに高くなくても美味いのが魅力です。砂浜に面していて、子供たちが、料理を待つ間、気軽に海岸を散歩できるような絶好のロケーションで、マラッカ海峡に落ちる夕陽を眺めながら、のんびり美味いシーフード料理に舌鼓を打つ・・・人として生まれて、これほどの至福の時は他にはないと思わせます(ちょっと大袈裟)。ここも小さいながら水槽があって、新鮮な地元の魚やロブスターや各種カニ・貝類を選んで調理してもらえるので、私はここで地元の魚の味を順番に勉強しました。

ほかに、ガーニー・ドライブの突き当たりに「オリエンタル・シーフード」という店があり、水上にせり出している構造が珍しいせいか観光バス・ツアー客でいつも一杯ですが、若干塩味が濃いような気がしたのと、料金体系が高めに設定されていて、味と価格のコンビネーションに関しては、上に挙げた二つのレストランを凌ぐものではありません。

所詮はペナンですから、どこのどんなレストランに行ってもシーフードを楽しむことが出来ます。ここでは敢えてシーフード・レストランというタイトルに拘って、以上の三つのレストランを挙げてみました。

2007年7月18日 (水)

砂漠化と森林減少(下)

かつてマハティール前・首相は、マレーシアがその森林資源をどう使って収入を得るべきかなど、豊かな国から口出しされる筋合いはないと述べたことがあります。豊かな国は自らの森林資源を破壊してしまったのに、いまさら我々の森林からの収入を減らせというのは公平ではない、豊かとはいえない我国にとって森林は重要な収入源である、我々は森林資源を保護する必要はあるが、我々の森林から理に適った収入を確保できるべきだ、従って、マレーシアは森林資源を保護せよとの外国からの圧力に屈しない、と言うわけです。環境保護派とは言えないドクター・マハティールの面目躍如たる所以でしょう。

実際、ラワンなどの森林資源が豊富なサラワク州では、大規模に森林を伐採したりダムを造成しているところを外国人に見られて妙な告発をされることを警戒し、外国人がこのような場所へ立ち入ることは、政府や林業会社から厳しく制限されているようです。

かつてはサハラ砂漠やチグリス・ユーフラテス川にも森林がありました。古代メソポタミア文明、エジプト文明、ギリシャ文明は森を切り開いて栄え、森を切り過ぎて滅びました。イースター島にも、かつては島から西へ4000KMのタヒチ島のような亜熱帯性の樹木に覆われた森林がありましたが、絶海の孤島に人が住み、火を使うため、カヌーを作るため、モアイを作るため、森の木を全部切ってしまったのだと言われます。

そして近・現代、美しい森林がたくさんあるというイメージが強いヨーロッパの森林も、実はほとんど原生林ではなく、17~18世紀の産業革命の後に切り開かれてしまい、その後200年近くかけて現在の姿にまで回復した、あくまで人工林です。かつての地球を覆っていた森林の4分3は既に失われてしまったと言われています。

環境問題は、地球規模で見れば決して他人事とは言い切れません。核兵器を取り巻く議論と同じです。そしてStatus Quo(現状維持)として、先行者利得をそのまま認めて固定するところから始めざるを得ない難しさも、核不拡散の論理と同じです。でも、こうした現実主義は貫かざるを得ないのです。

2007年7月16日 (月)

砂漠化と森林減少(上)

先日、チベットと中国の砂漠化についての記事を相次いで見かけました。昨日の「すばらしい世界旅行」に続いて、ちょっとは真面目に環境問題について勉強しながら書いてみます。

砂漠化は、ご存知の通り、気候変動や人為的(過放牧)な原因で、乾燥地域や半乾燥地域などで土地が劣化し、植物が育たなくなり、砂漠の面積が拡大していく現象のことです。チベット自治区では1年間で1つの県に相当する3万9600ヘクタールの規模で砂漠化が進んでおり、中国では1分当たり約0.3ヘクタールと言われてもピンと来ませんが、1年に換算すると16万ヘクタール弱で、チベットの4倍のスピードです。因みにサハラ砂漠では毎年150万ヘクタールと桁違いで、全世界では毎年600万ヘクタールが砂漠化していると言われます。

