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読書日記

  • あさのあつこ: バッテリー
    マンションのプールで子供たちを遊ばせながら、デッキチェアで寝そべって読むにはもってこいの軽さです。本の物理的な重さだけでなく、大人に読ませる児童書、とでも呼ぶのでしょうか、野球を軸にした物語で、スポ根でもなく、チーム愛とか友情を前面に出すわけでもなく、そういうところとはかけ離れたところから始まっているところが良かったし、なんとなく心のどこかで考えさせられるところが、適度な軽さでした。続きがつい読みたくなります。
  • 小阪修平: 思想としての全共闘世代
    この酔狂なテーマに接して、どのような視点をもてるかは、何年に大学に入学したか、学生運動のどの段階の経験・知識をもつかで変わってくると、著者は言いますが、まさにその通りでしょう。私は、全共闘世代の著者より15年も年下で、学生運動と言っても辛うじて余韻を吸っただけ。他の大学より、よほどその残り香は濃厚に残っていたので、私の世代の中では、より深いシンパシーを感じている方だと思いますが、それでも、かなり観念的です。実際、私自身は、育った時代が進歩的知識人全盛の頃だったので、その反発から思想的には保守寄り、伝統的な自由主義者で、学生運動への共感というのは、政治的な主張や思想的な面よりも、むしろ若者らしい現状への不満と変革への情熱に対するものと言えるかも知れません。それは、キューバ革命におけるゲバラに対する共感に近い。彼を衝き動かしたのは左翼思想ではなく、純粋な民族主義でした。もし著者と同世代だったら、私自身、どうなっていたか、ちょっと興味があります。そんな時代を懐かしむだけの本ではあるのですが、それを羨ましいと思わせる内容ではありました。 学生運動真っ盛りの頃、本当に革命が起こるのではないかという気分になったと述懐する人がいます。確かに、この本でも、初期(60年代前半)には市民の共感を得ていたとありました。先鋭化(武装化、過激化)して、一般学生からさえも支持を失って行った、そのあたりは別の論考になるのでしょうが、なんとなく学生が敏感に反応するところを、大人としても支持してあげたい時期があったことは、分かるような気がします。社会自体も、若かった。私にとっては、もはや歴史的事実として見てしまうからかも知れませんが、高度成長を遂げつつあるという、ある意味で歴史の転換点では、人々の意識も今ほど画一的ではないでしょうし、いろんな制度上の矛盾も噴出していただろうことは想像できます。そんな世の中の、雨降って地固まる前の、不安定な動きの中で、まだ共産主義への憧れが、幻想ではなく人々に情熱をもって抱かれていた、そうした不穏な時代の雰囲気は、なんとなくわくわくします。今だって、ある意味で歴史の転換点であり、変革の情熱を行動に移して行かなければならないのでしょうけど、私も社会も、ちょっと齢を重ねてしまったかもしれません(笑) 今、革命が起こるとは思えませんが、あり得るとすれば、若い情熱が発火点になるように思います。 (★★★★)
  • 藤原正彦: 国家の品格
    「蛙飛び込む水の音」という歌に対して、外国人は一匹じゃなくて何匹も飛び込む様を連想してしまうものらしい。自分の感性はやはり日本人だと、最近つくづく思うので、そのあたりはまさにフィットしました。ちょっと宗教に関しては認識不足じゃないかと思われるところもありますが、だいたい海外経験がある人なら、そうそう、その通り、よくぞ言ってくれら、というようなことが書いてあります。それから、論理じゃなくて感情、論理の出発点も結局は感情が規定するというのも、「われ思うゆえに我あり」のデカルトを持ち出すまでもなく、数学者なのに(数学者ゆえに?)、よくぞ言ってくれたと思います。話題になっただけあって、期待を裏切られない面白さです。 (★★★★★)
  • 加藤廣: 信長の棺
    本能寺の変の後、ついに見つからなかった信長の遺骸を追うという謎解きだけでも興味津々ですが、著者がサラリーマンを辞めて執筆した75歳の新人作家というのも興味津々です。よく史料を調べてあるということと、太田牛一という右筆(実際には違う説もあるようですが)を主人公に、著者自身を投影し、歴史上の疑問点のもちよう、推論を進める様は、なかなか面白い設定です。著者がコンサルタント的な業務に携わってきたことと無縁ではないでしょう。でも、難を言えば、ストーリー展開上、さんざん前半では引っ張っておきながら、最後の謎解きを一人の登場人物に淡々と語らせてしまうのは、あまりに安直です。それでも、ひととき、すべてを忘れて没頭できたので、よしとしましょう。信長というと、大河ドラマの館ひろしの顔が浮かんで困ってしまいましたが・・・^^; (★★★★)
  • リリー・フランキー: 東京タワー
    著者とは同世代に属するので、時代背景が重なって、とても身近に感じつつ読み進めました。結構あからさまで大胆な描写や、所謂マザコンぶりが淡々と綴られるわけですが、それをそうと感じさせない独特のリズムがあるのは、一つには、村上龍の「69」が長崎弁に救われていたように、ここでは福岡弁?に救われているからでしょうか。全編を通してほのぼのとした雰囲気を醸し出して、いい感じです。それからもう一つには、彼の率直さと曇りの無い目線のゆえでしょう。それにしても、自ら振り返り、母親の愛情の深さとか、それに応えようとする息子の気持ちは良く分るのですが、あらためて親子のありようは人それぞれだと(当たり前ですが)しみじみ思いました。なお、100万部を越えるベストセラーだと言うのは、ちょっと驚きです。この軽さは悪くないのですが、なんとなく三島由紀夫のような本格小説を読みたくなってきました。 (★★★★)

