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読書日記

  • あさのあつこ: バッテリー
    マンションのプールで子供たちを遊ばせながら、デッキチェアで寝そべって読むにはもってこいの軽さです。本の物理的な重さだけでなく、大人に読ませる児童書、とでも呼ぶのでしょうか、野球を軸にした物語で、スポ根でもなく、チーム愛とか友情を前面に出すわけでもなく、そういうところとはかけ離れたところから始まっているところが良かったし、なんとなく心のどこかで考えさせられるところが、適度な軽さでした。続きがつい読みたくなります。
  • 小阪修平: 思想としての全共闘世代
    この酔狂なテーマに接して、どのような視点をもてるかは、何年に大学に入学したか、学生運動のどの段階の経験・知識をもつかで変わってくると、著者は言いますが、まさにその通りでしょう。私は、全共闘世代の著者より15年も年下で、学生運動と言っても辛うじて余韻を吸っただけ。他の大学より、よほどその残り香は濃厚に残っていたので、私の世代の中では、より深いシンパシーを感じている方だと思いますが、それでも、かなり観念的です。実際、私自身は、育った時代が進歩的知識人全盛の頃だったので、その反発から思想的には保守寄り、伝統的な自由主義者で、学生運動への共感というのは、政治的な主張や思想的な面よりも、むしろ若者らしい現状への不満と変革への情熱に対するものと言えるかも知れません。それは、キューバ革命におけるゲバラに対する共感に近い。彼を衝き動かしたのは左翼思想ではなく、純粋な民族主義でした。もし著者と同世代だったら、私自身、どうなっていたか、ちょっと興味があります。そんな時代を懐かしむだけの本ではあるのですが、それを羨ましいと思わせる内容ではありました。 学生運動真っ盛りの頃、本当に革命が起こるのではないかという気分になったと述懐する人がいます。確かに、この本でも、初期(60年代前半)には市民の共感を得ていたとありました。先鋭化(武装化、過激化)して、一般学生からさえも支持を失って行った、そのあたりは別の論考になるのでしょうが、なんとなく学生が敏感に反応するところを、大人としても支持してあげたい時期があったことは、分かるような気がします。社会自体も、若かった。私にとっては、もはや歴史的事実として見てしまうからかも知れませんが、高度成長を遂げつつあるという、ある意味で歴史の転換点では、人々の意識も今ほど画一的ではないでしょうし、いろんな制度上の矛盾も噴出していただろうことは想像できます。そんな世の中の、雨降って地固まる前の、不安定な動きの中で、まだ共産主義への憧れが、幻想ではなく人々に情熱をもって抱かれていた、そうした不穏な時代の雰囲気は、なんとなくわくわくします。今だって、ある意味で歴史の転換点であり、変革の情熱を行動に移して行かなければならないのでしょうけど、私も社会も、ちょっと齢を重ねてしまったかもしれません(笑) 今、革命が起こるとは思えませんが、あり得るとすれば、若い情熱が発火点になるように思います。 (★★★★)
  • 藤原正彦: 国家の品格
    「蛙飛び込む水の音」という歌に対して、外国人は一匹じゃなくて何匹も飛び込む様を連想してしまうものらしい。自分の感性はやはり日本人だと、最近つくづく思うので、そのあたりはまさにフィットしました。ちょっと宗教に関しては認識不足じゃないかと思われるところもありますが、だいたい海外経験がある人なら、そうそう、その通り、よくぞ言ってくれら、というようなことが書いてあります。それから、論理じゃなくて感情、論理の出発点も結局は感情が規定するというのも、「われ思うゆえに我あり」のデカルトを持ち出すまでもなく、数学者なのに(数学者ゆえに?)、よくぞ言ってくれたと思います。話題になっただけあって、期待を裏切られない面白さです。 (★★★★★)
  • 加藤廣: 信長の棺
    本能寺の変の後、ついに見つからなかった信長の遺骸を追うという謎解きだけでも興味津々ですが、著者がサラリーマンを辞めて執筆した75歳の新人作家というのも興味津々です。よく史料を調べてあるということと、太田牛一という右筆(実際には違う説もあるようですが)を主人公に、著者自身を投影し、歴史上の疑問点のもちよう、推論を進める様は、なかなか面白い設定です。著者がコンサルタント的な業務に携わってきたことと無縁ではないでしょう。でも、難を言えば、ストーリー展開上、さんざん前半では引っ張っておきながら、最後の謎解きを一人の登場人物に淡々と語らせてしまうのは、あまりに安直です。それでも、ひととき、すべてを忘れて没頭できたので、よしとしましょう。信長というと、大河ドラマの館ひろしの顔が浮かんで困ってしまいましたが・・・^^; (★★★★)
  • リリー・フランキー: 東京タワー
    著者とは同世代に属するので、時代背景が重なって、とても身近に感じつつ読み進めました。結構あからさまで大胆な描写や、所謂マザコンぶりが淡々と綴られるわけですが、それをそうと感じさせない独特のリズムがあるのは、一つには、村上龍の「69」が長崎弁に救われていたように、ここでは福岡弁?に救われているからでしょうか。全編を通してほのぼのとした雰囲気を醸し出して、いい感じです。それからもう一つには、彼の率直さと曇りの無い目線のゆえでしょう。それにしても、自ら振り返り、母親の愛情の深さとか、それに応えようとする息子の気持ちは良く分るのですが、あらためて親子のありようは人それぞれだと(当たり前ですが)しみじみ思いました。なお、100万部を越えるベストセラーだと言うのは、ちょっと驚きです。この軽さは悪くないのですが、なんとなく三島由紀夫のような本格小説を読みたくなってきました。 (★★★★)