土地の劣化という意味では、砂漠化もさることながら、地球環境に与える影響では、森林が減少していることの方が重大です。中国の緑被率(森林が国土に占める割合)はわずかに14%であるに過ぎません。一方、日本は66%と、フィンランドの69%に続いて世界第2位で、フィンランドと比べ、人口密度に20倍の差があることを考えると、日本人が如何に自然と共存しているかが分かります。しかし一方で、日本は世界最大の木材輸入国でもあり、かつて60年代にはフィリピン、70年代にはインドネシア、そして現在はマレーシア、パプアニューギニア、シベリアから大量輸入し、国内木材消費量の7割を輸入に頼っていると言われます。高度成長を経た日本では人手不足の林業で国内木材のコストが高くつくせいですが、緑被率の高さは確かに目を見張りますが、他国の犠牲の上に成り立っているとも言え、必ずしも手放しで喜べる数字ではなさそうです。

さて、マレーシアはどうでしょうか。まさに熱帯雨林の宝庫ですが、油やしやゴムなどのプランテーション、所謂農地開発により、森林が伐採されて来ました。緑被率はFAOの2003年データで58.7%とまずまずですが、この数値には油やしのプランテーションも含まれているらしく、また森林の中から有用木を伐採して劣化していても、FAO基準では樹冠率10%以上は森林と呼ぶことになるので、実際にはそれほど多くは残っていないのではないかと言われています。そこには、きれいごとではない、発展途上国故の厳しい現実があります。

2007年7月14日 (土)

すばらしい世界旅行

ついでながら、どうでもいいことですが、私が海外に目を向けるきかけになったもう一つの原体験が、日本テレビ系の30分ドキュメンタリー番組「すばらしい世界旅行」でした。日立の単独提供で、番組が終わると、ハワイのオアフ島にあるモンキーポッドの大樹とともに日立グループ各社の名前がテロップで流れ、「この~木、何の木、気になる木~」と歌うCMが続く、あれです。

正確に言うと、大阪万国博覧会とこの番組が、アメリカやヨーロッパだけではない様々な世界、文化があることを、子供の私に教えてくれました。実際に、ビルマやラオスやネパールやセイロンといたアジアの国々や、エチオピアやガーナや象牙海岸といったアフリカの国々の名前を、そこで覚えました。因みに大阪万博ではマレーシア館もあったようですが、残念ながら記憶にありません。その後、マレーシア・パビリオンは西武鉄道のユネスコ村に移設されたそうです(が、後に解体されたらしい)。

さて、この番組は、Wikipediaによると、半年間は現地で生活しながら取材と撮影にあたるという徹底した現場主義で、裏づけのしっかりした番組制作は、専門家からも高い評価を得ており、学会でも集められたことがない記録や、学術論文で触れられたことのない記録もあり、非常に貴重な資料として定評を得ているのだそうです。

太陽が海に溶けるように落ちていく映像は、この番組のエンディングではなかったでしょうか。世界の驚異を呼び起こす記憶とともに、今でも目に焼きついています。

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2007年7月 8日 (日)

ルパン三世

先日、近所のショッピング・モールで、昭和52年から53年にかけて日本で放映されていたTVアニメ「ルパン三世」のDVDを見つけて、つい買ってしまいました。ご存知の通り、「ルパン三世」は何度か断続的に放映されていて、そのたびに峰不二子の顔が変わったり、テーマ・ソングも違うわけですが、私にとって馴染みなのが、この1970年代末版の「ルパン三世」なのです。

今、あらためて見て思ったのですが、世界を股にかけた大泥棒「ルパン三世」は、毎回、違う国・地域を渡り歩いて、世界の国・地域紹介にもなっていたのですね。恐らくこの「ルパン三世」も、私が海外に目を向けるようになった原体験になっているような気がします。TVDVDに変わりましたが、当時の私がそうであったように、今、私の子供が夢中になって見ています。

アラン・ドロン

コムター横のPlangin MallGurney PlazaにあるParkson Grandというデパートの紳士服売り場には、レノマやダーバンなどの良く知ったブランドに並んで、アラン・ドロン・ブランドのコーナーがあります。1970年代の映画雑誌「スクリーン」で育った私にとって、ハリウッドよりも先ずはフランス映画、そしてフランス映画の超人気スター、アラン・ドロンは伝説の人と言っても良いくらいですが、その彼が実業界に転進してから久しく、日本では殆ど見かけなかったのに、マレーシアではしぶとく生き残っていたのに、ちょっと嬉しくなるとともに、ここがヨーロッパ文化圏であることを痛感します。