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2008年1月16日 (水)

朝日のもう一つの顔

昨日・今日と、昇ったばかりの朝日がくっきりとオレンジ色に輝き、きれいでした。あっと言う間に眩いばかりの太陽に戻るのですが、それまでの10分間か15分間は、まるで太陽が灼熱を封じ込めて、静かな人々の朝をじっと見守っているようです。ナトリウム灯の電球が今にも溶け出しそうな。熟したオレンジが今にもぽとりと落ちそうな。あるいは目玉焼きのオレンジ色の黄身が今にもこぼれ落ちそうな。

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2007年7月18日 (水)

砂漠化と森林減少(下)

かつてマハティール前・首相は、マレーシアがその森林資源をどう使って収入を得るべきかなど、豊かな国から口出しされる筋合いはないと述べたことがあります。豊かな国は自らの森林資源を破壊してしまったのに、いまさら我々の森林からの収入を減らせというのは公平ではない、豊かとはいえない我国にとって森林は重要な収入源である、我々は森林資源を保護する必要はあるが、我々の森林から理に適った収入を確保できるべきだ、従って、マレーシアは森林資源を保護せよとの外国からの圧力に屈しない、と言うわけです。環境保護派とは言えないドクター・マハティールの面目躍如たる所以でしょう。

実際、ラワンなどの森林資源が豊富なサラワク州では、大規模に森林を伐採したりダムを造成しているところを外国人に見られて妙な告発をされることを警戒し、外国人がこのような場所へ立ち入ることは、政府や林業会社から厳しく制限されているようです。

かつてはサハラ砂漠やチグリス・ユーフラテス川にも森林がありました。古代メソポタミア文明、エジプト文明、ギリシャ文明は森を切り開いて栄え、森を切り過ぎて滅びました。イースター島にも、かつては島から西へ4000KMのタヒチ島のような亜熱帯性の樹木に覆われた森林がありましたが、絶海の孤島に人が住み、火を使うため、カヌーを作るため、モアイを作るため、森の木を全部切ってしまったのだと言われます。

そして近・現代、美しい森林がたくさんあるというイメージが強いヨーロッパの森林も、実はほとんど原生林ではなく、17~18世紀の産業革命の後に切り開かれてしまい、その後200年近くかけて現在の姿にまで回復した、あくまで人工林です。かつての地球を覆っていた森林の4分3は既に失われてしまったと言われています。

環境問題は、地球規模で見れば決して他人事とは言い切れません。核兵器を取り巻く議論と同じです。そしてStatus Quo(現状維持)として、先行者利得をそのまま認めて固定するところから始めざるを得ない難しさも、核不拡散の論理と同じです。でも、こうした現実主義は貫かざるを得ないのです。

2007年7月16日 (月)

砂漠化と森林減少(上)

先日、チベットと中国の砂漠化についての記事を相次いで見かけました。昨日の「すばらしい世界旅行」に続いて、ちょっとは真面目に環境問題について勉強しながら書いてみます。

砂漠化は、ご存知の通り、気候変動や人為的(過放牧)な原因で、乾燥地域や半乾燥地域などで土地が劣化し、植物が育たなくなり、砂漠の面積が拡大していく現象のことです。チベット自治区では1年間で1つの県に相当する3万9600ヘクタールの規模で砂漠化が進んでおり、中国では1分当たり約0.3ヘクタールと言われてもピンと来ませんが、1年に換算すると16万ヘクタール弱で、チベットの4倍のスピードです。因みにサハラ砂漠では毎年150万ヘクタールと桁違いで、全世界では毎年600万ヘクタールが砂漠化していると言われます。