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2007年10月21日 (日)

コピー商品取り締り強化中

最近、ペナンでもコピー商品(海賊版DVD、なんちゃって時計・鞄など)に対する取締りが厳しくなったと見えます。かつて近所の鄙びたショッピングモールには10軒近く海賊版DVDを売る店がありましたが、最近は大半が閉店してしまいました。営業を続けている店も、警戒心一杯で、かつて在庫品は店の奥からひっぱり出してきたものですが、最近は店の外(恐らく駐車場の車の中)から持ってくるので、いちいち時間がかかります。バツー・フェリンギのナイトマーケットでは、店そのものを見かけなくなりました。

勿論、こうした店が堂々と営業している事態は尋常ではなく、一人の末端ユーザーとして重大な著作権侵害に加担すべきではありませんね。アジアという状況に応じた程度の問題ですが、それが生活のごく一部である限りは、すなわち街の片隅のごく一部の話であり、自分の中でもごく一部、せいぜいたまに一枚二枚買い込んで、密かに見たり話のネタに手土産に持って帰る分には、娯楽に乏しいペナンではご愛嬌といったところでした。最近は何十枚と買い込んで空港の税関で没収された例も身近にあり、そこに精力を使うようになると、ちょっと事情は変わって来ます。モラルの低下がある閾値を越えて、不快感・罪悪感を催すというような。

日本のような成熟した社会と違い、マレーシアはじめアジアの国々では、世の中が刻々と変わっています。海賊版が堂々と街で売られている状況は、日本では考えられませんが、それも変わりつつあることは上に述べました。インフレがあることも、日本ではなんだか懐かしい響きですが、ここでは日々の現実です(日本ではサブプライム問題に端を発して物価が上がっているようですが、特殊な状況)。建設中・工事中が多く、地図もコロコロ変わってしまいます。日本に比べればまだまだ民度が低いと言わざるを得ないのが現実ですが、それは発展途上国たる所以であって、勿論、同じ軌跡を描くわけではないにせよ、単に時間差に帰せる程度の問題であろうと思います。そしてモラルやマナーも変わって行く(と思いたい)。こうした変化は全くエキサイティングで、この社会がどう変わっていくのかを見届けるのは、わくわくします。それがアジアの、マレーシアの、ペナンの面白さと言えましょう。

2007年10月19日 (金)

キャメロン・ハイランド(下)の総括

気候は、初夏の軽井沢のようだと述べました。さぞかしお洒落なレストランや喫茶店がいくつもあって、地元特産のBOHティーを、地元特産の新鮮な苺をのせたケーキやクッキーなどとともに、ゆったりと味わえることだろう・・・とごく自然に淡い期待を抱いていたわけですが、ホテル以外でそのような場所を見つけることは、結局、出来ませんでした。やっぱりここはマレーシア、どうもクォリティへのこだわりが感じられません。

