2013年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

読書日記

  • あさのあつこ: バッテリー
    マンションのプールで子供たちを遊ばせながら、デッキチェアで寝そべって読むにはもってこいの軽さです。本の物理的な重さだけでなく、大人に読ませる児童書、とでも呼ぶのでしょうか、野球を軸にした物語で、スポ根でもなく、チーム愛とか友情を前面に出すわけでもなく、そういうところとはかけ離れたところから始まっているところが良かったし、なんとなく心のどこかで考えさせられるところが、適度な軽さでした。続きがつい読みたくなります。
  • 小阪修平: 思想としての全共闘世代
    この酔狂なテーマに接して、どのような視点をもてるかは、何年に大学に入学したか、学生運動のどの段階の経験・知識をもつかで変わってくると、著者は言いますが、まさにその通りでしょう。私は、全共闘世代の著者より15年も年下で、学生運動と言っても辛うじて余韻を吸っただけ。他の大学より、よほどその残り香は濃厚に残っていたので、私の世代の中では、より深いシンパシーを感じている方だと思いますが、それでも、かなり観念的です。実際、私自身は、育った時代が進歩的知識人全盛の頃だったので、その反発から思想的には保守寄り、伝統的な自由主義者で、学生運動への共感というのは、政治的な主張や思想的な面よりも、むしろ若者らしい現状への不満と変革への情熱に対するものと言えるかも知れません。それは、キューバ革命におけるゲバラに対する共感に近い。彼を衝き動かしたのは左翼思想ではなく、純粋な民族主義でした。もし著者と同世代だったら、私自身、どうなっていたか、ちょっと興味があります。そんな時代を懐かしむだけの本ではあるのですが、それを羨ましいと思わせる内容ではありました。 学生運動真っ盛りの頃、本当に革命が起こるのではないかという気分になったと述懐する人がいます。確かに、この本でも、初期(60年代前半)には市民の共感を得ていたとありました。先鋭化(武装化、過激化)して、一般学生からさえも支持を失って行った、そのあたりは別の論考になるのでしょうが、なんとなく学生が敏感に反応するところを、大人としても支持してあげたい時期があったことは、分かるような気がします。社会自体も、若かった。私にとっては、もはや歴史的事実として見てしまうからかも知れませんが、高度成長を遂げつつあるという、ある意味で歴史の転換点では、人々の意識も今ほど画一的ではないでしょうし、いろんな制度上の矛盾も噴出していただろうことは想像できます。そんな世の中の、雨降って地固まる前の、不安定な動きの中で、まだ共産主義への憧れが、幻想ではなく人々に情熱をもって抱かれていた、そうした不穏な時代の雰囲気は、なんとなくわくわくします。今だって、ある意味で歴史の転換点であり、変革の情熱を行動に移して行かなければならないのでしょうけど、私も社会も、ちょっと齢を重ねてしまったかもしれません(笑) 今、革命が起こるとは思えませんが、あり得るとすれば、若い情熱が発火点になるように思います。 (★★★★)
  • 藤原正彦: 国家の品格
    「蛙飛び込む水の音」という歌に対して、外国人は一匹じゃなくて何匹も飛び込む様を連想してしまうものらしい。自分の感性はやはり日本人だと、最近つくづく思うので、そのあたりはまさにフィットしました。ちょっと宗教に関しては認識不足じゃないかと思われるところもありますが、だいたい海外経験がある人なら、そうそう、その通り、よくぞ言ってくれら、というようなことが書いてあります。それから、論理じゃなくて感情、論理の出発点も結局は感情が規定するというのも、「われ思うゆえに我あり」のデカルトを持ち出すまでもなく、数学者なのに(数学者ゆえに?)、よくぞ言ってくれたと思います。話題になっただけあって、期待を裏切られない面白さです。 (★★★★★)
  • 加藤廣: 信長の棺
    本能寺の変の後、ついに見つからなかった信長の遺骸を追うという謎解きだけでも興味津々ですが、著者がサラリーマンを辞めて執筆した75歳の新人作家というのも興味津々です。よく史料を調べてあるということと、太田牛一という右筆(実際には違う説もあるようですが)を主人公に、著者自身を投影し、歴史上の疑問点のもちよう、推論を進める様は、なかなか面白い設定です。著者がコンサルタント的な業務に携わってきたことと無縁ではないでしょう。でも、難を言えば、ストーリー展開上、さんざん前半では引っ張っておきながら、最後の謎解きを一人の登場人物に淡々と語らせてしまうのは、あまりに安直です。それでも、ひととき、すべてを忘れて没頭できたので、よしとしましょう。信長というと、大河ドラマの館ひろしの顔が浮かんで困ってしまいましたが・・・^^; (★★★★)
  • リリー・フランキー: 東京タワー
    著者とは同世代に属するので、時代背景が重なって、とても身近に感じつつ読み進めました。結構あからさまで大胆な描写や、所謂マザコンぶりが淡々と綴られるわけですが、それをそうと感じさせない独特のリズムがあるのは、一つには、村上龍の「69」が長崎弁に救われていたように、ここでは福岡弁?に救われているからでしょうか。全編を通してほのぼのとした雰囲気を醸し出して、いい感じです。それからもう一つには、彼の率直さと曇りの無い目線のゆえでしょう。それにしても、自ら振り返り、母親の愛情の深さとか、それに応えようとする息子の気持ちは良く分るのですが、あらためて親子のありようは人それぞれだと(当たり前ですが)しみじみ思いました。なお、100万部を越えるベストセラーだと言うのは、ちょっと驚きです。この軽さは悪くないのですが、なんとなく三島由紀夫のような本格小説を読みたくなってきました。 (★★★★)