土地の劣化という意味では、砂漠化もさることながら、地球環境に与える影響では、森林が減少していることの方が重大です。中国の緑被率(森林が国土に占める割合)はわずかに14%であるに過ぎません。一方、日本は66%と、フィンランドの69%に続いて世界第2位で、フィンランドと比べ、人口密度に20倍の差があることを考えると、日本人が如何に自然と共存しているかが分かります。しかし一方で、日本は世界最大の木材輸入国でもあり、かつて60年代にはフィリピン、70年代にはインドネシア、そして現在はマレーシア、パプアニューギニア、シベリアから大量輸入し、国内木材消費量の7割を輸入に頼っていると言われます。高度成長を経た日本では人手不足の林業で国内木材のコストが高くつくせいですが、緑被率の高さは確かに目を見張りますが、他国の犠牲の上に成り立っているとも言え、必ずしも手放しで喜べる数字ではなさそうです。

さて、マレーシアはどうでしょうか。まさに熱帯雨林の宝庫ですが、油やしやゴムなどのプランテーション、所謂農地開発により、森林が伐採されて来ました。緑被率はFAOの2003年データで58.7%とまずまずですが、この数値には油やしのプランテーションも含まれているらしく、また森林の中から有用木を伐採して劣化していても、FAO基準では樹冠率10%以上は森林と呼ぶことになるので、実際にはそれほど多くは残っていないのではないかと言われています。そこには、きれいごとではない、発展途上国故の厳しい現実があります。

2007年7月 7日 (土)

ヘイズ

ここ数日、ペナンの空はどんよりとした雲に覆われているようです。スマトラ島の野焼きによるヘイズ(煙害)です。

日本から戻る、クアラルンプール発の機内の新聞によると、今週一杯、折からの南西の季節風に煽られてヘイズがひどく、場合によっては学校の課外授業はキャンセルせざるを得ないかもしれないという報道でした。翌日の別の新聞では、視界8キロとも言われ、13.5キロあるペナン・ブリッジからは、当然、対岸の半島側はぼんやり霞んでよく見えません。

昨年はそうでもなかったのですが、一昨年のちょうど今頃のとある週末の早朝、家内は余りの煤臭さに、火事でも起こったのではないかと、目が覚めたほどでした。今年は、そこまでひどくありませんが、朝、目覚めると、喉はガラガラ、日中、太陽は厚い雲に阻まれて、いつもの刺すような暑さは和らいでいます。恐らく政府レベルでは、マレーシアとインドネシアとの間で非難の応酬があるのでしょうが、必ずしも人災とも言い切れないところに、やりきれなさを感じます。

2007年6月15日 (金)

夜の訪問者その2

寝入りばなでした。

パタパタパタという羽音で目が覚めました。二度ほど、天井のファンにぶつかる音がして、床に落ちてしまったようです。嫌な予感がして、灯りを点けてみると、やはりコウモリでした。

前回と同じように、先ずは部屋の扉を閉めて遮断し、更にオモチャのカゴをかぶせて、しげしげと観察すると、完全に気絶してしまったのか、へたっていて、モノでつついても、ピクリともしません。

私自身、子供の頃は、動物や昆虫とよく戯れたものでしたが、今回も、野生の生き物で病原菌を持っているかもしれないという惧れと、死んでいるかもしれないという疑いから、なんとなく触るのがためらわれて、軍手をはめた手に更にビニール袋まで巻きつけて、なるべくその感触を遠ざけて、窓からつまみ出しました。

それにしても、今回は窓は開けてもカーテンは閉めていたのに、その隙間から、数ヶ月とたたない内に二度目のコウモリの闖入があるとは、ただの偶然とは思えず、コウモリの通り道にでもなっているのかもしれないとすると、全くはた迷惑な話です。マンションの裏手には鬱蒼とした山が迫り、表には海が広がる静かな環境で、窓を開けている人は多いらしく、低層階では野生のサルが侵入することがあるので注意せよと言われていますが、高層階ではコウモリに注意せよとは誰からも言われたことがありません。

ちょっと興奮した神経を沈めるためにパソコンに向かっていますが、ほんの30分内の出来事でした。

2007年5月24日 (木)

インドネシアのシーラカンス

ほんの数日前、インドネシア北スラウェシ州で、シーラカンスが見つかりました。それ自体、珍しいわけではありませんが、今回は、深海魚が何故か浅瀬で漁師の網にひっかかったところが不思議で、水温や水圧の変化に弱いために、残念ながら17時間後には死んだそうです。