夕食はホテルで取れなかったので、初日はRingletで、二日目はTanah Rataで探したのですが、結局、屋台に毛が生えたような場末の中華レストランしかありませんでした。ストロベリー・ファームでイチゴ・アイスクリーム(5リンギッ、これは美味!)をつまんだり、ホテルでアフタヌーン・ティー(20リンギッ、これはちと高い!)を楽しんだので、軽めの夕食にしたのですが、どこの中華レストランでもスティーム・ボート(鶏がらスープの鍋料理)をやっているので、あるいは新鮮な地元の野菜を鍋料理で食せたのかも知れません。

混雑具合いも初夏の軽井沢並み。街で駐車場が無料なのは良いのですが、空いているところを探すのがひと苦労です。また、日曜の朝から、北に向かう車線は帰宅客で混み始めて、ノロノロ運転になります。

最後にキャメロン・ハイランドのアトラクションをまとめてみましょう。

ジャングル・トレッキングは、子供が小さくてトライしなかったので語る資格がありませんが、キャメロン・ハイランド最大の楽しみの一つのようです。森林浴・・・などと呑気なことを言っていられないのかも知れませんが(ジャングル浴!?)、ガイドがつくので心配なさそう。ホテルで紹介してもらえます。

ストロベリー・ファームは、街道沿いのあちらこちらに点在しており、聞くところによると、季節の変化が乏しいマレーシアのこと、シーズンがなく、年に4回ほど収穫があるらしいのですが、私が訪れた時期は端境期で、ストロベリー・ピッキング(苺狩り)は出来ませんでした。新鮮野菜や花やサボテンを売るマーケットも、街道沿いのあちらこちらに点在しており、覗くだけでも楽しい。観光地なだけあって多少値が張るものの、家内は新鮮野菜を買えてちょっとご満悦のようでした。

BOHティーのプランテーションは、車かタクシーでないと行けないような細い山道を何キロか登った先にあります。そういった人里離れたところにあるので、ミニ・トレッキングでちょっと息切れするほどの展望台に登って見た茶畑は壮観でした。霞でもかかっていれば、さぞかし幽玄な世界を現出するであろう、光と緑が織り成す絵巻のよう。ここでも、工場見学だとか、見晴らしの良いお洒落なテラスで紅茶を試飲出来るとか、そういった淡い期待を抱いていたのですが、やはり無駄でした。マレーの人は商売っ気がないのでしょうか。観光客(中国人がほとんどですが)が楽しげに騒いでいたのは、どこにでもあるようなシケた売店でした。

茶畑は、BOHティーのプランテーションだけでなく、Tanah RataLingletのちょうど中間あたりの街道沿いでも見られます。そこにはTea Shopがオープンしていて、絶景を眺めながら紅茶を飲む・・・近々オープン予定の第二・第三の支店もあって、これだけ見ると別に商売っ気がない訳でもなさそうです。路上駐車の車で埋め尽くされているので、すぐにそこと分かりますが、こういった趣向は誰も期待することは同じで、確実に需要があることが分かります。

ちょっと物足りなさは残るものの、食事情が改善されれば、随分イメージが変わると思いますので、今後に期待したいものです(と言って余り変わらないのがマレーシア)。気候は良いので、のんびりトレッキングでもしながら、緑を愛でるのが良いのでしょう。

帰り際にマーケットで買い食いした茹でたての地元産トウモロコシは、掛け値なしに甘くて美味しかった。この三日間で食べたものの中で一番美味しかったかも知れません。なんだか今回の旅を象徴するようで、それはそれで侘しいものがありますが。。。

以下の写真はBOHティー・プランテーション(上段)と、まだピッキングには早いストロベリー・ファームやTanah Rataの街(下段)

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2007年10月18日 (木)

キャメロン・ハイランド(中)のホテル生活

私が泊まったホテルは、Ringletの街から少し北に戻った、まさにチューダー・スタイルのThe Lakehouseという、18部屋しかない、こぢんまりとした、丘の上に建つホテルです。従業員は当時の衣装をまとい、家具の一切をイギリスから取り寄せ、ロビーの奥には暖炉まであって、ぎしぎし鳴る階段と廊下を渡って、辿り着いた部屋には4本の柱と屋根が付いたクィーン・サイズ・ベッドがしつらえてあるなど、まるで当時のイギリスにタイム・トリップしたようです。

もとはイギリス軍オフィサーが退職後の1966年に建てた洋館で、ホテルとして開業したのは1970年と40年近い歴史を誇り、老朽化は否めませんが、テーマパークのような出来合いの薄っぺらさはなく、風格と落ち着きを醸し出し、最近になって改装されたため、小綺麗で清潔感に溢れています。