中学生の頃、なけなしのお小遣で買った「スクリーン」は、「平凡」の洋画版でバタ臭さく、憧れの映画スターが豪華な自宅や別荘地で優雅にくつろいで微笑むプライベート・タイムの写真を、貧乏な私の前に(70年代の日本はまだ貧しかった)これでもかと見せ付けて、彼我の差を思い知るとともに、私がいつしか海外に目を向けるようになった原体験になっているような気がします。そんな当時の思いが蘇って、不思議な感慨に浸ったのでした。

2007年7月 7日 (土)

ヘイズ

ここ数日、ペナンの空はどんよりとした雲に覆われているようです。スマトラ島の野焼きによるヘイズ(煙害)です。

日本から戻る、クアラルンプール発の機内の新聞によると、今週一杯、折からの南西の季節風に煽られてヘイズがひどく、場合によっては学校の課外授業はキャンセルせざるを得ないかもしれないという報道でした。翌日の別の新聞では、視界8キロとも言われ、13.5キロあるペナン・ブリッジからは、当然、対岸の半島側はぼんやり霞んでよく見えません。

昨年はそうでもなかったのですが、一昨年のちょうど今頃のとある週末の早朝、家内は余りの煤臭さに、火事でも起こったのではないかと、目が覚めたほどでした。今年は、そこまでひどくありませんが、朝、目覚めると、喉はガラガラ、日中、太陽は厚い雲に阻まれて、いつもの刺すような暑さは和らいでいます。恐らく政府レベルでは、マレーシアとインドネシアとの間で非難の応酬があるのでしょうが、必ずしも人災とも言い切れないところに、やりきれなさを感じます。

2007年7月 5日 (木)

久しぶりの日本

珍しく日本に出張に行っていました。毎晩、美味しいものを食べ歩き、飲み歩いて、いろいろ書きたいことは一杯あったのに、ご無沙汰してしまいました。

日本では何を食べても美味しいということを実感した数日でした。刺身や寿司のネタの脂ののりが違う。ラーメンの麺のしゃきしゃき感が違う。昼の定食のカニ・クリーム・コロッケも美味しい(ペナンにはありません)。女性もきれいで、化粧がうまい。高品質できめ細かな心配りで行き届いたサービスというのは、日本ならではです。

最近話題の「世界の日本人ジョーク集」にあった小話で、新製品が世に流通する時の四段階は、

-1.先ずアメリカの企業が、新製品を開発する。

-2.次にロシア人が、自分たちは同じものを既に30年前に考え出していたと主張する。

-3.そして日本人が、アメリカ製以上のクオリティのものを造り、輸出し始める。

-4.最後に中国人が、日本製のものに似せた偽物を作る。

ありがちな小話ですが良く出来ています。改良の妙というのは、まさに日本人の手先の器用さによる職人技で、日本の強みそのものです。

何冊か買い込んだ本の内の一冊「合戦の文化史」を帰りの機内で読んでいると、明治以降の約一世紀の日本の近代化には目覚しいものがあるが、弥生時代から古墳時代の上代日本の文化の発達(武器の発達)にも目覚しいものがあったという記述があって、大変面白く感じました。世界史上、石器時代と鉄器時代の間に1000年以上にも及ぶ青銅器時代が位置しているのが普通ですが、日本にはこの青銅器時代が存在せず、石器時代からいきなり、しかも殆ど同時に青銅と鉄器を持ったのです。馬についても、外国のように長い年月をかけて馬具を考案し馬術を体得したという発展過程をもたず、完成された舶来品の馬具がもたらされて騎馬を知りました。外来文化を瞬く間に消化・吸収し、更に独自のものを創造する器用な国民性は、明治期以降に限ったものではなく、4世紀頃、種々の武器を製造する鍛冶部が現れ、7世紀頃には中国や朝鮮に日本製の武器が大量に輸出されるまでになっていたところにも、既に存分に発揮されています。

食事やサービスの満足度、心地よさを思うにつけ、日本人であることを再確認した私でした。

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