シーラカンスと言えば、存在は余りに有名ですが、私自身はその生態をよく知りませんでした。調べて見ると・・・地球上に出現したのは約3億8000万年前、古生代デボン紀の化石で確認されています。その後、約8000万年前の白亜紀以降の化石記録がないため、恐竜とともに絶滅したと思われていました。ところが、1938年、南アフリカ共和国の東海岸沖で、硬く大きなウロコをつけ、手足のようなヒレを持つシーラカンスが捕獲され、化石種との間で形態的な差異がほとんど見られないことから、「生きた化石」と呼ばれるようになりました。その後、マダガスカル島北西のコモロ諸島周辺では200匹以上が捕獲され、ここが主な生息地と見られています。アジアでは、1998年にインドネシアのスラウェシ島を訪れていた新婚旅行中の学者が、なんと魚市場で発見したというのですから、いかにもアジアらしいですね。

体長は1~2メートル、体重は大きいもので90Kgにもなります。その名はギリシャ語で「中空の背骨」を意味する通り、貧弱な背骨は中空で、中には水のような液体が詰まっています。また浮き袋には空気ではなく脂肪が詰まっています。卵ではなく、体の中で卵をふ化させて稚魚が少し成長してから対外に生み出す卵胎生という方法で繁殖することが、解剖によっても証明されました。

普通の魚に比べて代謝が遅く、あまりエネルギーを使用しないので、普通の魚ほどえさを食べずに生活しているようです。実際、シーラカンスの肉はワックスが入っており、沢山食べると下痢になってしまうと言います。ある魚類学者によれば、肉は味のない歯ブラシ(!?)のようで水っぽくて不味いとのこと。しかし、最も絶滅の恐れのある絶滅危惧Ⅰ類の種として登録されていますので、食べる対象としてはもとより期待されていません。むしろ、逆立ちしたり、真後ろにリバースしながら泳げる芸達者なサカナらしいので、エリマキトカゲとかウーパールーパー(ちょっと古い?)に続く人気者になれるかも。

2007年4月 4日 (水)

夜の訪問者

草木も眠る丑三つ時、突然、バタバタという羽音で目が覚めました。今のマンションは風通しが良いので、窓を開けておけば天井のファンやクーラーをつける必要がないほどなのですが、その開けた窓から私の寝室に、なんとコウモリが侵入したのでした。

最初は寝惚けマナコで、部屋に棲みつかれたら困るなあとぼんやり考える程度でしたが、だんだん目が覚めるにつれ、野生の動物はどんなバイ菌を持っているやも知れず、とにかく追い出さなければならないと思い立ち、先ずは部屋のドアを閉めて、他の部屋に移動できないようにして、期せずして真夜中のコウモリ捕物帳です。

灯りを点けて、息を殺してジッと様子を伺うと、洋服ダンスの上で動きが止まり、おやすみモードに入っている模様。やおら玩具を入れているカゴを空っぽにして、すっぽりかぶせると、あっさりカゴの中に納まりました。余り間近で見たいものではなく、さっさとダンボール紙をカゴとタンスの隙間に指し込みフタにして、そのまま運んで窓から外に逃がしてやりました。

ペナン・ヒルのそばにコウモリ寺なるものがあって、最近はコウモリの数が、なんでも2千くらいいたのが5百くらいに激減したと、つい先日、新聞に出ていました。まさかその一匹ではないのでしょうが、それにしても、よりによって、いくらマンションの裏手には鬱蒼とした山が迫っているとしても、この小さな窓からよくぞ入って来たものです(28F建マンションの28F)。こちらではヤモリが、マンションの外と内と言わず、あるいはレストランでもオフィスでも学校の校舎でも、壁をちょろちょろ伝って走りまわるのが、最初はいちいち驚いていたのが、最近はかわいくもあるのですが、さすがにコウモリとなると、顔自体は愛嬌があるかも知れませんが、あの翼がよくありません。人騒がせにもほどがあります。

それ以来、安眠を妨害されないよう、窓はしっかり閉めて寝るようにしているのは言うまでもありません(以下の写真はマラッカ動物園のコウモリ)。20070219_011

2007年3月 8日 (木)

スマトラ島の地震

6日の午前中、スマトラ島中部でM6.3の地震がありましたが、ここペナンでは何も感じませんでした。結局、日本の知人からの問合せメールで、事の重大性を知らされた始末。