このホテルでは、3時から5時半まで、アフタヌーン・ティを楽しめます。紅茶はティー・バッグでしたが、地元産BOHティーのキャメロニアンに、自家製スコーン2ヶで、20リンギッと、ちょっと高めですが、ここはホテルだと割り切りましょう。スコーンは生クリームと苺ジャムをたっぷり塗って食べると美味しい。

ホテルのディナーも楽しみにしていたのですが、ドレスコードがあり、すっかりペナン人になりきってしまった私は、うっかりサンダル履きのまま車を走らせて来て、わざわざ靴を買うのもいまいましく、ホテルでの食事は諦めました。シェフお勧め本日のコース料理に100リンギッ払うのも吝かではなかったのですが、中でも地元の野菜をたっぷり使ったサラダを食べ損ねたのが残念でした。

テレビはリビング奥の共同スペースに三台あるだけで、各部屋には置いていないため、静かで、否応なしに戸外の音に敏感になります。ペナンでは滅多に聞くことがないセミや虫の鳴き声が聞こえて来るのに気がつきます。子供が持ってきたトランプでしばし遊んで、久しぶりに喧騒を離れてゆったりとした気分に浸ることが出来ました。ホテル側の心くばりを感じます。

心くばりと言えば、雨の中を走った車についた水滴が、毎朝、二日間とも、きれいに拭き取られていました。さりげないサービスがいいですね。

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2007年10月17日 (水)

キャメロン・ハイランド(上)ってどんな街?

ハリラヤ・プアサの休日を利用して、キャメロン・ハイランドに行ってきました。

キャメロン・ハイランドは、ペナンとクアラルンプールのほぼ中間(地図の上では各々からほぼ200Kmくらい)、標高1500mに位置する高原リゾート地で、一年間を通して最低気温15度前後、最高気温22度前後と、とてもマレーシアとは思えない、年中、初夏の軽井沢を思わせる爽やかな気候で、欧米人はじめセカンド・ライフの人まで惹きつけてやみません。

人気が高いのは、美しい景観を楽しめるトレッキング。また茶や野菜や花の栽培に適しているため、至るところにXX FarmXX Valleyと称したマーケットが点在し、新鮮な野菜を買い求める人で賑わいます。

かつては南からのアクセスのみで、North-South-HighwayTapahExit132)を降りてから約60Kmに1時間半もかかる、カーブが多い難所だったようですが、北のSimpang PulaiExit137)からのアクセスが開通し、同様にNorth-South-Highwayを降りてから1時間強の道のりで、比較的走りやすくなったようです。ペナンのジョージタウンを出たのは8時半頃で、それからノンストップで3時間半、昼にはキャメロン・ハイランドに到着しました。

北からのアクセスで、先ず街らしい街に出会うのはBrinchang。ここは比較的安いホテルが多く、土産物屋やレストラン、毎週土曜日にはナイト・マーケットも開かれる賑やかな街です(と言っても、あっと言う間に端から端まで歩けるほどの大きさ)。

そこから約6Km、10分ほど南に走ると、Tanah Rataというキャメロン・ハイランド随一の街に出ます。病院・学校・銀行のほか警察をはじめとする行政機能が集約し、ジャングル・トレッキングなどの出発点にもなっています。

Tanah Rataから次の街のRingletまでは約13Km、山を降りて約20分の道のりです。道すがらチューダー・スタイルのホテルやアパートが目につき、心地よいドライブが楽しめます。このRingletはキャメロン・ハイランドの中でも真っ先に人々が住みついた街で、古い商店街がそのまま残り、ホテルもなく、まともなレストランも少ない、小さな街です。

我々が訪れるキャメロン・ハイランドと言えば、ほぼ上記三つの街を縫って、約20Kmの道のりに広がる高原地帯になります。

上着が必要なほど寒くはなく、Tシャツ、半ズボンでも十分過ごせますが、天気が変わりやすい山の気候で、雨にたたられると肌寒いと感じるほど。ホテルの部屋はエアコンがなくても快適に過ごせるほどの陽気です。

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2007年10月15日 (月)