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« シドニーにて:Coogeeというところ | トップページ | 通り雨 »

2008年6月15日 (日)

シドニーにて:シティというところ

シドニーのダウンタウンのことを当地ではシティと呼び習わします。また不動産情報その他では中心街をCBD Central Business District)と呼ぶこともあります。それぞれカバレッジがどう違うのか私にはまだ分かりません。

初めて訪れた時、アジアの街と比べてしまったせいか、きれいな街だという第一印象を抱きました。南の端のチャイナタウンから、北の端のオペラ・ハウスまで、歩いて30分ですから、それほど大きいわけではありません。古い格調高い建物と近代的で機能的な建物が混在した大都会・・・でありながら、港が控えている気安さからか、ビーチサンダルで歩き回る開放感に溢れた港町。先進国の中でも物価が相対的に安くて住み易いという先入観を抱いていましたが、近年の物価の上昇は、セカンド・ライフをシドニーで・・・といった庶民の夢を打ち砕いてしまいました。

第一印象と同じく、シドニー紀行の最後も、やはり美しい街という印象で締めくくりたいと思います。ハーバー・ブリッジとオペラ・ハウスの二大観光資源を抱える限り、シドニーの街は、如何に物価があがろうとも人々を惹き付けてやまないことでしょう。

ハーバーブッリジが着工されたのは1923年、竣工は1932年と言いますから、学生時代の歴史の授業を思い出せばお分かりの通り、その間に世界大不況を経験しています。実際、当地でハーバー・ブリッジは「鉄の肺(Iron Lung)」と呼ばれたのだそうです。大不況のオーストラリア経済に、景気の風を送り込む肺だったと言うわけです。この橋を見ていると、シンプルな美しさと力強さを覚えます。

オペラ・ハウスは、着工されたのは1959年ですが、独創的な形状と構造設計の困難さなどにより、竣工は1973年まで待たなければなりませんでした。当初は帆のようなコンクリート・シェルは大小の放物線の断面の形が連続するものでしたが、シェルの重さや海風の圧力に耐えられず、最終的には全て同じ半径の球面の組み合わせによって構成し、全体にリブ(肋骨材)を入れて補強するものに落ち着きました。美しさと言えば曲線的な美しさをすぐに思い浮かべる単純な私にとって、曲線美とともに、その曲線美を途中で止めてしまったような、中途半端なとんがったいでたちは、安心感を途中で途切れさせてハラハラさせるような緊張感を覚え、何度見ても見飽きないユニークさを備えています。

20080510_079_2 20080503_134

20080510_151_2

« シドニーにて:Coogeeというところ | トップページ | 通り雨 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/166178/21638665

この記事へのトラックバック一覧です: シドニーにて:シティというところ:

« シドニーにて:Coogeeというところ | トップページ | 通り雨 »