2004年12月26日に起きたスマトラ島沖地震とその津波の影響では、特にインドネシア、インド、スリランカ、タイの被害が甚大で、死者22万人を越え、被災者は500万人に達したと言われます。しかしペナン島の被害は桁違いに少なく、21名が死亡したに過ぎませんでした。しかもこの21名は、ほとんど海辺に家を構える漁師さんだったと言われます。ガーニー・ドライブ沿いに定宿にしていたホテルで聞いたところ、せいぜい駐車場が僅かに浸水した程度だったそうです。私はこの時はまだ赴任しておらず、この前後は出張で長期間張り付いていたのですが、この時は年末でたまたま日本に戻っていました。

もともと、あの地震が発生したのは、ミャンマーからティモール島にかけて、インド・オーストラリア・プレートがユーラシア・プレートの下に沈みこむことによる歪みで海溝型地震が多発する地帯で、およそ100年から150年の周期で地震が繰り返されてきたところです。この時の地震で、地球の1日の長さが100万分の3秒程度短くなり、地軸の位置が約2cmずれた可能性があるとも言われます。

ペナン島のあたりまで来ると、地震や台風の被害は受けにくいと言われていますが、スマトラ島の山焼きによるヘイズ(煙害)や海賊騒ぎはしばしばあり、デング熱の危険とは隣り合わせですし、鳥インフルエンザもイポーあたりまで忍び寄ったことがありました。やはり海外にあって危機管理は欠かせないところです。

2007年2月13日 (火)

ペナンの日の出

 ペナンの日の出は、赤道付近に位置するせいか年中だいたい同じ7時頃で、朝、家を出ると、まだ眩しさを増す前の穏やかな太陽を拝むことが出来ます。これは、ペナンの周囲(東方)にそれほど高い山がないせいでもあります。

ご存知の通り、太陽は、水平線(または地平線)から昇ったばかりの時は、大気層を長く通過し、青系の光が散乱して、オレンジ色のナトリウム灯の照明のように、まんまるの球体がぼんやり霧に浮かんで、弱々しくも怪しい光を放って、つい惹き込まれてしまいます。

ところがペナン・ブリッジにかかる頃には、高度を増して俄かに眩しくなります。特に1月の雨季明けの時期にはペナン・ブリッジ正面方向に昇るので、眩しくて運転に支障があるほどです。こちらに赴任する前に度付きのサングラスを作ってきたのは、夕方、ペナン・ヒルに沈む夕陽が眩しかろうと備えてのことでしたが、実際にはそんな時間に帰宅出来るわけでもなく、この時期の朝日対策に有効活用している始末です。もっと優雅な駐在員生活にしたいものですが・・・

2007年2月 6日 (火)

ペナンの雨季明け宣言

 日本では、気象庁が梅雨明け「宣言」を出して、本格的な夏が始まるのは、ごく自然な恒例行事になっていますが、マレーシアには日本と同じような意味合いでの雨季明け「宣言」は無いようです。考えてみれば、自然の営みのことなのに、お役所が宣言するなど、ちょっと滑稽、と言うよりもむしろ、巫女さんが農民に対してお告げをする(かどうか知りませんが)神事を引き継いでいるかのようで、きわめて日本的と言うべきかもしれません。勿論、こちらでもニュースのネタとして雨季が明けたかどうかが話題になることはあります。とりわけ今年はジョホール方面でいつまでも洪水被害がひどく、メディアも、雨季(モンスーン・シーズン)が明けたかどうか明言することには、頭を悩ませているようです。

 実際、周囲の人に、雨季は明けたのか尋ねてみると、人によって言うことは様々です。雨季は通常12月で終わるものだ、と言い切る人もいれば、旧正月(中国暦)の前には明けているよ、とやや控え目な人もいます。私自身は、三週間前のある朝、とても美しい日の出を拝むことが出来たので、個人的に雨季明け宣言を出し、次の日も、朝日が美しかったので、松坂じゃないですが、自信が確信に変わったのでしたが、その夕方、激しい夕立(スコール)があり、ものの見事に外してしまいました。でも、その後、ペナンでは、雨季には毎日のようにあった激しい夕立が絶えて久しく、良い天気が続いていますから、あながち外れとも言えないかも知れません。

 洪水に関しては、被害にあわれている方々には気の毒ですが、ちょっとした洪水は身近にごく当たり前に見られます。ノロノロ運転なので、事故でもあったのかと思っていたら、低地の道路に大きな水溜りが出来ていたとか、あるいはタイヤ三分の一程度の浸水も経験があります。それだけ、こちらのスコールは激しいと言えますし、また、排水(下水道)のインフラも十分ではないと言えます。そういう意味では、ちょうど私たちが子供の頃の日本を彷彿とさせ、台風にドキドキしていたあの頃のように、ちょっと懐かしい気持ちになります。

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