ハリラヤ・プアサの朝

週末早く起きることがない私は、これまで気が付きませんでしたが、この土曜日は、別稿で触れる通りキャメロン・ハイランドに出かけるため早起きしたので、三年目にして初めて、ハリラヤ・プアサの朝の光景を目撃することが出来ました。ジョージタウンの街を抜ける途中、モスク(礼拝所)には多くのイスラム教徒が集まるお祈りの時間帯で、その服装があでやかなこと。いつもはジーンズにTシャツのバイクのお兄ちゃんも、今日ばかりは正装です。以下、たまたま信号で止まったところにあったモスクの写真と、ガソリンスタンドでのスナップです。

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2007年10月13日 (土)

マレー人初の宇宙飛行士

水曜夜、カザフスタンの宇宙基地から打ち上げられたソユーズに、マレー人の宇宙飛行士が搭乗していたので話題になりました。イスラム教徒の宇宙飛行士は通算9人目、マレーシア出身者は今回が初めてで、注目されたのは宇宙ステーションの中でもラマダン(断食月)の習慣を続けたいとか、毎日の礼拝でも、メッカ、とりわけカアバ宮殿に向かって祈りを捧げたいと発言していたからです。

宇宙ステーションは1日16回地球の軌道を周回するため、厳密には1日5回の礼拝が一日80回になってしまうとか、そのためにラマダン期間中の習慣(日没後、日の出までしか食べられない)が混乱するとか、礼拝する方角を示すキブラが秒単位で変わってしまうとか、礼拝の前の沐浴(禊)をどうするかとか、無重力環境の中でどうやってひざまづくかとか、何かと問題が多く、専門家によると、イスラム教法典の原理原則に従えば、いかなる理由や条件であろうおとも行うべき行為は実行されねばならないと言われていたので、どうなることかと、他人事ながら気になっていたのは、皆さん同じだったろうと思います。

そのため、マレーシアの宇宙機関ANGKASAは、イスラム教徒の科学者を150人集めて会議を開き、『国際宇宙ステーションでイバーダ(礼拝)を行なうためのガイドライン』を作成し、今年初めに、教義解釈などを話し合うイスラム学者たちの会議である全国ファトワ評議会で承認されました。今後、英語、ロシア語、アラビア語などにも翻訳されるそうです。これによると、

・礼拝の時に向くべきメッカの方角は、飛行士の能力により決めることとし、1)メッカ・カアバ宮殿、2)カアバ宮殿と思われる方角、3)地球、4)その他の場所、の4つの優先順位が示された(つまり、最初だけ聖地メッカの方角に向かえば良いとか、心の中でお祈りをするなどの方法でも構わないということらしい)

・ラマダン月の断食については、宇宙飛行中に行ってもいいし、地球帰還後でもいい

・宇宙飛行中の食事がハラール(イスラム的に適法な食事)かどうか不明な場合、空腹を抑制する範囲でのみ食すること

・宇宙飛行士でも、公衆の面前では正式な服装をすること(男性の場合、最低限へそから足首までは隠さなければならない)

といった具合いで、現実的な線に落ち着きました。

この宇宙飛行士は、クアラルンプール出身の整形外科医で、大学の講師も務め、アルバイトでモデルもやっているというイケメンの35歳のお兄さん。マレーシアは2003年に、ロシアの戦闘機18機を9億ドルで購入すると同時に、宇宙飛行士の搭乗についても2500万ドルを支払うことでロシアと合意に達しており、アメリカのNASAからは「宇宙飛行の参加者」と紹介され、まるで過去にも有償で宇宙船に乗り込んだ観光客並みの扱いに、マレーシア側との間で物議をかもしました。

今回は11日間のミッションで、国際宇宙ステーションに、恐らく昨晩、ドッキングしたはずです。サテー(マレー風焼き鳥)とかクエ(マレー伝統クッキー)を持ち込んだと言いますから、今頃は宇宙でこれらの食事を楽しんでいる頃でしょうか。

2007年10月 9日 (火)

スポーツとテクノロジー

ゴルフ・ネタが続きます。

スポーツ用具におけるテクノロジーの進歩は凄まじい。私のゴルフ・クラブ・セットは、アメリカ駐在時代に一新したもので、既に10年近く歳をとってしまいました。ご存知の通り、最近のドライバー(1番)は、テニスのデカ・ラケのようにどんどん大きくなり、私のドライバーはまるでスプーン(3番)かバフィ(4番)のようです。大きくなる分、スウィート・スポットも大きくなって、力強いスィングでもブレないため、飛距離も伸びるという寸法です。私は所謂飛ばし屋と呼ばれたものですが、今や(年齢のせいか)時代の流れには勝てず、しっかり打たないと取り残されがちです。テクノロジーは、テニスやゴルフにおいて、スポーツ・テクニックを補い、スポーツの敷居を低くしてくれます。

また、テクノロジーは、記録への挑戦をも助けてくれます。

先日のベルリン・マラソンでエチオピアの選手が2時間4分26秒の世界最高を記録しました。私が物心ついた頃は、クレイトンの2時間8分33秒6が(記憶が曖昧ですが)10年以上破られず、2時間10分を切らないで優勝する大会は当たり前でしたが、今や2時間8分を切らない大会は物足りないほど。かつて20年位前、人類はどこまで記録を伸ばせるかという特集記事で、マラソンでは2時間4分台が限界だろうと言われていたと記憶しますが、その壁を破るのも時間の問題です。それもこれもテクノロジーのなせるワザだと思います。

1991年の世界陸上東京大会の100M決勝で、強い反発力を生むウレタンで出来たトラックで、カール・ルイスが9秒86と、当時の世界記録を更新したことがありました。10年ちょっと前、地下足袋のような古臭いシューズでボストン・マラソンを走った時(出場した訳ではありません、エリート・ランナーの大会なので、後ろからくっついて勝手に走っただけです)、足の裏がマメだらけになりましたが、クッションの良い最新鋭のマラソン・シューズに換えたら、殆どマメが出来なかったという経験もある通り、シューズの技術革新も凄まじい。

因みにゴルフ・クラブでウッドと呼ばれるものは、最近ではチタンなどメタル製やカーボンとメタルの複合製に取って代わられましたが、たとえ金属製であっても呼称は従来通りウッドです。20年ほど前、私が社会人になって最初に買ったゴルフ・クラブの1・3・4番は、本当のウッド(木製)、パーシモン(柿の木)でした。テクノロジーに頼ったら技術が伸びないと頑強に抵抗し続けた私ですが、10年前、当時の最新鋭のテイラーメイドのドライバーを貰って使ってみると、余りに打ち易くて、心変わりしてしまいました。そのテイラーメイドもそろそろ限界かも知れません。ここペナンでは2000~4000リンギッ(6~8万円)も出せば良いものが手に入りますが、最新技術のものを手に入れるなら、やはり日本だと言われます。Japan Technologyはここでも健在です。

日本人向け価格

どこの発展途上国の都市でも日本人向け価格が存在する事情は似たようなもので、もともと日本の物価水準と比べると格段に安いため、ケチと思われたくない体面によるものか、敢えてしつこくディスカウントを求めず、ある意味で暗黙の了解事項になっているように思います。

今回のゴルフ・コンペで、現地人が価格交渉の窓口になってくれて、あらためてその実態が浮き彫りになりました。これまで我々日本人が払っていた価格は、現地価格の1.5倍の水準でした。ほぼ想像通りではありますが、目の前に突きつけられると、ちょっと悲しくなる事実ではあります。

大阪のオバちゃんは百貨店でも値切るという笑い話がありますが、ここペナンでも、スーパーや欧米系の専門店を除くと、基本的には全て交渉事になります。コムター傍の行きつけの土産物屋では、表示価格の40%もまけてくれることがありますが、顔見知りだからと言って決して安くしてくれている訳ではなく、同じものをバツーフェリンギのナイト・マーケットで飛び込みで値切ってみたら、ほぼ同じ値段になりました。競争環境にあれば、そこまで下げられるというレベルなだけです。

ここはひとつマレー語を操って、しぶとく現地に根を張ってみるとしましょうか(笑)

2007年10月 7日 (日)

ゴルフ・コンペ

日本では、最近でこそ安くなったと言っても高速料金を入れると2万円から3万円はかけて一日仕事になってしまう道楽とも言えるゴルフですが、海外では一般に気軽に(半日強の時間で)安く(二分の一から五分の一の値段で)楽しむことが出来るため、海外駐在員の中にはゴルフを始める人が多く、また格段にゴルフを上達させる人もいます。ゴルフは社交のスポーツなので、単身赴任者にとっては、寂しさを紛らせる格好の時間つぶしにもなります。

アメリカ駐在時代、年間100ラウンドを達成した猛者がいました。年配の単身赴任の方で、一年の全ての土・日をゴルフに費やして104ラウンド、祝祭日を入れるともう少し増えますが、出張で潰れることもあるでしょうし、買物や家事や各種手続きもあるでしょうに、天晴れとしか言いようがありません。だからと言って上達するわけではないところがゴルフの面白いところです。

同じようにアメリカ駐在時代、一日3ラウンドを毎度場所を変えて達成した猛者もいました。こちらも年配の単身赴任の方で、1ラウンド平均5時間かけるところを4時間で回ったとしても、3ラウンドで12時間、更に近隣にゴルフ場が複数あるカリフォルニア・サンノゼ地区でも移動に時間がかかるので、ちょっと気後れする計画で、若者でも2ラウンドまでなら付き合いますが、さすがに3ラウンドとも同行した者はいなかったようです。

前置きが長くなりました。

かくして日系企業の駐在員の間では、たいてい社名や社長・会長の名前を冠したお付き合いゴルフ・コンペが存在し、私も若かったアメリカ駐在時代は、何度も幹事を経験しました。ペナンでもゴルフを楽しめる環境にあるのですが、私が勤務する現地会社には、日本人駐在員が少ない上、現地水準では高級な娯楽のため、コンペを支えるゴルフ人口が足りず、2年間ご無沙汰しておりました。最近、日本人駐在員も増えて、ようやく昨日の土曜日、日本からの出張者も入れて4パーティで盛大に第一回大会を開催する運びとなりました。

暑いペナンでは朝一番(と言っても時差の関係で7時)から始めて、暑くなる昼頃には終らせます。現地人の参加者は4名、その内の一名はマレー人で、断食の行をおこなっている最中だったので、ラウンド後の昼食は遠慮して早々に帰宅しました。この日は陽が射さない格好のゴルフ日和だったからよかったものの、ペットボトル二本を飲み干してなおビールが恋しくなるいつもの気候だったらどうするのか?と聞くと、それでも彼は水すら飲まないのだと笑っていました。断食の時ですら、この暑いペナンでゴルフする強靭な体力と意志には脱帽します。

2007年10月 1日 (月)

日本の政治風景(下)

小泉さんは、新自由主義を信奉していたことは疑いありません。財政規模を縮小し、社会保障の総額を抑制するとともに、規制緩和を進め、大企業の競争力を回復させ経済発展を促す考え方です。しかし行き過ぎた新自由主義のもとでは、労働者階級の中間層が解体され、階層間の格差が拡大し、社会が分裂する危機を孕みます。そこで登場したのが新保守主義で、英国のサッチャー政権や米国のレーガン政権のように、新自由主義的な規制緩和や構造改革を進めながら、同時に伝統的な家族や地域、学校、企業といった共同体を再建し、強い国家を標榜して国民を統合させようとするものです。

日本でもまさに都市と地方との格差問題が取り上げられるようになりましたが、小泉さんにはそうした配慮はありませんでした。後を継いだ安倍さんは、「美しい国」という表現で、彼なりの新保守主義を進めようとした形跡はありますが、「戦後レジームの脱却」などと言われると、いまひとつ国民には分かりにくかった。中途半端なままで、次の福田政権に引き継がれるわけですが、福田さんは調整型の政治家と言われ、「政策を一つひとつ着実に実行していく」とは言ってくれても、政治理念は明確ではありません。

加藤紘一さんは、グローバリゼーションに対応しようとした小泉政権のもとでの竹中さんの論理を貧しいと一蹴しましたが、ことはそう簡単ではないでしょう。経済がグローバル化するのは世の流れです。単純な市場原理主義では立ち行かないことは明白ですが、だからと言って、農業保護を名目にFTAEPA交渉が進まなければ、強い産業の足を引っ張ることにもなりかねません。海外にいる私たちにとっては、もどかしい状況が続いています。福田政権には、これまでの小泉政権、安倍政権のもとで、新自由主義と新保守主義の間で曖昧になっていた問題の一つ一つを俎上に載せて、大いに議論を誘発しながら、国家デザインを明確にして頂きたいと思います。

日本の政治風景(中)

小泉さんの、「自民党をぶっ壊す」「官から民へ」「郵政三事業の民営化」などのメッセージは明快でした。その改革の痛みをどう癒すか、改革の先のイメージは必ずしも明確ではなかったのですが、国民を意識したパフォーマンスは見ごたえ十分で、小泉劇場として人気を博しました。

そうした国民の支持を背景に、小泉さんは日本の政治を変えようとしました。先ずは官僚制。

日本は戦前・戦後を通して、一貫した官僚国家でした。かつての総理大臣は、ほとんどの場合、官僚機構に通じた官僚出身者が占めましたし、例外だった田中角栄は、官僚の入省年次を全て記憶し官僚を操ったと言われたほどでした。しかし1府12省がそれぞれに権力をもつ現在の体制では、大胆な構造改革は出来ません。だからこそ小泉さんは、求心力をもった官邸主導の政治を進めたのでした。

次に自民党。自民党の中から自民党をぶっ壊すと言われると、野党は霞んでしまいます。

官僚制度と族議員の壁は厚く、改革自体は中途半端に終わりましたが、間違いなく自民党は分裂しました。自分と対立する人を抵抗勢力と呼び、党内を敵・味方に峻別し、郵政選挙では反対派を潰したり、除名したりしました。もともと自民党の支持基盤は、大企業や大都市のサラリーマンから集めた税金を公共事業投資や農業への補助金という形で再分配する先の地方にありましたが、小泉さんの構造改革では、財政削減を進めた上、三位一体改革を通して医療や介護や教育などを地方に押し付けた形になり、自民党の支持基盤をも崩すことになりました。郵政選挙では、自民党の都市部の得票は民主党を上回ったほどです。もともと民主党も改革を掲げていたため、地方の有権者は不満の行き場を失い、その不満を拾い上げた小沢さんが先の参議院選で勝利したのは、前回、触れました。

後を継いだ安倍さんは、改革を継続するとしながらも、小泉さんが除名した造反組を復党させるなど、必ずしも小泉さんの手法には賛成していなかったようです。官邸主導の政治も貫こうとしましたが、官僚の不祥事を捌ききれず、結局、官僚に足を引っ張られたような印象です。

こうして見ると、小泉さんの変人ぶりは際立っていました。安倍さんは、そこまでの強靭な意思も政治的技術もなかったと言うことでしょうか。

日本の政治風景(上)

日本では、安倍さんがあっけなく退陣し(仕事を投げ出したという英国のメディアもいました)、あれよあれよという間に福田政権が発足しました。とりたてて政治に興味があるわけではない私ですが、小泉政権から続く今の政治状況は野次馬的にはとても興味深い。今回のドタバタを通して私の勝手な思いつきを述べてみたいと思います。

私が身を置く業界では、顧客の不満の解消から一歩進んで顧客満足の提供が鍵だと言われて久しい。更にサービス業界の中では、期待通りの満足提供では飽き足らず、顧客の期待を越える感動の提供がブームになっています。所謂感動経営です。NHK朝の連ドラ「どんと晴れ」の加賀美屋も、その路線を進もうとしていると言えるかも知れません。

しかし日本の政治に関して言うと、国民の不満の解消、不安の解消すらままならない。そもそも政治は国のあり方を決めるために資源をどう再分配するかを課題とするものであって、時代を切り開くのが理想ですが、既得権益を侵す覚悟がない場合、時代の流れを後追いする存在になりかねません。そのために払うことになる社会的コストが計り知れないのは、ヨーロッパで経済的自由から政治的自由への欲求が高まり、革命に至った歴史を振り返っても理解されます。

さしずめ政治の顧客満足度を計る指標としては投票率、政党や政治家の顧客満足度を計る指標は得票率や支持率でしょう。長期的な投票率の凋落に関しては、国民が白けている結果であって、与党だけでなく野党も真摯に反省して欲しい。参議院選での自民党の敗北は、安倍政権への不信任と言う面もありますが、むしろ民主党の躍進の成果の方が大きい気がします。民主党は、小沢さんのもとで政策転換し、かつて自民党が得意とした地方に優しいバラマキ政治を主張し、自民党の大票田であった地方の改選1議席の一人区で圧勝しました。

その結果、小泉改革を引き継いだ安倍さんの「美しい国」は意味不明で国民の心に響かず、民意とずれていたのではないかと自民党内で総括される一方、小沢さんは、その隙を付いて、小泉改革によって不満の行き場を失ってしまった地方の有権者をひきつけた、不満の解消の勝利、選挙戦術の勝利と言えます。

安倍政権の自壊を招いたのは、小泉政権を引き継いだ後の運営の如何、そもそも小泉政権によって何が起こっていたのかを見ておく必要があります。

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